株式会社ヴィス

働き方が大きく変わるなかで、オフィスは単なる作業場所から、企業の理念や働き方そのものを映す場へと役割を変えつつある。この領域を「デザイナーズオフィス」と名付けて切り開いてきたのが、株式会社ヴィスの創業者で代表取締役会長の中村勇人氏だ。1998年に37歳で創業し、2003年に手がけた1軒の町工場のリノベーションをきっかけに、商業空間からオフィスへと事業の軸足を移した。

2010年には社員の前で「NEXT10」としてIPOを宣言し、新型コロナウイルスの感染が広がり始めた2020年3月25日に上場を果たした。2022年には経営体制を移行し、現在は「オフィスデザイン」ではなく『ワークデザイン』を掲げて働き方のコンサルティングに力を注ぐ。創業の経緯からクレドを軸にした人材育成、上場の決断、後継者選び、今後の展望までを中村氏に聞いた。

中村勇人(なかむら はやと)──代表取締役会長
1960年、大阪府生まれ。大手ディスプレイ・商業空間デザイン会社で百貨店やアパレルの空間づくりを手がけた後、1998年4月、37歳で有限会社ヴィスを大阪市に設立し、1999年1月の株式会社への改組に伴い代表取締役社長に就任。2004年にデザイナーズオフィス事業を開始し、2020年3月に東証マザーズ上場。2022年6月から現職。
株式会社ヴィス
1998年設立。『はたらく人々を幸せに。』をパーパスに、オフィスデザインを起点としたブランディング、プレイスソリューション、データソリューションの3事業で、企業の『ワークデザイン』を支援する。東証スタンダード上場。
企業サイト:https://vis-produce.com/

目次

  1. 退職が先で起業は後。600枚のはがきから始まったヴィスの創業
  2. 町工場で聞いた「ありがとう」がデザイナーズオフィスの原点に
  3. 2008年に作ったクレドと、役員が新入社員と毎朝向き合う仕組み
  4. 「NEXT10」の宣言から10年、コロナ禍で上場を決断した理由
  5. 『ワークデザイン』の先に見据える「ライフデザイン」という領域

退職が先で起業は後。600枚のはがきから始まったヴィスの創業

── 1998年、37歳でヴィスを創業しています。起業の経緯を教えてください。

中村氏(以下、敬称略) 驚かれるかもしれませんが、勤めていた会社を辞めることが先でした。会社を作るかどうかは、その後の話です。

当時は商業空間のデザインを手がける会社で管理職をしていました。あるとき社長や役員との面談があり、話しているうちに、自分のこれから先が見えなくなってしまったのです。

仕事は嫌いではありませんでした。空間が出来上がったときの充実感や達成感は大きく、自由に仕事をさせてもらっていたので、大きな不満はなかったと思います。ただ、先が見えないにもかかわらず、このままなんとなくずるずる働き続けることに危機感を抱き、辞めることを決めました。

── 転職ではなく、起業を選んだのはなぜですか?

中村 関西を拠点にしていたので商圏が狭く、商業空間のデザインの世界では名前を知られていましたから、転職は頭に浮かびませんでした。辞めるのであれば、自分でやるしかない、と思ったのが実際のスタートです。起業したいという思いが、もともとあったわけではありません。

バレンタインデーのころに辞表を出し、2ヵ月後に会社を立ち上げました。1998年4月13日が月曜日だったので、法務局に書類を持って行って登記をしました。その日が設立日になったというだけで、事業計画もなければ、お客様もいませんでした。

── 顧客がいないなかで、最初の仕事はどのように得たのですか?

中村 お世話になった人すべてにあいさつには行けないので、600枚ほどはがきを出しました。「円満退社しました。またいろいろお世話になります」という内容です。すると、そこから電話をいただき、仕事がつながりました。

前職のお客様を奪うことになってはいけないので、「紹介してください」とお願いし、紹介で仕事が入ってきました。4月に起業して、4月には売上があったと記憶しています。

そのとき強烈に思ったのは、不義理をしないで生きてきたことの大切さです。これは身にしみました。おかげで創業1年目から黒字で決算を迎えることができました。

── 創業時に決めていたことはありますか?

中村 一つだけ、「毎年何か新しいことをしよう」と決めていました。人を1人雇うこともそうですし、新しい事業を試すこともそうです。

初年度は宅建(宅地建物取引士)の資格を取りました。前職での私のスキルは、テナントを誘致して交渉し、デザインからものづくりまでを担うテナントリーシングでしたが、宅建は持っていなかったからです。朝4時に起きて、子どもの机で毎日4時間、3ヵ月勉強しました。

町工場で聞いた「ありがとう」がデザイナーズオフィスの原点に

── 商業空間からオフィスへ軸足を移したきっかけは何でしょうか?

