経験よりも「合理的なアプローチ」を重視

靍谷忠久,JALパイロット,想定外,エラー防止術
(写真=The 21 online/靍谷忠久(日本航空777運航乗員部機長))

ミスが許されない仕事というとまず思い浮かぶのが、人命にかかわる職種だ。パイロットはその代表例で、乗客の命を預かる立場である。致命的な状況を防ぐために高度にシステム化された、機長の仕事術についてうかがった。

「ミス」とは何か? JALの定義とは

日本航空の靍谷忠久氏は運航乗務員として27年のキャリアを持ち、2000年以降は機長の重責を担ってきたベテランパイロットだ。乗客の命を預かる乗務員たちは、どのようにミスを予防しているのだろうか。

「まずお伝えしておきたいのですが、私たちはミスではなく、『エラー』という言葉を使います。多くの人は、『望ましくない状況や行動』を表わすのに何となくミスという言葉を使うようですが、日本航空ではエラーを明確に定義し、一般的に使われるミスとは区別しています。

日本航空におけるエラーの定義は、『組織や社会の客観的期待値を満たさない乗務員の行動、あるいは無行動』。喩えるなら、五メートルの棒高跳びができる人が、四メートルを跳び損ねるのがエラー。六メートルを跳び損ねるのは、エラーには入りません。大事なのは、お客さまや会社が『この人なら五メートルを跳ぶはずだ』と期待する水準を下回らないこと。日本航空では、この定義を全ての乗務員が共有しています。

このように、私たちのエラーに対する基本的な考え方は、常に客観性と合理性に基づいています。精神論や根性論で『頑張ればエラーを減らせる』と考えるのではなく、何をどのレベルで実行すればよいか明確な基準を示し、それを達成するための仕組みも確立されています」

「人間はエラーをする」まずはその前提に立つ

では、言葉の定義を踏まえたうえで、パイロットはエラーをしないために何をしているのか。その答えは、意外にもシンプルなものだった。

「パイロットが個人でできるのは、『学習・訓練・確認』の三つを日々継続して行なうこと。航空機の運航手順はマニュアルにより標準化されているので、まずはそれを学習する。学習したことは、フライトシミュレーターなどを使って訓練する。さらに、年2回の技能審査や年1回の路線審査、そして年4回のシミュレーター訓練で、パイロットの能力を定期的に確認する。もっと短いサイクルで言えば、一回のフライトが終わるたびに、機長と副操縦士がその日の運航を振り返るのも大事な『確認』です。

しかし、『学習・訓練・確認』が必要なのはパイロットにかぎった話ではありません。その意味で、エラーをしないために個人がやっていることは、他の業界と変わらないと言えます」

そのうえで靍谷氏は、「航空業界のエラーに対する取り組みで特筆すべき点は、もっと別のところにある」と話す。

「それは、現在の航空業界が『人間はエラーをするものだ』という前提に立った上で、『エラーをいかに管理・コントロールするか』を考えている点です。

かつては航空業界も、エラーをゼロにできると考えていました。確かに、航空技術の発達や乗務員の訓練強化などにより、以前に比べれば事故率は大幅に下がりました。しかし、どれだけ努力をしても、事故率はゼロにならない。さらには様々な研究により、人間は脳の構造上、エラーを完全には回避できないことも明らかになりました。そこで1990年代に入ると、航空業界はエラーに対する考え方を根本的に改めたのです。

誤解して欲しくないのですが、私たちは決してエラーをしてもいいと思っているわけではありませんし、個々の乗務員はエラーをしないために最大限の努力をしています。しかし、それでもエラーは発生する。その時にどう対処し、影響を最小限に食い止めるかを日頃から考えることで、エラーの管理やコントロールが可能となるのです」

事前に「Threat」を共有しておこう

この「エラーの管理やコントロール」とは、具体的にどういうことなのか。日本航空では、乗務員たちがある理論に従って行動することにより、それを実現しているという。

「私たちは、『Threat & Error Management』 というロジックに従って行動します。これは米テキサス大学が開発した理論で、『Threat=エラーが発生する可能性を高める要因』をいち早く認識し、適切な対処をすることで、より重大な事象の発生を防ごうとする考え方です。

Threatとは、悪天候や見通しの悪い夜間運航、空港の混雑や急病人の発生などが挙げられます。そしてこの理論においては、Threatを放置すると“Error”が発生し、Errorの処理に失敗すると“Undesired Aircraft State(望ましくない飛行機の状況)”に至り、さらに対応を誤ると“Incident(事故につながる可能性がある事象)”に陥りかねないとされます。

よってパイロットは、フライト前やフライト中の要所で必ずチームによる打ち合わせをして、『どのようなThreatがあり得るか』を共有します。さらに、Threatに気づいたときはどのように行動するか、もしThreatを見逃してErrorが発生したらどう対処するかも決めておきます。あらかじめやるべきことが決まっていれば、実際にイレギュラーが発生しても適切に対処できるので、それより悪い状況には陥りません」

