株式会社佐藤製作所.

東京都目黒区に本社を構える株式会社佐藤製作所は、1957年設立の金属加工業である。数ある溶接技術のなかでも加工難易度の高い部品に対応できる「銀ロウ付け」を強みに、放送通信機器や無線通信インフラ、医療関連機器の分野へ製品を提供してきた。現在は従業員20名のうち11人を女性が占め、30代以下の若手が主体となり現場を担う。

しかし12年前、佐藤修哉常務が28歳で家業に入社した当時、会社は約10期連続の赤字にあえぎ、社内には愚痴や不満が多く、組織全体に停滞感が漂っていた。

他にやりたいこともなく、他社で通用する経験もないまま家業に入った三代目は、いかにして「銀ロウ付け」を会社の新たな強みとして打ち出し、若手の集まる町工場へと変えていったのか。12年の歩みと、事業承継を控える未来の後継者に向けたメッセージを佐藤氏に聞いた。

佐藤修哉(さとう しゅうや)──常務取締役
1986年、東京都生まれ。慶應義塾大学理工学部を経て、2011年、同大学院を修了し、IT企業へ新卒入社するも2年で退社。知人の店舗でのアルバイトを経て、2014年、28歳で家業の佐藤製作所へ入社。三代目として組織改革や営業戦略の再構築、新卒採用の立ち上げなどを進め、約10期連続で赤字が続いていた会社の収益改善と組織改革を進めた。2016年からブログ「三代目日記」を執筆し、銀ロウ付けの認知度向上に取り組む。
株式会社佐藤製作所
1957年設立。加工難易度の高い部品にも対応できる「銀ロウ付け」を強みに、放送通信機器や無線通信インフラ、医療関連機器から雑貨までを手がける金属加工メーカー。2021年度「東京都女性活躍推進大賞」などを受賞。
企業サイト:https://sato-ss.co.jp/

目次

  1. 「他にやりたいことがなかった」28歳で家業に入るまで
  2. 経営者育成合宿で気づいた「僕がやらないと潰れる」
  3. お客様の声から見つけた「銀ロウ付け」という旗
  4. 職人の客先同行と新卒採用で10年かけて変えた組織
  5. 他社ができない仕事をする会社へ─佐藤製作所のこれから

「他にやりたいことがなかった」28歳で家業に入るまで

── 28歳で家業の佐藤製作所に入社したそうですが、経緯を教えてください。

佐藤氏(以下、敬称略) 率直に言うと、他にやりたいことがなかったんですよね。ちょっと恥ずかしい話ですが、それが結構大きな理由です。

大学院を卒業して新卒でIT企業に入ったのですが、2年ほどで辞めてしまいました。その後は知人の店舗でアルバイトをしていた時期があって、気づいたら28歳になっていた。

さすがにこのままではまずいという危機感はあったのですが、他の会社に転職できるような経験もスキルもない。最終的に「逃げ道」というか、そういうところに家業という選択肢があったんです。

しかも、僕が継ぐならもう僕しかいない状況で、僕がやらなかったら会社が終わってしまう。能動的というよりは、周りに動かされたところが大きかったですね。

── 家族からの後押しもあったのですか?

佐藤 母親からありましたね。当時そんな状況だったので、「一回あなた、ちゃんと佐藤製作所に入ってしっかり仕事しなさい」と結構怒られたのがきっかけです。自分も確かにそうだなと。

父である社長、叔父である専務、親族で長年働いてくれているベテラン職人の方、そして母親の4人に集まってもらって、僕から頭を下げて「後を継がせてください」とお願いしました。

余談ですが、そのとき、社長である父親は正直、すごくウェルカムという感じではなかった。ちょっと顔をしかめているような様子でした。

── 理由に心当たりはありますか?

佐藤 後から知ったのですが、当時、会社の業績はすごく悪くて、先行きが本当に危ない状況でした。

社員もみんな高齢化していて、この状況で子供を入れていいのだろうか、というのがあったんじゃないかと思います。心配のほうが勝っていたんでしょうね。叔父は逆で、うれしくて泣いていましたが……そんな経緯で入社したんです。

経営者育成合宿で気づいた「僕がやらないと潰れる」

── 入社した当時、会社のことはどのくらい知っていたのですか?

