株式会社Rebase

レンタルスペースのマッチングプラットフォーム「instabase」を運営する株式会社Rebaseは、2022年12月に東京証券取引所グロース市場へ上場した。掲載スペースは全国5万件以上。もともとは上場を目指さずに始まった会社である。

代表取締役の佐藤海氏は、法政大学在学中に休学して米国・シリコンバレーへ渡り、現地の大学で学びながらスタートアップでインターンを重ねた。帰国後の2014年4月に共同創業者の髙畠裕二氏とRebaseを設立。資本金25万円のうち手続き費用でほとんどが消え、口座残高は数千円だったという。

オフィスも持てずカフェを転々とした創業期から、上場を経て「街のOS」を目指す現在まで。次の5年10年で果たしたい役割を、佐藤氏に聞いた。

佐藤海(さとう かい)──代表取締役
1989年、東京生まれ。法政大学キャリアデザイン学部に入学後、大学を休学しシリコンバレーへ渡米。De Anza Collegeでビジネスを学ぶ傍ら、さまざまなスタートアップにインターンとして参加し、約3年間の留学生活で経営や起業の知見を得る。留学中の20113年、法政大学を卒業し、帰国後の2014年4月に株式会社Rebaseを設立。
株式会社Rebase
2014年創業。「ことのはじまり」をビジョンに掲げ、コミュニティイベントサービス「TOIRO」とレンタルスペースのマッチングプラットフォーム「instabase」を運営。2022年12月に東証グロース上場 <5138> 。
企業サイト:https://www.rebase.co.jp/

目次

  1. 小学6年生で連れて行かれた飲み会が起業の原点に
  2. 退学届を持って行った日に恩師と会い、法政大学を卒業した
  3. 口座残高数千円、カフェを転々とした創業期
  4. 上場を目指さずに始めた会社が、上場を選んだ理由
  5. 「街のOS」になる。人が集まる場所を日本中につくる

小学6年生で連れて行かれた飲み会が起業の原点に

── 起業を志した原体験があれば教えてください。

佐藤氏(以下、敬称略) 父がインターネットの黎明期から業界に関わっていたことが大きかったと思います。

以前、渋谷はビットバレーと呼ばれていて、若い起業家や経営者が集まっていました。父もその集まりに顔を出していて、私は小学6年生くらいのころから、そういう場によく連れて行かれたんです。飲み会でグラスが空いたら飲み物を注ぎに行く。そんな役をずっとやらされていました。

正直、まったく行きたくありませんでした(笑)。

ただ、小学生から中学生、中学生から高校生と成長するにつれて、見え方が変わってきました。日本を変えるんだ、世界を変えるんだ、インパクトを与えるんだと、夢のあることを語っている方たちでしたし、その自由さも強く感じました。

それを間近で見ていて、私もいつかインターネットの技術を使ったサービスを手がける会社を立ち上げたいと思うようになりました。

── 大学入学後はどう過ごしたのですか?

佐藤 高校まではラグビーをやっていましたが、大学では続けませんでした。それよりも起業したい気持ちのほうが強かったからです。

ところが、18歳で運転免許を取ると、物理的に行ける場所が一気に増えました。世界が広がったんです。まだ行ったことのない場所、見たことのない街に行くのが楽しくて、気づいたら大学2年間が終わっていました。

3年になると、周りは就職活動の話を始めます。福利厚生がいい会社のリストをつくったりしていて、私にはまったく面白くない話でした。この環境にいたらだめだと思うようになりました。自分自身も2年間、結局起業せずに終わってしまっていましたから。

退学届を持って行った日に恩師と会い、法政大学を卒業した

── 環境を変えるためにシリコンバレーへ渡ったということでしょうか。その判断に至った理由を教えてください。

佐藤 どうせ変えるなら起業もしたいし、インターネットのメッカであるシリコンバレーをまず見てみたいと思いました。大学3年の前期が終わるタイミングで休学して、アメリカに渡りました。

