1976年に創業し、2026年に50周年を迎える株式会社ビジョンメガネ。かつては全国に300店舗近くを展開したが、低価格ショップの台頭やオーバーストアにより、2013年には民事再生法の適用を申請する苦境に立たされた。
この“火中の栗”を拾い、生え抜き初の社長として再建を主導したのが安東晃一氏である。過去の拡大路線の反省から「質」の向上を最優先に掲げ、現在はカメラのキタムラグループ傘下で再成長を目指す。激動の市場を生き抜く同社の戦略を、安東氏に聞いた。
企業サイト:https://www.vision-megane.co.jp/
紆余曲折を経て迎えた創業50周年
── ビジョンメガネのこれまでを教えてください。
安東氏(以下、敬称略) ビジョンメガネは1976年に創業し、2026年でちょうど50周年にあたります。もともとの創業は大阪府東大阪市で、1店舗目は大阪市の阪急淡路駅前でした。
名前の通りメガネの小売からスタートし、関西を中心に店舗網を広げています。店舗数が最も多かった2003年ごろには、全国に288店舗を展開するまで拡大しました。
しかし、その時期をピークに業績は右肩下がりに。出店攻勢から一転して、不採算店舗の撤退や閉店を重ねる時期が続いたのです。2011年には上場廃止、2013年には民事再生法の適用を申請する事態に陥りました。
組織の統合、分割など、さまざまな紆余曲折がありました。ビジョンメガネという屋号は50年続いていますが、存続の危機を何度も乗り越えて今に至ります。
── メガネに関わるモノづくりを中心に歩んできたのでしょうか?
安東 当社は小売店で、製造はメーカーにお任せしています。ただし、一般的な小売店が仕入れと販売のみを行うのに対し、当社は独自の歩みをたどりました。
創業者の吉田武彦氏は、自社オリジナルの商品開発にこだわっていました。発明的な視点を持ち、メーカー的な「商品を生み出す力」を備えていたことが特徴です。
たとえば、激しく動いてもずれない「マイドゥ」という商品があります。また、携帯電話のアンテナ素材を活用した「ケータイフレックス」も当社のオリジナルです。これらは現在もメイン商材として、他社にはない強みを発揮しています。
単なる小売店という枠を超え、独自の価値を持つ商品を提供し続けています。
メガネが低価格化する中で採る戦略とは?
── メガネ市場についても教えてください。
安東 メガネ市場は、この30年で劇的な変化を遂げました。私が入社した今から約30年前、市場規模は約6000億円台で、全国に約1万3000店舗がありました。
大きな転換点は、2000年代前半のロープライスショップの登場です。Zoff様やJINS様といった、5000円や7000円でメガネを提供する業態が生まれました。これにより、メガネの単価は急激に下落しています。
以前はフレームとレンズのセットで3万5000円から4万円ほどが一般的でした。しかし、低価格ショップの台頭により、市場全体の単価が大きく押し下げられています。
その後、眼鏡市場様などの参入もあり、おしゃれで安く買える文化が定着しました。直近の市場規模は約5000億円台といわれており、かつての6000億円規模から縮小しています。
現在は少し反転の兆しがありますが、決して楽観視できる大きな市場ではありません。このような環境下で、いかに独自の価値を出すかが問われています。
── その中で低価格路線に進まないのはなぜでしょうか?
安東 当社の強みは、レンズの価値をしっかりとお客さまに提案することです。測定から始まり、お客さまの使用感や生活スタイルに合わせた最適な度数を決定します。
他社が「レンズ代込み」のセットプライスを主流にするなか、当社はコンサルティングを重視します。お客さま一人ひとりにぴったりのレンズをご提案し、提供することがこだわりです。
この強みを支えるのが、スタッフの知識と技術力です。当社には独自の社内資格制度があり、スタッフの育成に心血を注いでいます。技術力と知識力においては、他社に負けないという自負があります。
単価競争に巻き込まれるのではなく、専門性の高さで信頼をいただく戦略を採っています。
── 接客のアプローチも一般的な店舗とは異なるのでしょうか?