佐藤 本当に何も知らなかったですね。小学生のころにちょこちょこ会社を見たり、幼稚園ぐらいのときに社員旅行に連れて行ってもらった記憶があるくらいで、事業内容もよく分かっていなかった。

当然、財務状況や経営状況も何も知りません。前職はIT企業なので、金属加工や製造業の経験も勉強もゼロという状態で入りました。

── そこからどのように経営を学んだのですか?

佐藤 入社してすぐ、社長から2ヵ月ほどの「中小企業後継者の経営者育成合宿」に送り出されまして、そこで経営の基本的なところを薄く広く学ばせてもらいました。

良い会社と悪い会社の違い、売上・利益、ヒト・モノ・カネといった基本を教わって、2ヵ月後に会社に戻って実際の状況を見てみたら、とてつもなく悪かった。そこで初めて気づいたんです。

── 具体的に、どれくらい厳しい状況だったのですか?

佐藤 約10期連続で赤字が続いていて、製品一つ当たりの単価も滅茶苦茶なものが多かった。いわゆるどんぶり勘定でしたし、昇給や賞与もないので、社内の空気も悪くて、話すことといえば愚痴やけんか、文句ばかりでしたね。

当時まだ28歳で、自分以外は本当に高齢の方しかいない。社内全体として、やる気やモチベーションを失っているような状態でした。

そこで初めて「これ、僕がやらないとつぶれるな」と思ったんです。ベテランの職人たちは、あと10年したらみんな70歳、80歳になる。業績も悪いし、それを良くする活動も誰もしていない。僕が一人だけ新しく入ったから、自分がやらないと絶対に潰れる、と。

モチベーションというよりは、強い危機感でした。僕がやらなければ会社がなくなってしまうかもしれない。だから、自分が動くしかなかったというのが当時の思いでした。

── 見放して他の道を選ぶこともできた局面です。なぜ残ったのですか?

佐藤 そこはやはり、他にやりたいこともなかったですし、自分としても「ここでやらなければ次はない」という気持ちが大きかったからですね。

もし他の会社である程度うまくやれていたり、能力やスキルがあって昇進していたりしたら、他へ行っていたかもしれません。危機感が、結果的に大きなモチベーションになっていました。

お客様の声から見つけた「銀ロウ付け」という旗

── まず何から手をつけたのでしょうか?

佐藤 赤字のまま続けるのはまずいので、とにかく赤字を止めることと、人の採用ですね。この2つを並行で走らせました。

赤字を止めるには、入ってくるお金を増やして、出ていくお金を減らすしかない。細かいことでいうと、注文をいただいている商品の値段を一個ずつ見直して、値上げ交渉をしたり、値段が合わないものは断ったり。今でこそ値上げしやすい時代ですが、僕は12年ほど前からずっと値上げ交渉をしてきましたね。

あとは仕入先の見直しです。「昔からやっているから」という理由だけで頼んでいた仕入先が本当にベストなのかを見直して、新しい仕入先を開拓しました。

── 売り上げを増やすためには何をしたのですか?

佐藤 新規注文を取るために、ウェブサイトを新しく作り直して、既存のお客様には全部訪問営業をして、そのお客様の知り合いを増やすスタイルで足を使いました。

日中は毎日外回り、夕方に会社に戻ってきて深夜まで事務作業、というのを毎日やっていました。

頭を使うのがウェブサイトからの自動集客で、体を使うのが対面営業。両輪で回していた形です。

── その中で、会社の軸を「銀ロウ付け」に絞る決断をしています。なぜ強みだと判断したのでしょうか。

佐藤 12年前、それまでの「金属加工なんでもやります」という会社の売り方を大きく変えて、「銀ロウ付け」を会社のPRの中心に据えようと決めました。会社の何を軸にするのか、旗を立て直したというのが、最初に取り組んだ大きな仕事です。

(注:銀ロウ付けとは、銀を主成分の一つとする「銀ロウ」と呼ばれるロウ材を加熱・溶融させ、母材そのものを溶かさずに金属同士を接合する技術。異種金属の接合や気密性が求められる部品などにも用いられる。)

判断の根拠は、お客様から言われたからです。

入社して1年目、本当に毎日お客様のところにあいさつに通っていました。会社の業績があまりに悪くてどうしようもないから、「どうやったら仕事が増えますかね」「なぜ今まで、うちに注文をくださっていたんですか」といろいろ聞いて回っていたんです。