最初は1年だけで帰ってくるつもりでした。ただ実際に行ってみると、学校に通いながら毎週末のようにテック系のイベントに参加するような日々で、もっといたいという気持ちになってしまったんです。

── そのまま大学は辞めてしまったわけではないんですよね。

佐藤 ええ。1年経ったころ、退学届を持って窓口へ行こうとしていたんです。

そのときに、当時お世話になっていた大学の教授とばったり会って、もう少しで単位の要件を満たすんだから、悪いことは言わないから大学は辞めるな、卒業しておけといったこと言われました。

その先生も海外に行った経験をお持ちで、その方がそうおっしゃるならそうなんだろうと思って、退学せずに復学する形をとりました。

結果的に、アメリカの大学に通いながら、日本の大学の課題はオンラインで提出して、なんとか卒業しました。

── 現地での経験が、今の事業にどうつながっているのでしょうか。

佐藤 特定のサービスを見て、これをやろうと思ったわけではありません。

ただ、当時はiPhoneが普及し始めたタイミングで、アプリという形で新しいサービスが次々に出てきていました。いいと思ったものは片っ端からアカウントをつくって使い倒していました。いろいろなビジネスモデルやUIを体験できたのは、いい経験だったと思います。

大きなテック系のイベントに参加したときには、Airbnbで宿泊先として個人の家を借りたこともあります。今のようにIoT機器が整っていない時代でしたから、オーナーから「鍵はポストの下の芝生を一枚めくったところに置いてある」と言われて、本当にそこに鍵がありました。

それまでの常識で考えれば、空いている部屋があっても、見ず知らずの他人に貸そうとは思わなかったはずです。

── 日本との違いを感じた場面はありましたか?

佐藤 Googleの本社があるマウンテンビューという街に、駅の近くのカフェがあります。そこへ行くと、エンジニアやハッカーと呼ばれる人たちが集まっていて、気軽にアイデアを交換したり、その場でコーディングを始めたりしていました。すごく活気がありました。

一方で、私が一時帰国したころの日本は、カフェで自由にインターネットが使える環境がまだ少なかった。無料で使えるのは1時間だけで、2時間目からは課金しないと使えない。長く居座っていると注意されることもありました。

私は、必ずしもアメリカの見様見真似にすべきだとか、アメリカがやっていることをやるべきだ、とは思いません。

ただ、何か世の中のためになるサービスをつくって見せたいという前向きな想いを持っている人が、なぜ日本ではこんなにも最初の一歩を踏み出しにくいのか、そう思ったんです。使いたいときに使いたい分だけ予約して使える場所を、もっと日本中に広げるべきではないか。そこから始まりました。

口座残高数千円、カフェを転々とした創業期

── 創業後、最も苦しかった局面を教えてください。

佐藤 スペースを集めることです。スペースを使う側をいくら集めても、対象となるスペースがなければ成り立ちません。だからサービスをつくりながら、同時にスペースを集めることをやっていきました。

最初の数百件は、私自身がすべて訪問しています。飛び込みもやりました。それでも相手にしてもらえない。今でこそレンタルスペースという言葉は徐々に知られてきましたが、当時は「レンタルスペースとは何ですか」というところからでした。

まず理解してもらうところから始めて、ようやく掲載してもらえる。それを積み重ねるのは骨の折れる仕事でした。

── 掲載数が少ないことが、集客にも影響したと。

佐藤 そのとおりです。私たちはオンラインで集客をしますから、検索エンジンに引っかかる対象のコンテンツがないと集客力が上がりません。

instabaseで扱うコンテンツはスペースそのものです。スペースが増えなければ、コンテンツが増えない。集客力が上がらないというのが、もうひとつ苦しかったところです。

── どうやって拡大していったのでしょうか?

佐藤 スペースを掲載してくださる方だけでなく、利用する方にもアポイントを取って会いに行くという施策をしていました。それと並行して、オンラインでの集客にも力を入れたことで、利用者が徐々に増えてきた。そうしてスケールしだしたという感じです。

── 組織づくりの面ではいかがでしたか?

