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株式会社アフロは、JOC(日本オリンピック委員会)のオフィシャルフォトエージェンシーであり、ロイターやAP通信をはじめとする世界の主要通信社の国内総代理店として、日本の報道・広告界を支え続けてきた。

創業は1980年。当時、国内には約300社のフォトエージェンシーがひしめいており、アフロは最後発の“新米”だった。代表の青木紘二氏は、写真家として世界中を飛び回りながら、オリンピックへの情熱を原動力に同社を立ち上げた人物である。以来、銀行からの借り入れも外部投資も受けず、自ら稼いだ資金だけで会社を育て、1993年からは黒字を守り続けてきた。

いま、アフロには一日に5万〜6万点もの写真が世界中から届く。生成AIの台頭という荒波のなかにあっても、青木氏はむしろ「人間がその場で真実を写す写真の価値は高まる」と語る。

ニュースの公共性、クリエーティブの価値、そして次世代へ写真文化を継承するための取り組みまで、青木氏の哲学を深く掘り下げた。

青木 紘二(あおき・こうじ)──株式会社アフロ 代表取締役/写真家。
富山県生まれ。世界中を飛び回る写真家として活動するかたわら、1980年にアフロフォトエージェンシー(現在の株式会社アフロ)を設立。スポーツ、ニュース、広告写真など多岐にわたるビジュアルコンテンツの提供を行い、日本を代表するフォトエージェンシーへと成長させた。
株式会社アフロ(AFLO)
1980年、アフロフォトエージェンシーとして設立。写真・動画のストックフォト販売、報道写真の配信、広告撮影、デジタルコンテンツ制作、海外・国内撮影のロケーションやモデル手配等のコーディネート、高品質のプリント制作まで手掛ける総合ビジュアルエージェンシー。ロイター、AP通信、AFP通信、新華社、Magnum Photos、The New York Timesなどなど、世界各国の主要通信社と提携し、日本国内のメディアへ高品質なニュースコンテンツを提供している。また、JOC(日本オリンピック委員会)などの公式フォトエージェントも務める。
ウェブサイト:https://group.aflo.com/

目次

  1. オリンピックへの情熱とJOC公式エージェントへの道
  2. 世界三大通信社を網羅する「ニュースの公共性」への挑戦
  3. AI時代における「真実を写す写真」の絶対的な価値
  4. 社員140名の声を直接受け止める「自己報告書」の文化
  5. 失われゆく写真文化を次世代へつなぐアーカイブ事業
  6. 国際的な視点から見た日本経済の現状と「老舗」への展望

オリンピックへの情熱とJOC公式エージェントへの道

── 子供のころからオリンピックに強い関心を持っていたそうですね。

青木氏(以下、敬称略) 子供のころからオリンピックが大好きで、何とかしてオリンピックに関わる仕事をしたいと必死でした。その夢をかなえる過程は、本当に楽しかったです。原点は1964年の東京オリンピックです。マラソンのアベベ選手にレンズを向けたとき、涙を流しながらシャッターを切っていました。あのときに、この仕事をしたいと決めてしまったのだと思います。

しかし、思いだけでオリンピックに関われるわけではありません。1976年にカメラマンとして独立し、1980年にアフロを立ち上げ、スポーツ分野で少しずつ実績を積み重ねて、ようやくオリンピックの話ができる会社になりました。

当時は、JOC(日本オリンピック委員会)のオフィシャルエージェンシーになるために、さまざまな説得を重ねました。特に若いスタッフたちが一生懸命に動いてくれたことには、今でも感謝しています。

彼らがJOCに対して「アフロと一緒にやりましょう」と働きかけてくれました。写真集のような質の高い作品を作りたいという私の思いを、丁寧に伝えてくれたのです。その積み重ねが、現在の信頼関係につながっています。

── 創業当時は、どのような写真が主流だったのでしょうか。

青木 当時はクリエーティブな広告写真が主力でした。カレンダーやコマーシャルに使われる写真がビジネスの中心です。

一方で、報道系の写真は、スポーツやエンターテインメントを除けば、国際ニュースなどは利益にならないと言われていました。フォトエージェンシーが扱うものではなく、ニュースエージェンシーがやるものだという風潮があったのです。

しかし、私自身の趣味はニュースです。テレビ番組でもニュースが一番面白いと思っています。世界では毎日、興味深いことがたくさん起きています。

私は55年間にわたり世界中を回ってきましたが、現地で拾うニュースの多くが日本には入ってきません。香港やシンガポールのような国際都市では常に流れているニュースが、日本では流れていない。これは良くない状況だと感じていました。

── 日本人の国際感覚についても、危機感を持っていたのですね。

青木 小学校のときに、先生から「日本には資源がない。だから製品を作って世界に輸出する国にならなければいけない」と習いました。実際、そのとおりです。

それならば、日本人はもっと世界について知るべきです。自分がニュース好きであることも手伝って、会社として世界のニュースを扱いたいと宣言しました。

当然、社内では反対するスタッフもいました。責任が重いうえに、もしフェイクニュースを流してしまえば大きな問題になります。それでも、私は世界のニュースをすべて扱いたいという強い気持ちを持っていました。