中村 2003年に、会計を見てもらっていた税理士の先生から、ある町工場のリノベーションを紹介されたことです。

正直に言えば、当時の私は私利私欲の塊でした。稼いでくるのは自分1人で、社員も3、4人。人を増やす理由もなければ、働く目的すらわかっていませんでした。その町工場も、最初に建物を見たときは断ろうと思ったほどです。

ところが、はしごのような階段を上がると、社長が満面の笑顔で出てきました。お父様が作った会社を代替わりで引き継ぎ、何とかしたいという話でした。商業空間では何もないところから作るのが普通でしたから、私としてはいつもどおりに仕事をしたつもりでした。

── その仕事が、なぜ転機になったのですか?

中村 当時、空間とウェブとグラフィックのデザインをワンストップで手がけることを「デザイナーズオフィス」と名付けて、営業を始めていました。その町工場でも、空間を作った後に、会社案内とウェブサイトの制作で打ち合わせに通いました。

すると行くたびに、働いている人たちから、それまで言われたことのないような感謝の言葉をたくさんいただきました。社長からは「これで採用ができる」とも言われました。

お客様の話を聞きながら空間を作るという点で、商業空間と何も変わりません。「デザイナーズオフィス」の事業は、自分のスキルを100パーセント注げると気づき、「これや」と思いました。そう決断できたのは、町工場の新しいオフィスで働く社員の方たちの「ありがとう」の声でした。

── デザイナーズオフィス事業は、順調に立ち上がったのでしょうか?

中村 いいえ。エンドユーザーと直接仕事をすると決めていたので、営業が絶対に必要でした。未経験の営業担当を採用し、4人がそろったのが2004年1月。私がもともとの商業空間の仕事で利益を生みながら、「デザイナーズオフィス」の営業を開始しました。

毎朝ミーティングをして、帰ってきたら夜もまたミーティングをする。それを繰り返しましたが、4ヵ月たっても5ヵ月たっても案件が出てきません。毎月数百万円ずつお金が減りました。それでも皆を鼓舞し、6ヵ月目にようやく最初の案件が出ました。

── 資金が減り続けるなかで、続けられた理由を教えてください。

中村 メンバーには「このままできなかったら会社は解散する」と伝えていました。続けられたのは、蓄えがあったことも大きいですが、何よりも「誰かのために仕事ができる」ということが、私の背中を押したと思います。

商売の箱を作るのではなく、そこで働く人たちの環境を良くする。「環境が変わったら人が変わって、人が変わったら会社が変わる」と、当時から言っていました。そういう仕事をしたいという一点だけでやっていました。

2008年に作ったクレドと、役員が新入社員と毎朝向き合う仕組み

── 2008年に、企業の信条を言葉にしたクレドを作っています。その背景を教えてください。

中村 前職で管理職は経験していても、経営に携わったことはありませんでした。社員が増えていくなかで、いろいろな本を読み始めました。

そのなかに、ザ・リッツ・カールトンの高野登さんの著書があり、クレドのことが書かれていました。実際に大阪にできたザ・リッツ・カールトンに泊まってみると、ホスピタリティが素晴らしい。「こんなものを作りたい」と思ってできたのが当社のクレドです。私は、これが会社のすべての原動力だと考えています。

── 成長を支えてきたものは何だと考えていますか?

中村 クレドと人です。言い換えれば、人を育てる仕組みだと思います。当社のウェブサイトの「ブランドブック」にあるカルチャーのページに、その仕組みと考え方をすべて載せています。

代表的なものが、朝のミーティングです。私と社長、専務が新入社員と向き合う場で、週4日、1日30分、社員から質問を受けて答える形式で1年間続けます。キャリア入社の人にも、同じような場を3ヵ月間設けています。このような育てる仕組みが、当社には随所にあります。

── 人の育成に、そこまで時間をかけるのはなぜですか?

中村 私たちが扱っているのは、最初に形になっているものがない無形商材の仕事です。未経験者を採用してきたこともあり、人を育てるしかないという考えが、頭の奥深くに入っているからです。今でも、私の夜の時間の9割は社員との食事に使っています。

社員に伝えることのなかで、一番大事にしているのがパーパスの『はたらく人々を幸せに。』です。何のために働くのかを、はっきり持てている人は多くないと思います。だからこそ、理念を軸にした経営に皆が共感してくれて、そこに強さが生まれ、業績がついてくるのだと考えています。

「NEXT10」の宣言から10年、コロナ禍で上場を決断した理由

── 上場は、もともと意識していたのですか?

