弱小だったレコード会社を飛躍させた決断
――御社は1999年の設立ですね。創業の経緯をお教えください。
井上 僕は、バンダイとアミューズが設立したエアーズというアニメ音楽のレコード会社に勤めていて、ディレクターをやっていたんです。ところがエアーズが事業を停止することになったので、僕を含めたメンバー4人でランティスを設立しました。
――日本の音楽CD市場全体のピークは1998年でしたが、その頃、アニソンの市場はどういう状況だったのでしょうか?
井上 アニソンというジャンル自体が、まだなかったかもしれないですね。アニメの主題歌は一般的なアーティストのタイアップ曲が主でした。だからこそ、アニソンというジャンルを確立しようと頑張ったわけです。
――そんな状況でアニソンの会社を興したとは、挑戦的ですね。
井上 4人でスタートしたので、たぶん、世界で最も小さなレコード会社だったんじゃないかと思います。だから、テレビアニメの主題歌やゲームの主題歌といった大きな仕事の依頼はありません。はじめはコミックのイメージアルバムやドラマCDを作ったり、僕の高校時代からの友人である影山ヒロノブのアルバムを作ったりしていました。エアーズの事業停止でやり残したままになったOVAの音楽を引き継いだりもしましたね。
――どういう音楽を作ろうと考えていたのですか?
井上 当時、大半のアーティストは自分で詞も曲も書いていて、ディレクションもアーティストや事務所が主体でやっていました。本来、楽曲作りのディレクションをするべきレコード会社のディレクターが、事実上、不在だったわけです。
でも僕は、自分自身がミュージシャンとして活動していたこともあって、自分の意向を反映した音楽を作りたいと思っていました。ですから、ランティスを立ち上げたときは、僕たちの意向を理解してくれる職業的な作詞家や作曲家の方々と組み、何回もやり取りをしながら楽曲を作るスタイルを取りました。
目指したのは「今の時代に合ったアニメ音楽」です。アニメの映像はクオリティが上がって進化しているのに、使われている音楽は進化していないように感じていたのです。それに、アニメ専門の音楽を作るべきだとも思っていました。当時のアニメ音楽は旧態依然とした軍歌的なサウンドがあったり、そうでなければ、先ほどもお話ししたように、一般的なアーティストが歌うタイアップ曲がほとんどだったからです。
――御社が飛躍するきっかけとなった出来事はなんだったのでしょうか?
井上 『あずまんが大王』のテレビアニメ(2002年放送)の仕事の依頼が来たことです。
ベンチャーの我々にとって、テレビアニメの仕事を受けるには相当の覚悟が必要でした。番組スポンサー料を出さなければならないからです。けれども、そのときの社員の中に『あずまんが大王』が大好きでデスクにフィギュアまで並べている人がいて、「こいつのためにも、やったほうがいいだろうな」と思って引き受けることにしました。当時、資本金1,000万円だった会社が3,500万円くらい出資したのですから、大きな決断でした。
――その賭けが成功した?
井上 そこで作った主題歌の『空耳ケーキ』が、変拍子がたくさん入った一風変わったもので、アニメ業界のボスだったキングレコードの大月俊倫さんに「面白い曲、書くじゃないの」と言っていただけたのです。それから仕事が大きく増えました。
――あえて変わった曲を作ったのですか?
井上 当社副社長の伊藤(善之)が全力で作りました。もちろん作品に合うように考えて作りましたが、原作のマンガ自体が特徴的な作品でしたから。
――それから会社のお金もうまく回るようになった?
井上 資金はずっと無借金でやってきたんです。今のオフィスに引っ越してきたときに、地下にスタジオを作るために借入れをしましたが、それだけですね。
――その後、大きな転機はありましたか?
井上 テレビアニメの仕事するようになったのと同じ頃ですが、ライブを行なうようになったのも大きな変化でした。アーティストが育ってくると、自然とライブもやりたくなるからです。
最初はJAM Projectという音楽チームのライブから始めました。当社を設立した翌年から活動しているグループで、JAMはJapan Animationsong Makersという意味です。当初は水木一郎さんたちも所属していて、今は一部、メンバーが変わっています。
JAM Projectは、いわばアニメ業界への恩返しプロジェクトです。メンバーの影山ヒロノブさんは先ほどお話ししたように僕の高校時代からの友人で、一緒にレイジーというバンドを組んでいました。16歳で東京に出てきたものの、レイジーは20歳のときに解散。その後、苦労をしましたが、『ドラゴンボールZ』の主題歌を歌うことで第2の音楽人生に進むことができました。他のメンバーも同じで、『勇者王ガオガイガー』や『ONE PIECE』など、みんなアニメに出合うことで花開くことができた人ばかりです。僕もアニメ音楽に出合うことで新たな音楽人生を歩むことになったので、メンバーに入ってもいいくらいなんですが(笑)。
――2006年にバンダイナムコグループに入ったのも大きな転機だった?
井上 当時、東証一部に上場していたバンダイビジュアルの子会社になりました。当社としては中長期的に事業を考えていきたいと思っていたところで、バンダイビジュアルは音楽事業をやりたいと思っていた。社長にも何度かお会いしたことがあり、信頼していたので、出資を受けることにしたのです。
バンダイナムコグループに入ったことで、アニメ作品を原点から一緒に作れるようになりました。これが一番大きな変化です。『ラブライブ!』も、映像はバンダイビジュアル、音楽は当社と、良い形で一緒に作ることができました。良いタイミングで出会えた作品だと思いますね。
グループに入ることで資金面も安定しましたし、毎月決算をするようなスピード感のある経理システムも整いました。