世界三大通信社を網羅する「ニュースの公共性」への挑戦

── その後、ロイター通信との契約を実現しています。

青木 運良くロイターと契約できました。2007年のことです。世界三大通信社の一つと提携できたことは大きな一歩です。

私の考えは、一社だけでなく、あらゆるエージェンシーのニュースを扱いたいというものでした。各国、各エージェンシーによって、同じニュースでも内容や視点は少しずつ異なります。

どれが正しいかを判断するのは私ではなく、それを見た読者であるべきです。私の主観が入ることを避け、多様な情報を提示する場を作りたかったのです。

── 当時のニュース市場はどのような状況だったのでしょうか。

青木 市場は縮小傾向にあり、ニュースエージェンシーも以前ほど収益が上がらなくなっていました。これは非常に怖いことです。

正しいニュースを作るには、膨大なコストがかかります。収益性が悪化してニュースを作らなくなれば、私たちは何を信じて生きていけばいいのか分からなくなります。

ニュースエージェンシーは、情報の正確性を確認して配信しています。その機能が失われることは、社会にとって大きな損失です。国民の多くはニュースを無料だと思っていますが、実際には多額の費用がかかっています。

正しい報道を維持するために、適切な対価を還元することは国民の責任でもあると私は考えています。

── ロイターに続き、AP通信やAFP通信とも提携していますが、その影響や当時の状況も教えてください。

青木 業界の状況が悪化しているときこそ、チャンスだととらえるようにしています。私は深刻に悩みすぎることはありません。カメラマンですから、最悪でも自分で写真を撮れば食べていけるという自負があります。

日本の狭い市場で、各通信社が価格競争をしてニュースを売ることは健全ではありません。そこで私はAP通信の社長に「一緒にやって、無用な争いを避けるべきだ」と提案しました。

彼は非常に心の広い方で、私の提案を受け入れてくれました。当時、APとロイターを同時に扱う代理店は世界には存在せず、私たちが第一号となりました。

これが軌道に乗ったことで、フランスのAFP通信とも契約。さらに、欧米メディアとは異なる視点も必要だと考え、中国の新華社やロシアのタス通信とも契約しました。

── あらゆる陣営のニュースがアフロに集まるようになったのですね。

青木 すべてのニュースが入ってくる体制を整え、それをどう判断するかは報道機関に委ねています。私個人がどのニュースを正しいと思っているかは、公には言わないようにしています。

現在、アフロには一日に5万点から6万点の写真が入ってきます。スタッフがそれを日本市場向けに数千点まで選別しますが、アフリカなどの遠い国のニュースは、残念ながら日本ではなかなか売れません。

しかし、ビジネスチャンスは確実に存在します。

AI時代における「真実を写す写真」の絶対的な価値

── 近年は生成AIの技術が急速に発展しています。写真の価値はどう変わると考えていますか。

青木 AI画像を拒否することはできません。広告制作などを安価に行ううえで、AIは非常に便利なツールです。

アフロにとっても影響はありますが、拒絶するのではなく、どう吸収して共存するかが大事です。現在、どのようにAI画像と共存していくべきか、検討を進めています。

一方で、真実を写す写真の価値は、むしろ高まると確信しています。人間が実際にその場にいて、起きたことを記録する。この行為は絶対的なものです。

AIは過去のデータを学習して画像を作りますが、今この瞬間に起きている新しい出来事を「撮る」ことはできません。ここに、クリエイティブな写真の価値が残ります。

── 写真の単価は、厳しいのでしょうか。

青木 昔は一点の写真が200万円で売れることもあり、それは決して珍しいことではありませんでした。

しかし今は、カメラの性能が上がり、誰でもある程度の写真が撮れる時代です。

市場も、絶対的な一枚を求めるより、大量の写真を安く使いたいという方向に流れています。これは私たちにとって悲しい流れですが、抗えない現実でもあります。

今の若いカメラマンは、毎日働かなければ機材代も稼げない状況かもしれません。私の若いころは、二週間の仕事で新卒社員の年収分を稼げることもありました。

それでも、写真が好きだからカメラマンになるという本質は変わりません。趣味の世界で生きていけることは、ある意味で最高の幸せです。

社員140名の声を直接受け止める「自己報告書」の文化

── 会社経営において、大切にしていることは何でしょうか。

青木 「仕事を楽しく」が私のモットーです。すべての仕事が楽しいわけではありませんが、どうすればポジティブに取り組めるかを考えることが重要です。

アフロでは、全社員が年2回、「自己報告書」を書きます。現在、契約社員を含めて約140人いますが、そのすべての分を私が一人で読みます。

他の役員やマネージャーには、誰が何を書いたかは一切教えません。匿名性を守ったうえで、改善すべき点はマネージャー会議で共有します。

── 140人分をすべて読むのは、かなりの重労働ではありませんか。

青木 週末の午後は、ほとんどこの報告書を読む時間に充てています。スタッフ一人ひとりの人間像が見えてくるので、私にとっては一冊の本を読んでいるような感覚です。

誰かが誰かの悪口を書いていることもあれば、別の誰かがその人を褒めていることもあります。多角的な評価を知ることで、組織の風通しを良くしています。

社員の評価も、最終的には私がすべて出します。不満をゼロにすることは難しいですが、本人が何を考えているかを知り、納得感を持って働いてもらえる環境を作りたいと考えています。