そこで、お客様が俯瞰的にうちを見て、良いところをいろいろ教えてくださった。それを信じて、ガラッと会社の方針を変えました。

銀ロウ付けは、社内では日の目を見ない技術で、社長も専務も、誰も「これが会社の売りになる」とは思っていなかったんですよね。むしろ他のことが強みだと全員が思っていたので、最初は本当に苦労しました。

社員の納得はまったく得られなかったので、結論から言うと、勝手に僕がやったんです。当時は、会社全体としてどうしても社内の常識やこれまでのやり方に目が向きがちだった。

だから、外に目を向けている僕は、外の声を信じて動くしかなかったんです。ラッキーだったのが、営業という仕事を誰一人としてやっていなかったこと。だから僕が勝手に出来たのだと思います。もちろん抵抗はありましたが。

── 「これでいける」と手ごたえを感じたのはいつごろですか?

佐藤 僕個人としては、旗を立てて半年ぐらいで「いけるな」と思っていました。

ウェブサイトからの問い合わせが増えたり、仕事が増えたり、採用面でも「銀ロウ付けをやりたい」という学生が実際に出てきたり、目に見える成果が返ってきたので、確信しやすかったんです。状況が悪すぎたから、逆に結果が見えやすかったというのはあると思います。

ただ、社内で全員が「その方針でいくぞ」と一枚岩になるまでは、10年ぐらいかかったと思います。個人の確信と、組織の一体感の間には、かなりの時差がありました。

職人の客先同行と新卒採用で10年かけて変えた組織

── 職人をお客様のところに連れて行ったと聞いています。当時の社内はどんな状態でしたか?

佐藤 当時、毎日のように不良や納期遅れが出ていたにも関わらず、それを作っている社員には、自分が起こしたことに対して、自分自身がお客様に向き合うという意識がほとんどなかったんです。

結局、上の人がお客様のところに謝りに行くしかない、というループができ上がっていました。

僕が外回りをしていたので、他の社員が起こした不良や納期遅れに対して、一人でお客様のところに謝りに行っていました。

怒られて会社に戻って「作り直してほしい」と言うと、今度は「そんなの急に言われてもできないよ」と社内から怒られる。それでも、社長も何も言えない。

結局、僕が両方に謝って、なんとか作ってもらって、感謝しながらお客様に届けて、収まったら、また何事もなかったかのように同じことが繰り返される……。

これはおかしいなと思いました。こんなことをやっていたら、僕自身も持たない。「会社ってそういうものだ」と納得していたら、今の姿にはなっていないと思います。

── 職人の同行を始めて、どんな変化がありましたか?

佐藤 自分の行動に責任感を持ってほしいというシンプルな考えでしたが、結論から言うと、最初は失敗しました。

連れて行ったところで、「なぜ私は連れてこられているんだろう」「むしろ、うざい、ムカつく」という感じで、僕が運転する車の中でずっと爆睡していて、謝罪の場ではブスッとしている。

帰りの車中もずっと不機嫌なままで、会社に戻ってきても「僕は何しに行ったんだろう」というやるせない強烈な印象だけが残りました。

── そこから、どう方針を切り替えたのですか?

佐藤 既存の社員の考え方を短期間で変えようとするのは、相当難しいと痛感しました。

そこで、既存社員の考え方を変えることだけに力を使うのではなく、最初から主体性や素直さ、責任感を大切にする人にも新しく仲間に加わってもらい、少しずつ組織全体の文化を変えていこうと考え、新卒採用を始めたんです。

採用では能力や経験だけでなく、主体性や素直さ、責任感といった部分を特に大切にしてきました。

ラッキーなことに、そういう仲間を毎年少しずつ採用できて、12年経った今、主体性と責任感のある社員がいる会社になりました。既存の社員だけに変化を求めるのではなく、新しい考えを持つ人にも加わってもらい、一緒に新しい文化をつくっていく。

そのほうが、結果として組織全体が変わる近道だったと思います。

── 新卒の女性を採用したことも、大きな変化の一つですか?

