第一医科株式会社

1953年創業の第一医科株式会社は、耳鼻咽喉科領域に特化した医療機器メーカー。二代目として事業を承継した林正晃代表取締役は、医療事故や東日本大震災による工場全壊といった度重なる危機を克服し、業界を牽引する医療機器メーカーへと導いてきた。

林氏はISO13485取得による品質管理の抜本改革や、産学官連携を通じた先進治療装置の薬事承認・保険償還の実現、さらには早期からのDX推進など、守りと攻めの戦略を次々と断行している。

「みみ、はな、のど、めまいのエキスパート集団 」として予防・福祉領域やグローバル展開へ挑む同氏の歩みから、危機を突破し持続的な成長を実現する経営論に迫った。

林 正晃(はやし まさあき)──第一医科株式会社 代表取締役
1971年、東京都生まれ。慶應義塾大学で統計学とアルゴリズム、大学院MBA課程で医療経済やプラットフォームビジネスを研究。中外製薬のMRを経て、父である創業者の林重昭氏が手掛ける第一医科株式会社へ1998年に入社。2006年に代表取締役に就任し、徹底した品質管理と独自の製品開発、保険適用を見据えたビジネスモデルの構築により、耳鼻咽喉科領域でシェア首位への躍進を牽引。AI活用やグローバル展開を見据え、「みみ、はな、のど、めまいのエキスパート集団 」としてさらなる進化を目指している。
第一医科株式会社
1953年創業。東京都文京区に本社を置き、耳鼻咽喉科(耳・鼻・喉・めまい)領域に特化した医療機器の自社開発・製造・販売・メンテナンスを一気通貫で手掛ける専門メーカー。大学病院との共同研究や治験、薬事承認、保険償還の獲得まで見据えた独自の開発体制を強みとし、全国の医療現場と患者を支える。2020年には「みみ、はな、のど、めまいのエキスパート集団 」を理念に掲げ、AI診断支援や予防・福祉領域、グローバル市場への進出など新たな価値創造に挑んでいる(2026年7月現在)。
企業サイト:https://www.first-med.co.jp/

目次

  1. 統計学から製薬会社MRへ。そして先代の急病による帰郷
  2. 全国紙に社名が出る事態。安全性を最優先する組織への転換
  3. 東日本大震災での工場壊滅。BCPの重要性と安定供給の責任
  4. DXの先駆者として。エクセルマクロからAI活用まで自ら実践
  5. 月1回の社内報と朝礼。20年間欠かさない対話が組織を強くする
  6. 「みみ、はな、のど、めまいのエキスパート集団」として世界を変える未来図

統計学から製薬会社MRへ。そして先代の急病による帰郷

── 大学院を修了した後、すぐに第一医科に入社せず、製薬会社に入社したそうですね。

林氏(以下、敬称略) 私は大学で数理科学を専攻し、アルゴリズムや統計学を学びました。1990年ごろのことですが、当時はまだ初期段階だったAIや統計の基礎に触れる機会を得ました。

あのときもっと深く研究していれば、現在のビッグデータやAIの潮流をより深く理解できたかもしれないと、少し後悔する気持ちもあります。

大学院で2年間、MBA課程で医療経済を勉強しました。その後、中外製薬に入社し、大阪でMRとして勤務しました。

当時の中外製薬は業界で7、8番手ほどの規模でしたが、顧客に密着した伝統的な営業スタイルを重んじる会社でした。非常にハードかつ大阪の「オモロイ」環境で鍛えられたことは、私にとって大きな財産です。

先日当時の社長だった永山名誉会長にお会いしたり、現在の同社の躍進をニュースで見るたびに、当時の経験を懐かしく思い出すとともに、企業が成長する力の大きさに驚かされます。

── 入社したのはどういうタイミングだったのですか?