── 人材紹介やコーディネート事業にも注力していますね。

青木 プロのモデルだけでなく、特定のスポーツができるアマチュアモデルなどのリストを豊富に持っています。自社で撮影を行っている強みを活かし、最適な人材を他社に紹介する形です。

また、世界中にコーディネートができるスタッフがいます。来週もアメリカへ行くスタッフがいますが、クライアントが撮りたい写真のために、現地のカメラマンを手配したり、現場を仕切ったりします。

ウクライナで写真が必要になれば、現地のカメラマンに依頼を出す。こうしたネットワークを駆使した人材紹介は、私たちの本業と密接につながっています。

失われゆく写真文化を次世代へつなぐアーカイブ事業

── 2028年のロサンゼルス五輪に向けて、写真エージェンシーの役割はどう変わるとみていますか?

青木 日本を「ガラパゴス化」させたくないという思いが強いです。日本人は素晴らしい国民だと自信を持って言えますが、国際的な視点が不足していると感じています。

たとえば、フランスでは年金受給年齢が引き上げられると、大規模なデモが起きます。彼らは自分たちの権利に対して非常に敏感です。

一方で、日本人は社会保険料や税金がどれだけ引かれているか、手取りがいくらなのかを正確に把握していない人が多い。先進国の中で、日本の生活レベルは相対的に下がっています。

こうした現実を、国際ニュースを通じて知らしめたいという夢があります。世界を見てきた者として、日本人がもっと自信を持ち、かつ現状を正しく認識するための情報を発信し続けたいのです。

── 著名な写真家の作品をアーカイブする活動もしているそうですね。

青木 かつて「大作家」と呼ばれたカメラマンたちがいました。

しかし、今の若い人たちはその名前も、彼らがどのような写真を撮ったかも知りません。

彼らの作品には、今見ても圧倒されるパワーがあります。これが忘れ去られてしまうのは、あまりにももったいない。

そこで、日本の著名な作家たちの作品を集め、閲覧できるウェブサイトを作っています。これは大きな利益を生む事業ではありませんが、会社としての社会貢献事業だととらえています。

── 著作権の管理も複雑そうですが、どのように進めているのですか。

青木 写真家本人やそのご家族の協力を得るのが一番大変です。しかし、アフロに預けてもらうことで、作品が利用された際に一定の収益がご家族に入る仕組みを作っています。

少しずつですが、貴重な作品が集まってきています。若い人たちがこれらの写真を見て、刺激を受けてくれることを願っています。

これは、写真に対する私の思いそのものです。私が子供のころに写真を見て感動したように、次の世代にもそのバトンをつなぎたい。アフロという会社だからこそできることだと自負しています。

国際的な視点から見た日本経済の現状と「老舗」への展望

── 財務についても聞かせてください。これまで、どのように資金をまかない、事業を広げてきたのでしょうか。

青木 アフロは創業以来、一度も銀行からお金を借りたことがありません。すべて私が稼いだ資金で会社を大きくしてきました。

外部からの投資も受けていません。1993年に黒字化して以来、その状態を保っています。新しい事業を始めるときも、手元にある資金の範囲内で何ができるかを考えます。

借金をしないのは、精神的な自由を保つためでもあります。返済のプレッシャーに縛られず、自分の好きなように、気楽に商売をしたいのです。

── 最後に、今後の展望を教えてください。

青木 AIの登場で大変な時期ではありますが、これも一つのゲームだととらえています。この変化をどうさばき、どう楽しむか。

1980年にアフロを作ったとき、フォトエージェンシーは国内に300社ほどありました。私たちは最後発の新米でしたが、今では多くの会社が姿を消しました。

世界で一番、“老舗”が多い国は日本です。私は、アフロを写真界の老舗にしたいと考えています。かつての“新米”が、いつの間にか最も歴史のある存在になっている。それはとても楽しいことだと思いませんか。

── 今でも「新米」の気持ちを持ち続けているのですね。

青木 頭の中では常に新米です。田舎へ行くと、60代や70代の方から「テレビでアフロの名前をよく見るよ」と声をかけられることがあります。それは本当に嬉しいことです。

これからも、テレビや新聞を通じて、世界中の「今」を届け続けます。政治的な制約や市場の変化はありますが、写真が持つ力を信じて、一歩ずつ進むだけです。

氏名
青木 紘二(あおき・こうじ)
社名
株式会社アフロ(AFLO)
役職
代表取締役/写真家

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