企業が人材を「資本」として捉え、その価値を最大限に引き出す「人的資本経営」が注目を集める中、従業員の金融リテラシー向上を通じて経済的な安心を提供し、企業価値の向上につなげる動きが加速しています。本勉強会では、職域向け金融経済教育に関する最新の動向や、企業における導入事例についてをご説明しました。
勉強会では、日本総合研究所の小島明子氏をお招きし、職域における金融経済教育の現状と課題について解説いただきました。さらに、三井化学のグローバル人材部部長・小野真吾氏が、自社における従業員向け金融経済教育の導入経緯や課題についてご紹介。加えて、ZUU Wealth Management取締役の渡邉が、企業向け金融教育の具体的なアプローチや、従業員の金融リテラシー向上がもたらす企業変革の可能性についてお話ししました。本記事では、勉強会のサマリーをお届けします。
登壇者プロフィール

株式会社日本総合研究所 創発戦略センター スペシャリスト

三井化学株式会社 グローバル人材部 部長

株式会社ZUU Wealth Management 取締役
プログラム
第1部:職域における金融経済教育の現状と課題
第2部:従業員向け金融教育を通じた企業価値の向上
第3部:三井化学の金融リテラシー教育の取り組み
第4部:トークセッション
サマリー
第1部:職域における金融経済教育の現状と課題
スピーカー:株式会社日本総合研究所 創発戦略センター スペシャリスト小島 明子(こじま あきこ)氏
ファイナンシャルウェルビーイングが注目される理由について

近年、日本において「ファイナンシャルウェルビーイング」の重要性が高まっている背景には、国際競争力の低下と企業の生産性の課題がある。特に、日本の競争力ランキングは年々下降傾向にあり、その要因の一つとして企業の生産性の低さが指摘されている。こうした状況を改善するために、「人的資本経営」が注目されており、その中でも従業員のエンゲージメント向上が鍵とされている。

ウェルビーイングとは、個人の権利や自己実現が保証され、身体的、精神的、社会的に良好な状態を指す概念であり、その中でも「フィナンシャルウェルビーイング」は、特に経済的安定や将来の不安を軽減する要素として重要視されている。しかし、金融庁の調査によると、現役世代の約半数が金銭的な不安を抱えており、これは働く目的が「安定した収入を得ること」と密接に結びついていることを示している。このような状況を踏まえ、企業が従業員のファイナンシャルウェルビーイングの向上に向けた取り組みを強化することが求められている。
企業の従業員に対する資産形成支援の現状について

企業による従業員の資産形成支援の取り組みは進んでいるものの、依然として課題が多い。企業が提供する資産形成制度の中では、財形貯蓄が最も利用されているものの、導入率は約3割にとどまっており、他の制度の利用率はさらに低い。また、中小企業や創業間もない企業では、財形貯蓄制度すら導入されていないケースも多く、制度の普及には大きな差があることがわかる。
さらに、従業員の視点から見ると、資産形成制度の存在を知らなかったり、制度の利用方法が分からなかったりすることが、利用率の低さにつながっていると考えられる。企業と従業員の意識のギャップも大きな課題であり、企業側は「資産形成は従業員の自助努力によるべき」と考える傾向が強いのに対し、従業員側は「企業による支援を求めている」ことが調査結果から明らかになっている。このミスマッチを解消するためにも、企業は金融経済教育の強化や、資産形成支援策の拡充を進める必要がある。
職域における金融経済教育が必要な背景や理由について 政府も職域における金融経済教育の推進に積極的に取り組んでおり、例えば「資産所得倍増プラン」では、企業が従業員の資産形成を支援することを求めている。また、経済産業省はライフデザイン支援の一環として、従業員が早い段階から人生設計を考えられるような仕組み作りを推進している。
職域における金融経済教育の必要性は、労働市場の変化や少子高齢化の進展によってさらに高まっている。現在、日本の労働市場では45歳以上の就労者の比率が増加しており、今後もシニア世代の労働参加が拡大することが予想される。こうした中で、従業員が自身のキャリアやライフプランを主体的に考え、経済的な安定を確保することが求められている。

