今年4月、博報堂Gravityの新社長に黒原康之氏が就任した。博報堂Gravityは、ファッションとビューティを中心にライフスタイル領域のブランドマーケティングに特化した広告会社で、博報堂グループの博報堂マグネットとコスモ・コミュニケーションズが統合して2022年4月に誕生した。
黒原康之氏は、両社の統合後に常務取締役に就任すると、45歳という若さで代表取締役に抜擢され、今後の広告業界をリードしていくキーパーソンのひとりとして注目されている。「私の尊敬するある経営者が、『努力は夢中に勝てない』と仰っていますが、私もまさにその通りで、この仕事を心から楽しんでいます」と、長年ファッション畑を歩んできた黒原氏らしい語り口で重責を担う今の気持ちを話す。
黒原氏の広告業界でのキャリアは22年に及ぶが、携帯電話の登場により、プリントからデジタルに、さらにメディアからソーシャルへとプラットフォームが移り変わり、従来のターゲティングやマーケティングでは顧客を掴みにくくなっている。社長に就任してちょうど2カ月が経ち、博報堂Gravityのあるべき姿も見えてきたという黒原氏に、目まぐるしく変化する広告業界の中で思い描くビジョンについて話を聞いた。
■いつの時代も変わらないものと時代に合わせていくもの
---これからの広告会社にとって大事なことは?
黒原康之(以下、黒原):いつの時代も変わらないことは、マーケティングとは顧客を創造することです。誰になにをどう当てていくのか、マーケットのインサイトをきちっと捉えたうえでコンテンツとクリエイティブを開発していくことが大事だと考えています。そして、どこまでいっても人と人との商売ですから、熱量は決してなくしてはいけないものです。クライアント愛ともいえるでしょう。我々のビジネスにおいては、この双方を時代に合わせて最適化することが大事だと考えています。
それから、我々は時代に合ったコミュニケーションのプロであることを自認しています。トリプルメディアと呼んでいますが、かつての広告会社の取引業務の中心であったペイドメディアだけではなく、オウンドメディア、アーンドメディアで情報を設計して、ターゲットにコンテンツとクリエイティブを届けることが今の時代のコミュニケーションの在り方です。さらに今の時代は、ブランド自身がメディア化していく必要がありますので、コミュニケーションのプロとしてこうしたサポートも行っています。
■あるべき姿としての「圧倒的ナンバーワン」
---社長に就任して、今後の博報堂gravityはなにを目指しますか?
黒原:今年、博報堂DYグループのグローバルパーパスが「生活者、企業、社会。それぞれの内なる想いを解き放ち、時代をひらく力にする。Aspiration Unleashed」と策定されましたので、グループにおける自分たちの立ち位置が明確になりました。博報堂Gravityとしては、内なる想いの中でも「Sense of Aspiration」、つまり「憧れ」を解放する役割を担っていくつもりです。
私がバトンを受け取ったのは、ちょうど中期経営計画がスタートするタイミングで、ここから先を未来フェーズだと位置付けています。ファッションおよびラグジュアリー、さらには隣接するライフスタイル領域で「圧倒的ナンバーワン」になることが、博報堂Gravityのあるべき姿だと考えています。ほかの誰よりも、どの企業よりも意見を求められる存在になること、それが圧倒的ナンバーワンであり、あるべき姿だと捉えています。
自己評価ではなく他者評価として圧倒的ナンバーワンだと認められるためには、2つのことが重要だと考えています。ひとつ目は、圧倒的ナンバーワンを標榜するのに相応しい人材の育成です。鋭い洞察力をもって課題解決に繋がる戦略を立案し、実行力を伴って推し進めていける人材です。スキルを高めて、クライアントの事業成長に貢献できる人材に全員がなることを目指します。
ふたつ目は、顧客のポートフォリオの拡大とビジネス領域の拡張です。今あるところから横に広げて、深化していきます。我々のビジネスはファッションが本流ですが、高級車やグルメ、ホテル、高級家電など、ラグジュアリーを志向するライフスタイル商材が増えています。憧れや付加価値の醸成、つまり先ほど申した「憧れの解放」はまさに私たちが培ってきた手法です。これらを武器にライフスタイル領域の顧客開発を推進していきます。