中村 2010年の話です。社員がまだ30人から40人ほどだったころ、会社のイベントで、皆の前で何か打ち出さなければなりませんでした。そこで「NEXT10」として、これからの10年でやることを三つ掲げました。一つ目がIPO、二つ目が自社ビルを建てること、三つ目がデザイナーズオフィス事業を確固たるものにすることです。

できるかどうかは関係なく、花火を上げてしまった。個人のためではなく「世の中のために頑張るぞ」という大義で言った手前、やらなければならなくなりました。

── 上場した2020年3月は、コロナ禍の始まりと重なります。延期は考えなかったのですか?

中村 2020年2月ころ、最初に手続きに行ったときにはマスクをしていない人もいたのに、だんだんマスクをする人が増えました。「どうされますか」と聞かれたこともあります。

ただ、準備期間を含めて「数字は絶対に落とせない」と言われるなかで、現場の全員が踏ん張ってきました。準備をしてくれたメンバーを前に、ここでやめるという決断はできませんでした。値段がつくかどうかではなく、「やれることがすべてだからやろう」と決めました。3月25日に上場し、その直後に緊急事態宣言が出ました。

上場の目的は、社会に対する私たちの約束を果たすこと、お客様の裾野を広げること、社員が安心して働けるようにすることです。上場がゴールだと思ったことはなく、プロセスのなかの通過点だととらえていたからこそ、決断できたのだと思います。

── 2022年に経営体制を移行しました。このタイミングを選んだ理由は何でしょうか?

中村 コロナの大流行がきっかけです。働き方が変わり、世の中が激変しました。私に残された期間も、次を育てることに充てる必要があります。このタイミングを逃したら、自分はずっと続けることになるという危機感がありました。

若いメンバーのモチベーションもあります。創業者がいつまでも続けるつもりは、まったくありませんでした。やるなら今だ、と考えました。

── 後継者に金谷社長を選んだ理由を教えてください。

中村 振り返れば2008年にさかのぼります。リーマン・ショックの後の会議で、「この状態が続いたら銀行にお金を借りに行く。私以外に誰が保証人になるか」と聞いたところ、金谷だけが手を挙げました。本人はわけもわからず挙げたのだと思いますが、その腹の据わり方は一つの理由です。

持ち味も私とは違います。私は社内の組織づくりと人の育成に力を注いできましたが、彼は人を大事にしながら、外にもどんどん出ていける人間です。同じ性格が二つあるのではなく、うまくバランスが取れていると思っています。

私は、求められるのはIQよりもEQだと考えています。いくら良い仕事をしていても、人を引っ張れなければ務まりません。「自信、人格、実力、実績」という言葉が頭にこびりついていて、それを常に考えながら人を適材適所に配置しています。

『ワークデザイン』の先に見据える「ライフデザイン」という領域

── 今、最も期待している事業は何ですか?

中村 ブランディング事業は伸びると見ています。そのうえで私たちが伸ばしたいのは、働き方を提案するコンサルティングです。コロナの前から力を入れ始め、「ヴィスはオフィスデザインではなく『ワークデザイン』を手がける企業だ」と言っています。

昔は「どんなデザインにしたいですか」「社長のご趣味は何ですか」と、社長の好みを聞いていました。今はまったく違います。聞くのは「どんな働き方をしたいか」です。それを導き出すために、当社では、お客様をオフィスに招いて、ワークショップを日常的に開いています。

── オフィスデザインを手がける会社は増えています。この変化をどう見ていますか?

中村 私が営業を始めたころは「オフィスをデザインするの?」と言われ続けました。今は手がける会社が増えましたが、これは良いことだと考えています。

多くの人が働いているなかで、環境に恵まれていない人はまだたくさんいます。お金をかけるという意味ではなく、床の色を変えるだけでもいい。そういうことができる会社が増えて、マーケット自体が大きくなればいいと思います。そのなかで私たちは、同じ場所で足踏みをせずに先へ進みます。

── 今後10年、20年で、ヴィスをどう変えたいと考えていますか?

中村 オフィスデザインをスタートさせたという自負がありますから、リーディングカンパニーのポジションには絶対にいなければならないと考えています。

私たちはオフィスデザインから『ワークデザイン』という領域を見つけました。次は、おそらくライフデザインに行くと思います。「豊かに働く」「働くことで豊かになる」と言っていますが、これはワーク・ライフ・バランスの話ではなく、ライフそのものに結びつくはずです。

ただし、一足飛びには行けません。オフィスデザインからいきなりライフデザインへ、真ん中を抜くことはあり得ない。いろいろなプロセスを皆で経験しながら、常に先を見てマーケットを広げたいと考えています。

── 2010年の宣言を実現してきた経験から、これから起業する人に伝えたいことは何ですか?

中村 絶対に諦めないことです。私の好きな言葉に「言行一致」があります。言ったことは、きちんとやり切るということです。諦めずに、言ったことを実践し続けることがとても大切だと私は思っています。

氏名
中村勇人(なかむら はやと)
社名
株式会社ヴィス
役職
代表取締役会長

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