キャスティングとロケーションへの徹底したこだわり

『散り椿』には、木村監督ならではのこだわりが詰まっている。配役も、その一つだ。

「『散り椿』の映画を企画して、ロケハンもして、台本ができたのが2014年の暮れから15年にかけてかな。どうしても岡田准一さんの主演でやりたかったんだけど、スケジュールが取れなかったので、そこでいったん置いておくことにしたんだ。

すると、岡田さんが主演する『追憶』(2017公開)という映画の監督を降旗康男さんがやるということで、撮影をやってくれないかという話が来た。『岡田さんの演技を見られるから、ちょうどいい』と思って引き受けて、その撮影が終わったときに『散り椿』の台本を渡したの。そうしたら、すぐに『やりたい』という返事が返ってきた。それが、2016年の6月頃。

それから、撮影をしたのが去年の5月15日~7月5日で、封切が今年の9月28日というスケジュールだね。そう考えると、けっこう時間がかかっている。

采女役を西島秀俊さんにしたのは、清廉潔白、真面目で理知的な雰囲気が、采女にぴったりだから。岡田さんを主演に決めたのと同時に、采女は西島さんに決めていた。

キャスティングは、95%、俺が最初に言った人で決まっている。断る人はほとんどいなかったよ」

俳優への演技指導も、木村氏独特のものだ。

「時代劇の所作は、若い人はわからないじゃない。だから、一番の年長者である俺が見た。所作の指導はつけなかった。

俺は、時代考証の専門家が言うようなことは言わないよ。座って戸を開けて、立ち上がって部屋に入って、また座って戸を閉める、なんていうのはまどろっこしい。そのへんの制約は、だいぶ取っ払った。

今の人間と同じで、自分の家に帰ったら、胡坐をかいても、足を投げ出してもいいって言ったよ。殿様の前に出たら正座だけど、誰も見ていないところで正座しているバカがいるか? 最低限度の所作はあるよ。でも、今の人と同じ人間なんだから。

台詞の言い方も、言いにくかったら変えていいし、言いたくなければ切ってもいいって伝えた。その役にピッタリな俳優をキャスティングして、その俳優も考えてきているわけだから、その考えてきたことをテストで出していい、って。テストを見て何か文句をつけることも、基本的になかったね」

時代劇としては前代未聞の全編オールロケで撮影されているのも、『散り椿』の特徴だ。

「セットはお金がかかるということもあるけど、空気感や流れるものが違う。ロケーションのほうが、詩情があるというか、よりリアリティがある。最初からオールロケで撮ろうと考えていたな。

ロケハンは自分一人でやるんだよ。小泉さんにいったん書いてもらった脚本を持って、自分の自家用車でロケハンに行く。それで、『この場所で撮るんだったら、こう書き変えないといけない』と考えていく。だから、撮る場所を決めてから、脚本を作っているようなものだな。

監督が別にいて、自分はキャメラマンだけを務めるときでも、俺だけでロケハンに行っちゃうから。『こういう場所があるから、こうしたらどうですか』と監督にプレゼンして、ダメだと言われたことは1回もないよ。それだけ、俺の見る目は正しいんだよ。

俺は47都道府県を2回ぐらいまわっていて、映画に使える良い場所は全部頭に入っている。『散り椿』でロケをした富山は特に慣れた場所で、『あそこにあれがある』というのがわかっているから、それを確認してまわったわけだな。

富山を選んだのは、地方の藩の話だから。普通、時代劇というと京都で撮るんだけど、京都は全部他の人に撮り尽されている。そこではやりたくない。それに、京都はちょっと雅びで、地方の藩に似つかわしくないね。

城は彦根城、道場は長野の松代で撮った。彦根城は、京都が近いのでいろんな撮影隊がロケをしているけど、他の人が撮っていないアングルで撮ったよ。

そうすると、最初に松代で撮って、上信越道を経由して富山に行って、帰りに彦根に寄れば、撮影が終わる。効率的で、かかるお金が少なくて済む。そういうことも考えているんです。お金の使い方は、プロデューサー以上にわかっているからね。

『散り椿』を観た映画人からは、『初めて見る場所だ』とよく言われるね。特にキャメラマンは、『よくあんな場所あったね』と言う。そりゃそうだよ。そういう場所を選んで撮ったんだから」

劇中で印象的な場面に登場し、タイトルにもなっている散り椿も、本物にこだわった。

「あの散り椿は、建物の裏手のほうにあったのを、座敷の向こうに見えるように植え替えたの。

散り椿は3月下旬に咲くから、岡田さんのスケジュールが取れる時期には、もう散ったあと。だから、葉は本物で、花は造花で撮った。でも、散る前に本物の花を撮っておいて、1輪ずつ合成したから、写っている半分以上は本物。特に岡田さんに寄った画のバックにあるのは、全部本物だ」