1970年10月20日生まれ、静岡県出身。ハラダ製茶の4代目。創業は大正6(1917)年。初代は〝半農半商〟で、昭和23(1948)年2代目の時に株式会社を設立。2013年に代表取締役に就任。茶類製造だけでなく原料調達及び仕入れを強化し事業拡大。さらに2019年ごろからM&Aに力を入れ、多角的な業務拡大に従事。
これまでの事業変遷と自社事業の強みについて
当社は今年で107年目となります。もともとは農業から出発し、徐々にお茶販売業へとシフトして事業体制が形成されました。とりわけ、現在せも緑茶リーフやティーバッグの分野ではトップクラスのシェアになっています。また、お茶は葬儀ギフトにも使用されるため、ギフトセンターの設立、そして葬儀事業への進出も行いました。このように弊社は、柔軟性と革新性を強みとしながら事業展開を行ってきました。
過去の成功実績やブレイクスルーについて
かつて、当社が葬儀事業に進出したことが一番のブレイクスルーであると考えています。もともと葬儀屋さんの下請けとして葬儀ギフトのご提供を行っていましたが、当時はあまり採算が取れていませんでした。そこで、葬儀事業も自社で手掛ける方が良いという発想が生まれ、これが新たな事業拡大の起爆剤となりました。
また、海苔事業の展開やM&Aによる多角化されたビジネスモデルの開拓も、過去の成功実績の一部として言えるでしょう。今では当社グループが手がける全ての事業を全て足すと売上は400億円ほどの規模になります。この理由として、M&Aには力を入れており、年間で数社M&Aによる買収を行っているという点があります。弊社では、M&Aの一つの基準として、自分達が買収先の事業領域について理解できるということと、自分達であれば買収先の事業領域に対して異なるアプローチをすることが明確であることを前提条件としています。そういう意味では投資に近いかもしれませんが、より近い距離で自分達が事業に携わるということは大切にしています。
海外進出について
ホームページにもあるように、海外への事業展開も進めていますが、元々、幅広く海外に進出する意向は強く持っていませんでした。しかし、徐々に海外進出を視野に入れ始め、最初は日本文化への理解度が高く、富裕層が多い中国を中心にお茶を広めていこうと考えていました。
その理由として、中国からの視点では、日本茶は自国のものと比べて一般的には価格が高いものの、高品質であると評価してもらいやすいからです。これが、欧米の方からすると中国茶の方が比較的安価だと感じている方が多く、なぜ同じ緑茶なのに値段が違うのかと疑問に思われてしまいます。こういった点を踏まえると、やはり今後は日本文化に理解のあるアジア圏を中心に、ビジネスを展開していきたいと考えています。
企業と地域社会との関わり方
先ほどお伝えしたように農業から始まっている会社なので、例えば、荒廃した畑をもう一度生き返らせるプロジェクトであったり、畑のオーナーの引き継ぎのお手伝いなどを社会貢献の一環としてやっています。
特定の地域貢献だけに留まらないためにも、行政と連携しながら地元の茶畑や水田を守るなどの取り組みも、グループ会社を中心に行っています。
次世代に引き継ぎたいものや伝統として守りたいこと
我々の根幹となる事業は、日本の伝統的な農業とお茶製造の技術を踏まえています。これらは長い年月を経て磨き上げられてきた貴重な文化遺産であり、次世代に引き継ぎたい財産そのものです。これから弊社の経営を引き継ぐ者は、これらの価値を理解し、尊重し、伝播させるべきだと我々は考えています。
背負っている責任は日々厳しさを増していますが、それに応えるべく、伝統技術の研鑽を絶やすことなく行い続けていますし、職人たちの手によって生み出される最高品質のお茶を供給するという初心を忘れません。お茶作りの伝統と技術は、私たちの魂ともいえるものであり、これをしっかりと次の世代に引き継いでいくことが、文化とビジネスの両面で我々の使命だと考えています。
思い描いている未来構想と、それに向け取り組みたいこと、もしくは取り組もうとしていること
我々は、業界が抱える市場規模の縮小・高齢化の問題を克服するための雄大なビジョンを抱いています。そのために、我々は葬儀事業やギフト事業など、多角的な事業展開を通じて、次の一歩を踏み出そうとしています。また、我々は引き続き産地にこだわり、品質を維持していくと同時に、海外の新たな市場を探し、信頼されるブランドとして販売網を開拓していきます。先を見越し、適応し、革新することこそが、弊社がこれからも成長し続けるためのキーファクターだと考えています。
- 氏名
- 原田 宗一郎(はらだ そういちろう)
- 会社名
- ハラダ製茶株式会社
- 役職
- 代表取締役