(写真=PIXTA)
去る8月末、突然NY株が2日間で1480ドルあまりの暴落をしました。つれて日本も、一日遅れで、日経225は2071ポイントの暴落をしました。これがいわゆる中国の為替切り下げに端を発した世界同時暴落の先駆けでした。わたしは、この成り行きを見ながら思い出していました。一つは、「また来たな」、10年ごとにやってくる市場エネルギーの疲労、枯渇かもしれないということ。もう一つは、1987年の10月19日(月)に米国市場を襲った、いわゆるブラックマンデーのことでした。 (記事提供:投資家ネット『 ジャパニーズインベスター 』)
思い出してみますと、ブラックマンデーでは、機関投資家が過熱気味な株価を自己保存のためにポートフォリオ インシュランス(つなぎ売り)を使って、空売りをしたのです。この時私は唖然として、値もほとんどつかずに急落してゆく株価を、ただ見守るだけでした。このときは機関投資家が、許される限度内で、保有株の空売りができるという制度をフルに使ったのです。その日は一方的な下げに見舞われて、だれもなすすべがありませんでした。
ところが、あとで調べてみたところ、この下げに向かって買った人たちがいるのです。それは、個人投資家だったのです。それまで、個人投資家は、下手な投資の代表みたいに馬鹿にされていました。しかし、この下げを機会として、彼らは変わりました。どうしてでしょうか?
彼らは①アメリカの先行きに希望を持っていた、②大幅の下げで、優良株が割安になった、③手元に流動性を持ち、家計に余裕があったのです。なんといっても(ここが日本人と違うところですが)アメリカ人が国家やその経済運営、また株式市場にも楽観的だったことがあげられます。「楽観的なファンドマネジャーこそ成功の鍵」と言われる資産運用の世界での箴言を、図らずも個人が身をもって試していたのです。
1987年秋、いよいよ個人投資家の時代が来たな、と私は感無量でした。ブラックマンデーはたったの一日だけ、NYダウは16日の金曜日の2246・74から月曜日には508・33下げて1738・41、わずか一日のみで、楽観的な個人投資家はすかさず買い向かったのが成功して、その年の年末にかけて、NYダウは1938・83まで11・5%戻し、また翌年1988の高値の2182まで25・5%上昇しました。
今回の暴落はブラックマンデーとは内容が違いますが、機関投資家が目の色を変えて、「持ち株の投げに走った」ことは同じです。1987年、打撃の少なかった個人が買ったのは歴史的な事件と言っていいでしょう。私は、そういう空気というか、雰囲気がうらやましいのです。
日本人は、押しなべて生来悲観的です。国民性とでも言いますか、当時のアメリカ人みたいに、冷静にかつ大胆に投資ができないのです。わが同胞は「投資は損をする、だから金利がほぼ無くても余裕金は銀行に置いておくのが安全だ」とあくまで安全指向です。
私の知り合いにサワコさんという女性がいます。最近株式投資を始めました。NISAにも入りました。時々最小単位株を売買して、儲かったら「私の選びかたが良かったのね」と喜び、損をしたら「私はまだ勉強不足だから、吉野さん教えてください」と言われます。決して愚痴をこぼしたり、嘆いたりしません。
そして、何よりもの救いは、「長く持っていたら、いつかは利益が出る」と信じていることです。この方は、性格が良くて、あくまでも明るく、楽しげで、愚痴などこぼさないのです。
今回の暴落のきっかけは、情報不足の国から発して、世界中に不安が蔓延したということなので、今までのように「金融緩和策で解決」といった単純な内容ではないかもしれません。さて、結論ですが、私は暴落のたびに思うのです。暴落とは次の成長ステップへの礎(イシズエ)でもあり、必要不可欠なカタルシスではなかろうかと。
吉野永之助
1936年生まれ。大手外資系投資顧問キャピタルグループの元ファンドマネジャー。
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