英会話ビジネスに「サークル感覚」の手軽さを取り入れた異端児
NOVAは1981年、猿橋(さはし)望氏により設立された英会話学校です。猿橋氏は研究者になるために留学していたパリから日本に一時帰国している際、旅行好きな欧米の友人たちと過ごしているうちに、「このような外国人と触れ合うサークルをあちこちに作りたい」という思いが芽生えます。そして、サークル活動を続けるための彼らの食費稼ぎの手段として、英会話学校という形式を思いついたことが、NOVAをスタートするきっかけとなりました。
当初は有限会社ノヴァ企画として、大阪の心斎橋、梅田に教室を作りますが、企業の国際化などの追い風を受けて徐々に軌道に乗り始め、1986年には3校目として東京展開(渋谷校開校)を試みます。東京には1962年に創立したECC、1973年に創立したジオスとイーオンなど老舗英会話教室を中心に乱立する状態でしたが、NOVAの優位性は圧倒的な低価格と気軽さにありました。
決まった曜日と時間に授業を受けるという「学校型」とは異なり、「サークルの乗りで楽しく英語を学んでもらう」「フリーに友達と約束する感覚でアポイントを入れてもらう」という新たなコンセプトを確立。そのコンセプトは市場に受け入れられ、売上、教室数ともに毎年2倍のスピードで成長します。そして1990年には株式会社化し、創立10年の1991年には売上120億円、生徒数6万人、そして関東・関西に87校もの拠点を広げるまでに至ります。
NOVAの安さの秘密は2〜3年の長期契約を前提としたレッスンの大量購入制度にありました。事前に大量に購入してもらえれば、継続受講のための営業コストを削減でき、安くできるのです。月謝制で、受講継続のための営業に力を入れていた既存のプレイヤーとは価格の仕組みが異なります。しかし、仕組みの前に、消費者にとっては、目に見える「授業当たりの単価」こそが重要です。倍以上の価格差を説明できない競合各社は止むを得ず単価を引き下げるなど、NOVA対策に頭を悩ませました。
さらに、NOVAは事前の長期契約によって獲得した前受金を、積極的な拠点展開とテレビCMに投下します。1992年からCMをスタートしたNOVAは、独自路線を追求したユニークなコンテンツでヒット作を連発し、「駅前留学」という言葉とともに圧倒的な知名度を獲得しました。1995年には英会話ブームが下火になりつつありましたが、受講者数は25万人を突破し、ECCやジオスなど先発大手を追い抜いて、とうとう業界最大手になりました。
そして業界内で独り勝ちの勢いのまま、NOVAは1996年に業界として初めての株式公開(ジャスダック)も果たします。1997年にはネット通信を活用して自宅でも英会話が学習できる「お茶の間留学」という新しいシステムも導入。ネット化への新たな布石も打ち、NOVAはまさに盤石の状態のように見えました。
しかし、NOVA崩壊の足音は既にそこまで忍び寄っていたのです。
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