安東 当社は、コンサルティング販売のスタイルを徹底しています。お客さまのご要望を丁寧にヒアリングし、最適なものを提案することで深い信頼を得ます。
目指すのは、「次もビジョンメガネでつくる」といっていただけるような、長いお付き合いです。コンビニエンスストアのように手軽に買うスタイルとは、一線を画しています。
実は過去に、ロープライスショップに対抗しようとした時期もありました。「Max-A」(マックスエー)というブランドを立ち上げ、5000円や7000円の価格帯を展開したのです。しかし、先行する低価格特化型の企業に価格で勝つことは困難でした。
この経験から、自分たちの本来の強みを見つめ直すことになりました。
「火中の栗」を拾い、安東氏が社長になるまで
── 安東社長が入社した経緯について教えてください。
安東 大学の同級生が会社説明会のポスターを見て「一緒に行かないか」と誘ってくれたことが最初のきっかけでした。
そこで話を聞く中で、「メガネは多くの人が人生の中で一度は必要になる商材だ」ということに気づき、そこに魅力を感じて入社を決めました。
実は、不思議なご縁もありました。私の母親が高校の同窓会に行った時に、恩師の方にお会いしたのですが、その方がたまたまビジョンメガネで働いていたのです。私が説明会に行った時にもその方がいらっしゃって、「あ、あなたが息子さんですか」といったご縁もありました。そんな人の縁も感じつつ、一般の社員と同じルートで入ったというのが経緯です。
入社後は、半年で店長に抜擢されました。当時は若手を積極的に登用する方針があり、ベテランのサポートを受けながら経験を積みました。その後、研修での話しぶりを評価され、教育担当として本社へ異動しました。
現場の苦労と本部の実務の両方を経験したことが、経営者としての基礎となりました。
── 2013年の民事再生という困難な時期をどのように乗り越えましたか?
安東 上場廃止後、会社は非常に厳しい資金状況にありました。民事再生を申し立てるわずか2週間前、親会社の代表就任を打診されました。当時は経営のすべてを把握していたわけではありませんが、会社を破産させるわけにはいきません。「やるしかない」という覚悟だけで、火中の栗を拾う決断をしました。
私は生え抜きの社員として、仲間とともに会社を残す道を選びました。私のリーダー像は、先頭でグイグイ引っ張る“機関車”タイプではありません。サッカーでいえばディフェンスのように、後ろから全体を見守り、メンバーを後押しするタイプです。
社員たちが「自分たちがやらなければならない」と自立して動く組織を目指しました。
── 創業家から生え抜き社長へ交代し、組織はどう変わりましたか?
安東 創業者は強力なリーダーシップで会社を牽引する方でした。対して私は、みんなのやりたいことを後ろから支えるスタイルをとっています。同期や先輩、後輩たちが、私を「サポートしなければならない」と思ってくれたことに助けられました。
自分たちの強みを再認識し、それを伸ばすことに注力した結果、回復の軌道に乗りました。
現在は、かつての失敗を教訓に、教育体制の充実に力を入れています。新規出店を急ぐあまり教育が追いつかなかった過去を反省し、基礎を固めているところです。社内資格制度を通じて、どこの店舗でも高いサービスを受けられる体制を構築します。
「質」を担保した上での成長こそが、今のビジョンメガネが進むべき道です。
スマートグラスを新たな成長の材料に
── 今後の展開や投資を考えている領域について教えてください。
安東 今後は、人材の補強を進めた上で新規出店を再開します。現在は直営で100店舗を切る規模ですが、かつて出店していた地域への再進出を模索したい。
現在はキタムラホールディングスのグループ傘下にあり、カメラとメガネはレンズを通して「見る」「撮る」という親和性があり、顧客層も重なるので、カメラのキタムラとの複合店舗など、グループのブランド力を生かした出店も実施します。
また、スマートグラスなどの新技術についても、大きなチャンスです。一時期はプライバシーの問題などで普及が足踏みしましたが、市場は確実に広がります。
「見る」ことに興味を持つ方が増えることは、業界全体の活性化につながります。
── スマートグラスの普及は、既存のメガネ店にとって脅威になりませんか?
安東 むしろ、専門店としての役割がより重要になると考えています。
度付きレンズの対応やフィッティング、細かな調整などは、技術を持つ店舗でしかできません。スマートグラスが普及すれば、測定やメンテナンスのために来店される機会が増えます。「家では普通のメガネ、外ではスマートグラス」という使い分けも進むでしょう。
テクノロジーの進化をピンチではなく、商材が増えるチャンスととらえています。将来、スマートフォンに代わるデバイスとなる可能性もあり、競合の概念も変わります。どのような時代になっても、お客さまの「みえる」を支える技術力は不可欠です。
私たちはその技術を磨き続け、新たな価値を提供し続けます。
- 氏名
- 安東晃一(あんどう こういち)
- 社名
- 株式会社ビジョンメガネ
- 役職
- 代表取締役社長

