「味読」をすることで新しい発見が得られる

では、どのように古典を読めば、自分の血肉となるのだろうか。北尾氏は「味読」をすることをすすめる。

「要するに『よく味わいながら読む』ということです。『これは心に響く言葉だ』と感じた箇所に、蛍光ペンなどでラインを引いていき、同時に『この言葉のようなことを、私は実践しているだろうか?』と省みながら読むことで、自分自身の糧になります」

古典に関しては、同じ本を何度も読み返すことも大事だ。

「古典は、自分の年齢や経験の蓄積に応じて、得られるものがまったく違ってくるからです。『論語』にしても、『修身教授録』にしても、何度読んでも、新しい発見があります。それは、60歳を過ぎた今でも変わりません。中国古典に、『五十にして四十九年の非を知る』(『淮南子』)や『六十にして六十化す』(『荘子』)という言葉がありますが、私自身もいくつになっても変化していきたいと考えているし、古典に学ぶことで、変化できていると感じています」

その変化がわかるよう、北尾氏は、読む時期によって、蛍光ペンの色を変えている。

「同じところに何度も線を引いていることもあれば、最近になって、初めて引いたところもある。このような変遷を見ていくと、自分の成長や心の変化を感じられます」

「悉く書を信ずれば書無きに如かず」

歴史小説やノンフィクションなどに関しては、「主体的に読む」ことも心がけている。

「その主人公がとった行動に対して、『自分ならどんな行動をとっただろう?』とその人の立場になって考えてみるのです。すると、判断の訓練になり、それが実世界でも生きてくる。また、本の世界の中に入り込んで、その世界にいる人たちと向き合ってみると、人間関係の経験値も広がっていきます。 いつもの会社でいつも会う上司や取引先の人と通常業務を繰り返しているだけでは、世界が広がりませんが、本を活用すれば、世界を広げることができますよ」

このように、様々な本から学んでいる北尾氏だが、どんな本を読むときでも、書いてあることを鵜呑みしないように、意識しているという。

「孟子に、『悉く書を信ずれば、書無きに如かず』という言葉があります。本に書いてあることは何でもかんでも正しいと思って、すべて鵜呑みにしていると、何も学ぶことができず、読んでいないも同然です。書かれていることに対して、『本当にそうなのだろうか?』と疑問を持ちながら、突き詰めて考えることで、初めて自分の血肉になるし、本を読んだ意味があるといえます」