この「チームで対処する」という点も、エラーを管理するためには非常に重要だ。

「客観的かつ合理的に判断するには、誰か一人の主観に頼るのは危険です。たとえ経験豊富な機長でも、人間はエラーをするという前提に立てば、Threatを見逃す可能性がある。副操縦士が『何かおかしいな』と気づいても、『ベテランの機長が何も言わないのだから、きっと大丈夫だろう』と思って何も言わなければ、エラーにつながる可能性があるのです。

ですから、私が機長を務める時は、副操縦士や客室乗務員に『君たちが少しでも違和感を覚えることがあったら、必ず声に出して言ってください』と伝えています。Threatを発見し、共有しやすい環境を作ることも、機長の重要な任務です」「直感」ではなく「直観」を使おう

ThreatやErrorなどの問題が発生した場合の対処についても、理論が確立されている。

「問題への対応は、『Structured Decision Making』という意思決定のフレームワークに従って行ないます。フライト中にThreatやErrorを認識し、『今、何が問題なのか』を設定したら、次に考えるべきは『使用できる手順が設定されているか』です。ほとんどの場合、マニュアルで手順が用意されています。よって、用意された手順に従えば、問題は解決します。

しかし時には、手順が用意されていないケースもあります。その場合に考えるべきは『判断に必要な時間はあるか』です。その答えがイエスなら、解決案の選択肢を挙げ、それぞれのリスクを評価し、解決案を選択して決定するというプロセスで、分析的な意思決定を行ないます。

一方、時間がない場合は、直観的な意思決定を行ないます。ここで注意したいのは『直感』ではなく『直観』だということ。直観とは、経験に基づいた判断により、これが最も合理的だと思われるベターチョイスができるよう最善を尽くすこと。一方の直感は、カンを働かせて物事を感覚的にとらえることで、意味がまったく異なります」

「経験」に頼らず、標準化された手順を重視

問題が発生した時に意思決定を迫られるのは、どんな職業でも同じだ。だが、「正しいプロセスを踏んで意思決定ができる人は、意外と少ないのではないか」と靍谷氏は指摘する。

「手順の確認や分析をすることなく、いきなり直観的な意思決定をしようとする人は多いはず。『前もこれでうまくいったんだから、自分の言う通りにやってよ』と部下に命令する上司は、どの職場にもいるものです。

しかし、自分の経験に基づいて判断するのは、あくまで二番目以降の段階。とくに航空機のフライトは、飛行中の環境やお乗りいただいているお客さまが毎回違うので、『過去の経験がそのまま役に立つことはない』と考えます。だからこそ、標準化された手順やフレームワークに従い、合理的かつ客観的な基準にもとづいて行動することが求められるのです。

『意外と当たり前ことだな』と思った方もいらっしゃるでしょう。しかし、当たり前のことを当たり前に実践することが、エラーの発生を最小限にするためには、何より大事なのではないでしょうか」

【コラム】「気をつけよう」はNGワード

パイロット間のコミュニケーションでも、主観的な表現は使わず、「客観的かつ合理的」の原則が厳守される。よって、機長と副操縦士の会話では、「気をつけましょう」「注意しましょう」といった曖昧な表現が使われることはない。

「たとえば空港の滑走路が混雑している時に、『今日は滑走路が混んでいるので、地上を走行中は注意しましょう』では不十分。『今日は34R滑走路まで地上を走行する時、右方向から入ってくる国際線が普段より多くなります。よって、右手に別の航空機が見えたら、そのことを声に出してから、速度を落としましょう』。このように、実際の行動にまで落とし込んだ具体的な指示や確認が必要です」

「何がどうなったら、どのように行動すべきか」というところまで具体的に言葉にすること。これは一般企業の職場でも有効なエラー防止策になるはずだ。

靍谷忠久 Tadahisa Tsuruya
日本航空〔株〕777運航乗員部機長/広報部担当部長
1986年、日本航空㈱入社。90年、747型機セカンドオフィサー(パイロット資格を所有し、航空機関士業務を行なう運航乗務員)として乗務開始。92年、747型機副操縦士。2000年、767型機機長。01年、747型機機長。08年、運航安全企画部調査役機長。10年、777型機機長、兼運航訓練審査企画部HF訓練企画室室長。14年、運航訓練審査企画部副部長。16年、広報部担当部長。(取材・構成:塚田有香 写真撮影:まるやゆういち)(『 The 21 online 』2017年6月号より)

【関連記事 The 21 onlineより】
ミスがなくなる! 「メモ」の基本&活用術
自然と片づく仕組みを作る、タニタのオフィス整理術
仕事のミスは脳の仕組みが原因だった!
徹底した「準備」が、強いメンタルを作り出す
何度言っても同じミスをする部下の「叱り方」