佐藤 私たちは資本金25万円で始まった会社です。印鑑代など初期の手続き費用で24万数千円がなくなって、事業を始めた時の口座残高は数千円でした。

だからオフィスを借りるお金もなく、しばらくはカフェを転々としていて、最終的に環状八号線沿いのカフェに行き着きました。ネット環境があって、電源も使わせてもらえて、コーヒーも飲み放題で、朝から晩までいても怒られない。そこを数ヵ月間拠点にしていました。

来客という概念自体がありませんでしたが、お客様がアポイントを取ってこられたときは、あたかも自分たちのオフィスかのように、そのカフェに招き入れていました。

その後、縁があってある会社に間借りをさせてもらうことになり、4期目までずっと間借り生活でした。ありがたかったのですが、間借りしている住所は公開できないので、人材募集をかけられなかった。仲間集めという意味では、そこが苦しいところでした。

── 仲間が増える中で変わったことはありますか?

佐藤 個人事業の延長線上のような時期は、ツーカーの関係、あうんの呼吸でやれていました。

それが、自分たちのつながりを越えて「はじめまして」の人たちと出会うようになると、ツーと言ってもカーが返ってこない。

いままで言語化しなくても伝わっていたことを、明確にしなければ組織として動けなくなりました。ビジョンを明文化して、会社として何を目指すのか、何を自分たちのミッションとするのかをはっきりさせる。いい意味で困難でしたし、成長のためには避けて通れない道だったと思います。

上場を目指さずに始めた会社が、上場を選んだ理由

── 上場を決めた背景を教えてください。

佐藤 もともとは上場を目指さずに始まった会社ですが、会社と事業をもっとスケールさせたいと考える中で、上場を目指すに至りました。

上場前もサービスは少しずつ伸びていましたし、一度だけ資金調達もしていましたので、出資者にリターンを出さなければいけないという思いもありました。

もう一つは、取引のしやすさです。それまで私たちは、信用調査会社からヒアリングが来ても一切情報を出していませんでした。多くの企業が取引先を評価するときに参考にする指標に、私たちのデータがない。何者でもなかった私たちを信用していただく術がなかったんです。

スペースを掲載させてほしいという企業から、御社の評価点が見えないので保証金を預けてほしいと言われたこともあります。掲載したいという要望を受けて、集客するのはこちらなのに、なぜお金を預けなければいけないのかと思いました。今考えれば理解できる話ですが、当時は大きな会社の目線がわからなかった。そうした、やりにくさを感じることが増えました。

── 上場して変わったことは何ですか?

佐藤 私たちの存在を認知してくださる企業が増えたことですね。アライアンスや取引のお声がけをいただく頻度も数も、上場前とは全然違います。取引のしやすさという点も、明らかに変わりました。

── 上場しても変えなかったことを教えてください。

佐藤 意思決定の軸は変えていません。他社がやっているから、こういうやり方が一般的だから。社内の議論でそう言われるのが、私はすごく嫌いなんです。

他がどうであるかではなく、自分たちとしてどうしたいのか。それがすべてにおいて大前提にあるべきものだと思っています。

もう一つは、自分たちが掲げているビジョンとミッションに適っているかどうか。そこはかなりこだわって見ています。どんなに事業として儲かる話であっても、ビジョンとミッションに通じていないものは、やろうと思いません。そこは今のところ貫いてこられていると思います。

── 掲載スペースは5万件を超えています。この規模になるまで成長できた要因は何だと分析していますか。

佐藤 私たちは完全成果報酬のビジネスモデルです。スペースを掲載していただくのに費用はいただきません。

掲載していただいて、そこに集客できて、たとえば1ヵ月で100万円の売上が生まれたら、そのうちのいくばくかを手数料としていただき、大半をスペースをお持ちの方に還元しています。

大事なのは、掲載していただいたあとです。そこにどれだけ集客できるかで価値が決まります。掲載までこぎつけても、集客力を積み上げること自体はそう簡単ではありません。私たちはそこに時間をかけてきました。

もう一つはデータです。いまこうして話している間にも予約が入ってきています。どの場所をどういう人たちが使っているのか。年間で数百万件、13期目を迎えた累計ではものすごい数のデータが蓄積されています。

このデータをどれだけ有効に活用できるかが、本当の意味での差別化になると考えています。

「街のOS」になる。人が集まる場所を日本中につくる

── 用途の変化を感じることはありますか?