また、現代のキャリア形成においては、終身雇用の崩壊や非正規雇用の増加などにより、「自立したキャリア設計」が重要視されている。特に、就職氷河期世代のように、厳しい雇用環境の中でキャリアを築いてきた人々にとっては、金融知識の不足が将来の選択肢を狭める要因となり得る。さらに、ライフスタイルの多様化により、個人の価値観に応じた資産形成が必要になっていることも、金融経済教育の重要性を高めている。
職域における金融経済教育推進に向けた今後の課題について

職域での金融経済教育を推進する上で、いくつかの課題が存在する。第一に、企業の意識改革が必要である。多くの企業は、資産形成や金融教育を従業員の自己責任と捉えているが、企業が主体的に関与することで従業員のエンゲージメント向上や生産性の向上につながる可能性がある。従って、企業側が金融経済教育の意義を理解し、積極的に取り組む姿勢を示すことが求められる。
第二に、金融リテラシーを向上させるための教育プログラムの整備が必要である。政府も「良質なアドバイザーの育成」や「金融経済教育の普及」を掲げているが、企業や教育機関と連携した実践的な学習機会の提供が不可欠である。特に、従業員が自らのライフプランに沿って資産形成を行えるよう、実践的な知識を提供することが求められる。
第三に、金融経済教育の普及にあたっては、企業の規模や業種による格差を是正する取り組みが必要となる。大企業では一定の金融教育プログラムが整備されているケースもあるが、中小企業では十分な支援が行われていないことが多い。そのため、中小企業向けの支援策の強化や、従業員が個人で学べる環境の整備が求められる。
このように、金融経済教育の推進は、日本の経済や労働市場の変化に対応し、従業員のキャリア形成や生活の安定を支える重要な取り組みである。今後は、企業・政府・教育機関が連携し、より実効性のある教育プログラムを構築することが求められる。
第2部:従業員向け金融教育を通じた企業価値の向上
スピーカー:株式会社ZUU Wealth Management 取締役 渡邉 練(わたなべ れん)氏

企業が従業員向けに金融教育を行う理由は、大きく2つの背景がある。1つ目は、従業員エンゲージメントの向上。企業にとって、従業員が長く働き、パフォーマンスを発揮し続けることは重要な課題であり、賃上げだけでなく、別の方法でその課題を解決する必要がある。金融リテラシーを高めることで、自社の福利厚生制度や持ち株会の魅力を理解し、結果的に従業員の会社への満足度やエンゲージメントが向上することが期待される。

2つ目は、国全体の金融リテラシー向上という課題に企業も関与する必要性があることだ。年金だけでは老後の生活が成り立たない可能性が指摘される中、政府はNISAやiDeCoといった制度を整えているが、それらの認知や活用は十分に進んでいない。企業が金融教育を提供することで、従業員の将来の不安を軽減し、安定した生活を送れるよう支援することが求められる。

このような金融教育がもたらす結果として、従業員が自社の制度を理解し、適切に活用することで、転職を検討する理由が減少することが挙げられる。企業側は採用や育成に大きなコストをかけており、1人の退職が500万円もの損失になるというデータもある。金融教育を通じて、従業員が自社の魅力を再認識することで、不要な転職を防ぎ、企業との関係を強化することができる。また、持ち株会の加入率が低下する中、金融教育を行うことで、従業員が企業の成長に関心を持ち、持ち株を保有し続ける動機づけにもつながる。企業が一般的なマネーセミナーではなく、自社の制度を活用した具体的な金融教育を提供することで、より実践的な学びの機会を提供し、従業員の生活を豊かにするとともに、企業の成長にも貢献することが期待される。
第3部:三井化学の金融リテラシー教育の取り組み
スピーカー:三井化学株式会社 グローバル人材部 部長 小野 真吾(おの しんご)氏