林 もともと、自分で事業を起こしたいと考えていました。ただ、父が体調を崩したことで、その時が来てしまった、というのが実際のところです。1998年のことでした。それまでは父の会社が具体的に何をしているのか、詳細までは把握していませんでしたが、急ぎ大阪から東京へ戻り、両親の様子や社員の姿を見て、自分が入社して会社を支えるのが最善の選択だと決意しました。

入社から約7、8年ほど実務を経験し、2006年に社長に就任しました。当時の第一医科は、耳鼻咽喉科という非常に専門的な領域で業界2位のポジションにありました。

歴史のあるトップ企業が君臨する中で、当時の社員たちは「いつか一番になりたい」という強い意欲を持っていました。

中外製薬のような大企業とは規模も文化もまったく異なりますが、社員一人ひとりの熱意や交渉力の強さに、非常に心強さを感じたことを覚えています。

「みんなで一番を目指そう」という目標を掲げ、私たちの挑戦が始まりました。しかし、その道のりは決して平坦なものではありませんでした。

全国紙に社名が出る事態。安全性を最優先する組織への転換

── 社長就任前後には、大きな試練もあったそうですね。

林 入社して間もなく、当社の機器を使用した医療行為に問題があるとして、全国紙の一面に社名が掲載される事態が起きました。

この出来事は、医療機器を扱ううえでのコンプライアンスの重要性を痛烈に実感するきっかけとなりました。厚生労働省が管轄する法律を厳守することの重みを、身をもって知りました。

さらに数年後には、当社の機器が使用された手術において、患者さんが負傷される事故が発生しました。役員になったばかりの私が病院へ向かい、ご家族から厳しいお言葉をいただいた経験は、今も忘れることができません。

医療機器は医師が使用する道具ですが、何よりも安全性が最優先されなければならない。その当たり前の事実を、心の底から刻み込んだ瞬間でした。

これらの経験が、その後の品質管理体制の抜本的な改革へとつながります。

東日本大震災での工場壊滅。BCPの重要性と安定供給の責任

── 東日本大震災でも、大きな被害を受けたとか。

林 宮城県にあった当社の主力商品の製造工場が、津波によってすべて流失しました。外注先の工場ではありましたが、供給が完全にストップする危機に直面しました。

このとき、医療機器を安定的に提供し続ける責任の重さを再認識しました。自社だけでなく、サプライチェーン全体を含めたBCP(事業継続計画)の重要性を痛感したのです。

結果として工場は復興できましたが、この経験は「持続可能な供給体制」を構築するうえで欠かせない教訓となりました。

コンプライアンス、安全性、そして持続可能性。社長就任までの前半期は、こうした数々の困難から学びを得る期間でした。

これらの課題を解決するために、私は法改正に先駆けて医療機器の品質規格であるISO13485の取得を急ぎました。

職人の技術に頼るだけでなく、品質を安定させ、外部の第三者機関の監査に耐えうる組織へと変貌させる必要があったからです。

── 組織改革と並行して、製品開発でも独自の戦略を打ち出したとか。

林 社長就任後は、守りだけでなく攻めの姿勢に転じました。海外視察を重ねる中で、「日本国内だけでなく、世界にも類を見ない製品を作る」という目標を社員と共有しました。

その象徴的なプロジェクトが、大学病院との共同研究から生まれたメニエール病の治療装置開発です。

医療機器の有効性を示すためには、薬と同様に「治験」が必要です。莫大な費用がかかるため、中小企業には不可能だと言われていました。

しかし、当時の国の「医療イノベーション5か年戦略(2012年6月6日、医療イノベーション会議決定)」に合致し、経済産業省の委託事業として採択されたことで、数億円規模の予算を投じた開発が可能になりました。