佐藤 この数年で出てきて、それより前にはなかったものだと、推し活があります。レンタルスペースを使って開かれる形が、ここ数年ですごく増えました。

もう一つは法人利用です。コロナ禍で人が多く集まれない状況のなか、少人数向けのスペースを私たちは集めに行きました。

フルリモートやハイブリッドという働き方を定義する企業が、オフィスでも自宅でもない場所としてレンタルスペースを使うようになった。それが結果的に法人からの認知にもつながって、いまも法人利用は増えています。

── 次の5年、10年で果たしたい役割を教えてください。

佐藤 私たちのビジョンは「Where It Starts」、日本語で「ことのはじまり」です。私たちのサービスやプロダクトを介して、日本中の至るところで、ことが生まれている。ポコポコと発生している。その状態を起こしたいと考えています。

そのために自分たちに課しているミッションが「Get Together」、日本語で「和をひろげる」です。日本中の至るところで人が集うことが起こせていなければ、ビジョンとして掲げている世界観はつくれません。

ひとたび集いが生まれれば、集まった人たちが出会って交流して、時に仲良くなって、そこからコミュニティに派生します。そしてまた別の集いが生まれる。そうなっていくと私たちは信じています。

── その先に見据えているものは。

佐藤 いま日本は少子高齢化が進んでいます。昨年の出生数はおよそ69万人で過去最低でした。約20年後に20歳を迎える人の絶対数は、この数を上回ることは基本的にありません。もう決まってしまっているんです。

人口とGDPには相関関係があります。人口が減るからGDPも減るのは仕方ないと指をくわえて衰退を見ているのか──。

私は、極端な話、たとえ人口が半分に減ったとしても、いまのGDPを維持することも、それ以上にすることも可能だと思っています。

GDPは生み出された付加価値の総合計です。いきなり付加価値を上げろと言っても難しい。でも、まずは集まろうよ、というのはできるわけです。どこかで誰かと出会って、これは面白いという話をしているうちに、じゃあ形にしましょうという話になって、それが大きなサービスになるかもしれない。でも出会わなければ、そんなことは起きません。

私たちが目指しているのは「街のOS」です。街のOSが至るところに組み込まれれば、それは国のOSになるかもしれない。街が、国が元気になるためにはRebaseがいてくれないと困る。そういう存在になりたいと、社内ではずいぶん昔から言い続けています。

── これから起業を志す人に何か伝えるとしたら、どんな言葉をかけますか?

佐藤 いま起業を志す人にとっては、あらゆる側面で難しくなってきていると思います。

税制の見直しもありますし、上場を維持する基準も厳しくなってきています。小規模な上場を目指す会社を証券会社が引き受けにくくなっている面もある。ベンチャーキャピタルの関心が特定の領域に集まっていて、そうでない事業は資金調達がしにくくなっているという話も聞きます。

それでも思うのは、起業という形であろうとなかろうと、他からどう見られるか、どう見てほしいかなんて、本当にどうでもいいということです。自分が、仲間たちとどういうことをやりたいのか。何をしたいのか。その観点から見れば、時価総額がいくらを超えるか超えないかも、そんな話はどうでもいい。

こういうことで世の中に貢献したい。周りの人に貢献したい。そもそも貢献できるかどうかもわからないけれど、それでもやりたいんだ。その純粋な想いを、自分の内面に眠る想いを追いかけてほしいと思います。それが何よりも大事です。

氏名
佐藤海(さとう かい)
社名
株式会社Rebase
役職
代表取締役

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