(この記事は2014年3月31日に掲載されたものです。提供: Biglife21

ワイパーは1個。バックミラーも1個。エアコンなんて当然ない。雨が降ったら窓は湿気で曇るから、窓を開ける。UVカット? なものは知らん。カーナビ? 何じゃそりゃぁ~…の世界が、インドのタタモーターがつくった「ナノ」という自動車である。覚えておいでだろうか。

もはやエンジンはハイブリッドとかEVは当たり前で、燃料電池車も市販されている日本。追突しそうになったら勝手にブレーキを踏んで止まってくれるような移動機械を自動車と呼ぶ日本からすれば、ナノは自動車という範疇から漏れてしまうかもしれない。

だが「結局インドの自動車ってその程度のものしかつくれないんだねぇ」と思ったら事態を見誤る。実際2008年にタタモーターが、フォードからジャガーの買収を発表したとき、誰もが「ずいぶん背伸びをしたものだ」と嘲り、誰もが「そのうち手放すだろう」と思ったはずだ。イギリスの新聞ばかりか、日本の新聞でもイギリスの魂が奪われたかのごとく書き立てた。

13年にジャガーブランドとして最高益

だが結果としてその予想は外れた。確かに買収額が負担となり、タタモーターは金融機関に借り入れの返済猶予を申し立てている。ナノの売上も低下傾向にあり、これと言ったモデルの刷新もない。

「で、それが何か?」

きっとタタの上層部はそう返すのではないか。実際2010年の10~12月に彼らは最高益を上げた。前年比の3倍だった。少なくともこの時点で、他の多くの自動車メーカーより、タタモーターの戦略、経営が勝っていた。

そして13年はジャガーブランドとしては最高益を叩き出している。フォードができなかったことをタタがやってしまった。

150年インド経済を牽引してきた「タタ財閥」

タタモーターの親会社タタは、ご承知のとおりインド屈指の財閥だ。多様な人種、多様な宗教、多様な言語、多様な世代、多様な所得層が混在しているインドで、タタが150年にわたってインド経済を牽引してきたことは特筆に値する。

タタの創業者、ジャムシェドジー・タタは、インド社会を発展させるべく、青雲の志を抱いて、29歳のときに商社から独立、起業した。産業を興し、広げていくことが国の発展に繋がると考えていた。

150年前と言えば、日本の明治維新の頃に重なる。日本の財閥を築いた先人たちの多くがいわゆる報国思想に基づいて、坂の上の雲を目指して産業を次々と興していったように、同じ頃ジャムシェドジーもインドで同じ夢を抱き、インドの発展に寄与していった。それゆえ、タタの企業運営には社会貢献、CSRの思想が色濃く反映されている。

1892年には、現在の「タタ財団」の母体となる「JNタタ基金」を設立している。

タタ財団は慈善事業を目的とする財団で、その運営資金は約100社のタタグループの利益の一部から成っている。タタは多くのグローバルコングロマリットがそうであるように、持ち株会社「タタサンズ」が傘下のタタモーターズをはじめ、果敢なM&Aで知られるタタスチールやタタパワー(電力会社)、タージ・ホテルズ・リゾーツ&パレシーズ(ホテル運営リゾート開発)などグループ企業の株を持ち、グループとして企業を運営している。タタ財団は創業者タタ一族が運営し、そのタタサンズの66%の株を所有している。つまり、タタは社会貢献の目的のために企業群が存在し、経営されているのである。

実際、タタはインドでは初めて8時間労働制を導入しているし、首切りもほとんどしない。グループには腐敗や不正、特定の政党との結びつきを排除する「タタ企業綱領」が掲げられ、グループ企業に遵守を求めている。だからこそタタは多様な価値観のうごめくインドで信頼を得ており、インドを代表する企業となっている。タタは、最近の日本企業がとってつけたようにCSRや社会貢献を謳うのとでは、腰の座り方が違うのだ。

もちろんグローバルプレーヤーとしての実績もある。世界中80カ国以上に事業を展開しているのだ。グローバル化を謳う日本の大手企業でもここまでネットワークを持っているところは少ないだろう。

ある大手証券会社のアナリストは、「日本企業の中国やアジアでの成功モデルは、ベンガル湾を越えては通用しない」という。

インドで揉まれたタタは、企業の存在価値とグローバル社会での生き方を知っている。タタとナノから学ぶことは多いはずだ。

いまどきのビジネスはだいたいそんな感じだ。