2018年度からグローバル従業員を対象としたエンゲージメントサーベイを実施し、エンゲージメントスコアとその要因を分析しながら、データに基づいた改善策を講じている。
その中で、経営陣と社員の対話を強化し、個人の働く意味と企業のパーパスを結びつける取り組みが進めたり、働き方改革として、服装の自由化や副業の解禁などの制度を導入し、社員一人ひとりが自立しやすい環境を整えたりしている。さらに、キャリア形成の観点からも、メンター制度や社内公募、副業制度を活用することで、社員が自らのキャリアを主体的に築けるよう支援している。加えて、評価・表彰制度を見直し、社員が失敗を恐れず挑戦できる環境を整備している。

三井化学の人材マネジメントの方針として、会社と従業員の関係は対等であり、従業員は自分の幸福や自己実現を追求し、会社はその成長を支援して持続的な成長を目指すという方針がある。また、キャリア形成においては、従来のスキル開発から、自分自身のキャリアをどのように自律的に築くかという点が重要視されている。現在、キャリアは一人一人異なり、選択肢も多様化しているため、従業員の自律的なキャリア形成を支援する取り組みが必要となっている。

また、従業員がキャリアを築くためには「ビジネス資本(仕事で必要なスキルや経験)」「社会関係資本(ネットワーク)」「経済資本(お金や資産)」の3つの要素が重要だとされている。特に経済資本に関する理解を深めることは、社員の自律的なキャリア形成にとって重要な要素となる。そのため、持ち株会や退職金、NISAなどの福利厚生制度についての説明会を実施し、社員が適切に活用できるよう支援している。また、労働組合とも連携し、中立的な立場から金融リテラシー教育を推進している。
社員の「お金」と接する機会の増加により得た経験やネットワークがキャリア形成にもつながるため、金融リテラシーの向上は個人の成長のみならず、企業全体のイノベーション創出にも寄与してくると考えている。
第4部:トークセッション

テーマ:自律的なキャリアを支援するために、各企業はどのような取り組みをしているか?
モデレーター:渡邉さんは企業様を支援しているが、どういった取り組みをしているのか?
渡邉氏:お金がいろんなもののブレーキになったり、エネルギーになることがあるため、お金がそもそもどう生み出されているのかを皆さんにお伝えしていくことをとても大事にしている。その中で、資産形成の前に金融資本、固定資本、人的資本の3つの資本の形成が重要というお話をよくさせていただいている。
モデレーター:渡邉さんのお話を踏まえ、実際に三井化学さんはいろんな制度に取り組んでらっしゃるが、実施前後で変化はあったか?
小野氏;従業員は以前、会社の制度について知らないことが多く、それがライフプランを考える上での障壁となっていた。しかし、これらの制度を理解することで、自分のライフプランを立てやすくなり、会社に依存せずに計画を立てることができるようになったと考えられる。最近では、セミナーだけでなく、個別相談やYouTubeなど様々な情報源にアクセスできるようになり、従業員の意識が高まっている。組合のアンケートや相談状況からも、以前に比べて反応が良くなっていると感じる。
モデレーター:小島様は、企業のマクロな調査研究や各企業の事例を見ている中で、特に特徴的だと感じる点はあるか?
小島氏:最近、ミドルシニア層のキャリアに関する課題を抱える人が増えており、従業員の中でその割合が高まる中で、これらの人材をいかに活用するかが企業にとって重要な課題となっている。企業は、経営経験者への投資を増やし、研修支援を強化する傾向にある。また、マネープランの支援も並行して行う企業が増えていると感じている。 一方で、定年前のキャリア研修に対して従業員が「なぜ今?」と感じ、会社から裏切られたように思うことがあるという問題もある。企業はこの問題を認識し、研修やキャリア支援が「従業員のために行っていること」というメッセージをきちんと伝えることが重要だと感じている。
■本件の問い合わせ先
株式会社ZUU 広報担当:pr@zuuonline.com