佐藤 はい。ただ、これも一晩で変わったわけではありません。僕が入社した翌年に、運よく1人、新卒の女性が入ってくれて、その2年後にもう1人入社してくれました。

入って2、3年ぐらいは、女性はちょっと増えたけれど、「変わったな」という実感はほぼありませんでした。むしろ、既存の社員がどう接していいか分からない、どんな仕事を任せていいかも分からない、という状態が続きました。

── そこから、社内の空気はどう変わったでしょうか。

佐藤 「募集しても絶対来ないよ」と言われていたところを、実際に入社してくれる人がいて、「入ってもすぐ辞めるだろう」と言われた最初のメンバーも辞めずに続けてくれた。「女性に何をやらせるんだ、やれる仕事はないぞ」と言われても、その最初の女性社員は、懸命に仕事をしてくれていた。

そうやって一つずつ、それまで社内では「あり得ない」と思われていたことを、実例をつくることで「できる」に変えていったんです。

そこから、女性社員が担う仕事の種類や難易度が増えていくまでにも、さらに数年かかりました。銀ロウ付けの技術や品質管理について外部から評価をいただくようになるなど、実績が積み重なって、少しずつ社内でも認められるようになっていきました。

会社の雰囲気が「本当に明るく変わったな」と思えるまでには、10年経ってからだったと思います。

会社の環境を変えるのは、相当大変です。今いる人だけを無理に変えようとするのではなく、新しい考えを持った人にも仲間に加わってもらい、その姿を見てもらいながら、時間をかけて組織全体を変えていくことも一つの方法だと思います。

他社ができない仕事をする会社へ─佐藤製作所のこれから

── ブログ「三代目日記」は、どんなきっかけで始めたのですか?

佐藤 2016年から始めているので、もう10年ほどになります。きっかけは、仕事が辛かったので気分転換のためなのですが、付け加えると銀ロウ付けを誰も知らなかったので、その認知度を上げるためと、採用活動のツールになればいいなという軽い気持ちでした。

深い狙いやメリットを計算して始めたものではなくて、今もそのスタンスは変わっていません。

ただ、アーカイブとして残ることは、自分でも「良かったな」と思います。当時何を考えていたか、振り返る記録になっていますね。

── 次の10年で、佐藤製作所をどんな会社にしたいか教えてください。

佐藤 正直なところ、僕はこれまで、長期の計画を立ててそこから逆算するという経営をあまりしてきませんでした。「今どうするか」「来週に向けて何をやるか」の積み重ねで、ここまで来ました。10年後のビジョンやプランを描くのは、正直、結構難しい。

ただ、会社の指針として社員に常日ごろ言っているのは、「他の会社が基本的にできない、やりたがらない、やれない仕事をする会社にしましょう」ということです。そういう相談が来る会社にしようと。

実際、ここ数年でその指針に沿った相談が来るようになって、佐藤製作所としてはやったことのない仕事でも、若い社員がゼロから勉強してチャレンジして、それが新しい事業になったり、新しい道が見えたりしています。

10年後は、その延長線上で、今とはまったく違うものを作っているかもしれません。

── そのあり方を社員と共有するうえで、大切にしていることは何ですか?

佐藤 みんなが仲良く、毎日和気あいあいとやっている……ととらえられるとちょっと違うのですが、いがみ合ってもいない。言いづらいことを言っても、その関係性は崩れない。そういう組織でありたいと思っています。

仲良しグループになってしまうとビジネスとして成り立たない部分もあるので、業績・利益の追求と、居心地や人間関係の良さ、両方のバランスを大事にしています。

── 事業承継を控える人や中小企業の後継者に、同じ立場から伝えたいことは?

佐藤 難しいですね。どんな立場でも、どんな事業でも、どんな規模でも、その人にしか分からない苦労や悩みは必ずあります。

完全に共感できる人は少ないと思いますが、中小企業の後継者という立場で見れば、ある程度共通する部分は僕にもあるし、読者で同じ立場にある方の中にもあると思うんです。

同じ苦しみではないけれど、皆さんも僕も、多分同じような辛い経験や苦しいことがある。そういう悩みを持っているのはあなただけじゃないし、分かってくれる人もいると思います。そう信じて、なんとかやっていきましょう、僕でよければ相談にのりますので連絡してください。

氏名
佐藤修哉(さとう しゅうや)
社名
株式会社佐藤製作所
役職
常務取締役

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