音楽教室のレッスンが古い曲ばかりに?
だし、これは私の法律家としての分析であり、音楽文化全体を考えたとき、本当にそれでいいかは疑問です。
たとえば、前述のダンス教室の例では、生徒数の少ない教室などから負担を訴える声が出たため、日本ボールルームダンス連盟は著作権切れの古い曲ばかり集めたCDを用意しています。これでは、とくに若い人を取り込むのは難しいでしょう。
今回の裁判でJASRACの主張が認められ、音楽教室が使用料を支払わなければならなくなった場合、同じようなことが起こる恐れは十分あります。とくに小さな子供はクラシックの名曲などよりも、流行のアニメの主題歌などから音楽に興味を持つ子も多いものです。それが弾けなくなってしまったら、教室に通うのをやめてしまうかもしれません。子どもたちが音楽に対する興味を失ってしまっては、音楽文化の発展もありません。
著作権法の権威である中山信弘東大名誉教授も「木の枝を切り込みすぎて幹を殺してはいけない。音楽教室に対して必要以上に著作権者の権利を主張すれば、音楽文化が発展しなくなるかもしれない」と話しています(詳細は拙著『音楽はどこへ消えたか? 2019改正著作権法で見えたJASRACと音楽教室問題』参照)。
「改正著作権法」が追い風に
ただ、ここに来て音楽教室側に「追い風」が吹き始めています。2018年5月に成立し、2019年1月から施行されることになった「改正著作権法」において、従来よりも柔軟な著作物の利用が認められることになったからです。
改正されたもののうち、今回の訴訟に関連しそうなのが、第30条の4の「著作物に表現された思想又は感情の享受を目的としない利用」です。元の条文は長くて難解なので、その骨子だけを要約すると、以下のようになります。
著作物は、次に掲げる場合その他の当該著作物に表現された思想又は感情を自ら享受し又は他人に享受させることを目的としない場合には、その必要と認められる限度において、いずれの方法によるかを問わず、利用することができる。ただし、著作権者の利益を不当に害する場合はこの限りでない。
1 著作物利用に係る技術開発・実用化の試験
2 情報解析
3 1、2のほか、人の知覚による認識を伴わない利用
先ほど申したように、音楽教育を守る会は「音楽教室での演奏は聞かせることを目的としていない」と主張しています。
この主張が仮に認められなかったとしても、音楽教室での演奏は今回改正された「思想又は感情を自ら享受し又は他人に享受させることを目的としない場合」にあたると主張しているのです。
ただし、この「享受目的」という表現は非常に抽象的です。国会でも議論となり、なかには具体例をあげて、「こういう場合は享受目的といえるのか?」と質問する議員も現れました。それに対して中岡文化庁次長は「最終的には司法判断になるが……」と前置きして、回答するケースもありました。
ともあれ、裁判所の判断に任される余地が出てきたことは、音楽教育を守る会にとっては朗報です。こうした解釈が認められれば、音楽教室での利用が著作権の侵害に当たらないとみなされる可能性が出てきます。
もちろん、裁判によりどのような判決が出るかはまだわかりません。ただ、もし音楽教育を守る会が敗訴したとしても、最高裁まで争ってもらいたいと思います。一昔前の「一人でも公衆」とみなす判例や「一人カラオケも聞かせるための演奏」だとする判例が、現在の社会通念にあっているのかどうかを見直す機会でもあるからです。
JASRACを一方的に「悪者」にする視点は問題だとは思いますが、私はこの判決が今後の日本の音楽教育のみならず著作権法の行方を左右する大きなターニングポイントになると見ています。
城所岩生(きどころ・いわお)米国弁護士
国際大学GLOCOM客員教授、米国弁護士。東京大学法学部卒業、ニューヨーク大学修士(経営学・法学)。NTTアメリカ上席副社長、成蹊大学法学部教授を経て2009年より現職。2015年夏、サンタクララ大学ロースクール客員研究員。主著、『著作権法がソーシャルメディアを殺す』(PHP研究所)、『フェアユースは経済を救う~デジタル覇権戦争に負けない著作権法』(インプレスR&D)、『JASRACと著作権 これでいいのか~強硬路線に100万人が異議』(ポエムピース社)『音楽はどこへ消えたか? 2019改正著作権法で見えたJASRACと音楽教室問題』(みらいパブリッシング) 。(『THE21オンライン』2019年01月24日 公開)
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