50年の歴史で培った大学病院との信頼関係をベースに、治験を経て厚生労働省から承認を受けるという、高いハードルを乗り越えました。

これにより、品質と安全性に加え、科学的な有効性という強力な武器を手にすることができました。

── 承認を得た後の、普及に向けたビジネスモデルの構築も重要ですね。

林 承認を得るだけでは、患者の皆さんのもとには届きません。高額な自由診療ではなく、保険診療として認められるための活動に注力しました。

日本めまい平衡医学会などのアカデミアと連携し、国に対して保険適用の要望を行いました。

その結果、保険償還を実現し、経済的負担を軽減しながら治療を提供できる体制を整えました。

このプロセスを通じて、当社にとっての経済性だけでなく、国や患者にとっての経済合理性を考える視点を得ました。

また、開発途中で製造を担っていた技術系企業が廃業の危機に陥った際には、新たに会社を設立し、ブランドと品目の薬事承認、そして社員を引き継ぐことで供給体制を維持しました。私自身もしばらく代表取締役を務めています。その会社も昨年10周年を迎え、当社の重要なパートナーとして共に歩んでいます。

DXの先駆者として。エクセルマクロからAI活用まで自ら実践

── 社長自ら、IT化やデジタル活用に積極的に取り組んでいるとか。

林 私が入社した1998年当時、社内にはパソコンが数台しかありませんでした。営業担当者が手書きで見積書を作成している状況を見て、まずはエクセルで見積作成支援マクロを自作しました。

業務効率を高めるだけでなく、ナレッジを共有する体制を構築するためです。自ら営業として現場で使い勝手を改善し続けることで、社内にデジタル活用の文化を浸透させました。

その後も、業界に先駆けてISOを取得し、営業現場へのタブレット導入や、動画によるメンテナンス解説の制作などを進めました。

現在はAIの活用にも取り組んでいます。新しいことを始めるときには必ず反対勢力が現れますが、私はそれで良いと考えています。

「そんなことは無理だ」という反対があるからこそ、それを乗り越えて実現したときに大きな価値が生まれます。

私自身が先頭に立って実践し、背中を見せることで、会社全体の雰囲気を変えてきました。

月1回の社内報と朝礼。20年間欠かさない対話が組織を強くする

── 組織運営において、特に大切にしていることは何ですか。

林 やはり「人の問題」が最も重要であり、かつ難しい課題です。ビジョンを語っても響かないときもありますし、ベテラン社員との意見対立に悩むこともありました。

しかし、現在の稼ぎを作ってくれている社員への感謝を忘れてはいけません。新しい挑戦ができるのは、既存のビジネスを支えてくれる仲間がいるからです。

その感謝を伝え、ベクトルを合わせるために、社長就任以来20年間続けていることがあります。

月1回の社内報でのメッセージ発信、月2回の朝礼、そして半期に一度の全社員会議です。直接自分の言葉で語りかける場を、どんなときも欠かさず設けてきました。

「みんなで一番になろう」と社員と交わした約束は、数年前に果たすことができました。これは社員全員の努力の賜物です。

「みみ、はな、のど、めまいのエキスパート集団」として世界を変える未来図

── 国内市場の縮小や環境の変化が加速するなか、既存の枠組みを超えて新たな価値を創造し、社会に貢献する組織をつくり上げるために、経営者や次世代のリーダーにはどのような視点や姿勢が求められるでしょうか。

林 2020年に「みみ、はな、のど、めまいのエキスパート集団として世の中を変える」という経営理念を定めました。

国内市場が縮小する中で、私たちは医療保険の枠組みを超えた予防や福祉の領域、そしてグローバル市場へと視野を広げています。

AIを活用した診断プロセスのイノベーションなど、医師のパートナーとして新たな価値を創造する余地はまだたくさんあります。

これから事業を承継する若い世代の方々には、ぜひ自分自身が何かの「エキスパート」になり、集団をまとめる気概を持ってほしいと願っています。

自分だけが優れていても組織は変わりません。個々の専門性を高め、それを集団の力へと昇華させることで、初めて社会「世の中」を変えることができます。

厳しい環境ではありますが、志を同じくする仲間と共に、新しい医療の形を切り拓いていきましょう。

氏名
林 正晃(はやし まさあき)
社名
第一医科株式会社
役職
代表取締役

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