縦の掘り下げも今後は必要です。顧客が商品やサービスを知り、購入、リピート、継続利用に至るまでのプロセス全体を包括的に捉えるフルファネルという考え方がありますが、今までは購入前の領域での広告・アクティベーションを中心に評価されてきました。しかし、最近では購入時や購入後の領域、いわゆるファン化、コミュニティ化まで支援しています。当社ではクライアントのオウンドメディアや、アーンドメディア、ECなどによる継続的なコンテンツ発信を通じてファン化・コミュニティ化を促進する手法をブランド・エディトリアルと呼んでいますが、新たなアライアンスを組むなどして縦の掘り下げを強化していく考えです。
今期は組織も改変しました。営業部門であるビジネスプロデュース本部をビジネスデザイン部と改称しましたが、取引先の投資に本気で向き合い、ビジネスをデザインしてリードしていくという意志を明確にしました。プランニング部門は、マーケットデザイン部を新設して、戦略立案に注力するチームを作りました。次世代リーダー育成のために産学連携での共同研究、あるいは研修プログラムの開発にも着手していきます。社会的使命を見定めながら、血の通ったビジョンを作っていければ、我々に課した未来フェーズは必ずクリアできると考えています。
これまではコロナ禍もあり、オンライン以外で全社員が集まる機会は一度もありませんでしたが、関連会社も含めて約200名の社員を初めて一堂に集めて、このコミットメントを所信表明として伝えました。ただ、個性やカルチャーがあってこそのスペシャルティエージェンシーと思っています。ここまでの規模になるとそういったものは薄れがちになります。現場を知っている私だからこそ博報堂Gravityのカルチャーを作っていかなければいけないとも思っています。
■イマジネーションできないものは実現できない
---これまでのキャリアを振り返ってみると?
黒原:取引先から育てていただいたと思っていますし、仕事を通して多くのことを学ばせていただきました。営業としての基本姿勢を教わった方も何人もいます。特に、2008年から長いお付き合いをさせていただいている外資ブランドの社長(現在は会長)には、いろいろなことを学ばせていただきました。日本を世界の中で最大マーケットまで引き上げた方でしたが、偉ぶった素振りを誰にも見せない人でした。その社長のなかではつねに正解があり、当時としてはあり得なかったのですが日本独自のローカルクリエイティブを担わせていただきました。野澤幸司さん(現在 博報堂キャビンに在籍)という、私が毎日広告社に在籍していた時の先輩のコピーライターと一緒に提案したのですが、プレゼンでも非常に刺さりまして、満場一致で採用が決まりました。実は、プレゼンの時に隣でコピーを読み上げている野澤先輩を見て、感極まってしまい私は泣いてしまったのですが、大きな反響もあり、以来16年にわたって新聞広告の出稿が継続されています。
もうひとつの成功体験は、「コンビニエンス・ストア」をコンセプトにした大型企画です。大きな話題になりましたし、外資ブランドがローカライズした企画を実施する事例の走りになったと自負しています。プロジェクトが大成功しただけではなく、部下やメンバーとの関係値が変わるターニングポイントでもありました。実は、企画が進行する真っ只中に、大きな怪我をして約1カ月間、戦線離脱せざるを得なくなりました。なにもできない状態が続いたので、部下やメンバーを信じるしかありませんでしたが、それがきっかけで自分以外の人間に任せることを覚えました。これも私にとっては成功体験だったといえます。
他の経営者を意識することはあまりありませんが、つねに高い目標を設定して、クリアしている経営者が好きです。目標は高くないと叶わないものですし、イマジネーションできないものは実現できないと思っています。私も経営者として「圧倒的ナンバーワン」をつねに目指していくことで、会社がこれまでは想像もしていなかった領域や規模に到達していたら嬉しいと思います。
■黒原康之(くろはら やすゆき)プロフィール
1979年生まれ。早稲田大学卒業後、毎日広告社、コスモ・コミュニケーションズ、博報堂を経て、博報堂マグネットに移籍。博報堂グループの博報堂マグネットとコスモ・コミュニケーションズが統合して2022年4月に博報堂Gravityが誕生すると、常務取締役に就任。2024年4月に代表取締役に就任。週3回、約6キロを走ることが日課。