
「測るをつくる」をコーポレートキャッチと位置づけ、測定工具を柱としたメーカーの信頼性を強みとする。近年では大手ゼネコンとの共同開発に取り組み、ユーザーが本当に必要とする製品をユーザーとともに作り上げる顧客併走型の製品開発を行っている。
これまでの事業変遷
—— 事業変遷についてお聞かせください。
新潟精機株式会社 代表取締役・五十嵐 利行氏(以下社名、氏名略) 1960年に父である現会長が創業しました。当初は問屋業としてスタートしたのですが、父は「物売りではなく、物作りをしたい」という思いが強かったんです。それで、最初に作り始めたのが「スコヤ」という直角定規のような製品でした。これが我々のものづくりの始まりです。当時父は欧米諸国に一人で足を運び、現地で目にした良い製品を日本製で再現しようと考え、商品化してきました。そして、従来の専門ルートへの測定工具販売に加え、ホームセンターの文化がアメリカから日本に入ってきたタイミングでDIY製品の取り扱いを始め、さらに海外、台湾や中国に事業所を構えるなど、会社の規模を拡大させました。
私自身は2000年に入社し、2005年に社長に就任しました。社長になってから19年が経ちますが、その間、従来の高品質な日本製品をさらに磨きつつ、海外や国内で新たな商品群を生み出してきました。これが現在の新潟精機の基盤を築いています。
—— 会長が築いてきたトップダウン型の経営を、社長ご自身がボトムアップ型に変えたというお話が興味深いです。どのような経緯でそのような変革を行ったのですか?
五十嵐 創業者である父が築いた経営スタイルは完全なトップダウン型でした。それが会社の文化にもなっていましたが、私が社長になって感じたのは、それをそのまま継続するのは難しいということでした。当時、先輩社員も多く、私がトップダウンで指示を出しても十分に機能しないと感じたのです。
そこで、社員一人ひとりが「こうしたらいい」と自分で考えられる組織にしようと決めました。時間をかけて徐々に変えていくことで、社員から提案が出てくる環境を整備しました。その結果、最近では新商品開発の場面でも社員の意見が積極的に取り入れられ、成功につながっています。
—— ボトムアップへの移行に際して、特に大事にされたポイントは何でしょうか。
五十嵐 常に「相手の立場に立って物事を考えなさい」と社員に言っています。それは私自身がかつてサラリーマンだった経験から来ているのですが、トップが変わった途端にやり方がガラッと変わることが、社員にとってどれほど大きな負担になるかを知っています。 そのため、変革は急がずに少しずつ進めました。全てを変えるのではなく、既存の良い部分は残しつつ、社員の意識改革を進める形です。一部の社員から反発があった場合でも、それをフォローしながら進めるようにしました。そのようなプロセスを踏むことで、社員の気持ちを尊重しながら会社を少しずつ変えてきました。
—— 五十嵐社長は2000年に入社され、わずか5年で社長に就任されています。非常に早いペースだと思いますが、その背景にはどのような事情があったのでしょうか。
五十嵐 私は営業課長として入社し、わずか2年で部長、そして総務部も兼任するようになりました。当時、銀行との交渉や他部門の動向を把握するなど、あらゆる業務に取り組み、その中で会社の全体像を掴むことができました。2004年には専務に昇進しましたが、会長からは「早いうちに交代する」と言われていました。そして、「来年やるぞ」という鶴の一声で社長に就任しました。創業者の中には亡くなった後に後継者が急遽社長になる例もありますが、私はそのような事態を避けたかったので、早めに交代する方が良いと考えていました。
—— 会長からのサポートもあったのではないでしょうか。
五十嵐 会長は最初のうちは電話で色々と助言してきましたが、徐々に会社の運営については私に任せるようになりました。代わりに、自分が好きなものづくりの分野に注力する形で役割分担ができたのは非常に助かりました。おかげで私もスムーズに経営に専念することができました。
自社事業の強みやケイパビリティ
—— 事業の強みやケイパビリティーについてお聞かせください。
五十嵐 弊社の強みは、中小企業ならではの小回りの利く対応です。お客様の要望に対して、どんなことにも耳を傾ける姿勢を大切にしています。開発から製造、営業、アフターフォローまで、すべての部署が揃っているため、迅速に対応できます。特にお客様の声を大事にし、商品化することを心掛けています。ですので、現在、1年間で20から30以上の新商品を出しています。お客様の要望が多様化しているため、開発サイクルを早めて対応しています。既存の商品だけでやっていければ幸せですが、今の時代は次々と新しい商品を提供する必要があります。
—— お客様の声を聞いて商品を開発するということですが、その汎用性についてはどうお考えですか。
五十嵐 お客様が欲しがっているなら、それに応えるべきだと思っています。商品によって開発期間は異なり、半年でできるものもあれば、3年から5年かかるものもあります。手っ取り早い方法としては、海外の商品を我々の仕様に合わせることもありますが、なかには1から開発することもあります。
そして、実際、売れない商品の方が多いです。社内では「打率3割」と言っており、10種類作ったら3種類が売れれば良い方だと考えています。ただ、工具業界は息が長く、40年前の商品が今でも売れることもあります。成功例も失敗例もありますが、常にお客様の視点を大切にしています。
これまでぶつかってきた課題や変革秘話
—— 直面した課題とその変革についてお聞かせください。特に大きな転換点があれば教えてください。
五十嵐 大きな変革としては、トップダウンからボトムアップへの移行があります。社員一人ひとりが自分で考え、動けるようにすることを目指しました。
—— ボトムアップに移行する中で、具体的にどのような取り組みをされたのでしょうか。
五十嵐 社内で多くの小さなプロジェクトを立ち上げ、それぞれにテーマを与えました。例えば、コストダウンや評価制度の見直しを考えるプロジェクトです。評価制度については、社員が自分たちの評価方法を考え、納得のいく評価が得られるようにしました。これにより、正当な評価がされるようになり、不満が減りました。
—— 社内の変革には時間がかかると思いますが、どのくらいの期間で成果が見えてきたのでしょうか。
五十嵐 変革には2、3年かかりました。最初は社長が全てを決めていたのですが、社員が自主的に動けるようにするには時間が必要でした。
今後の事業展開や投資領域
—— 今後の事業展開や投資領域についてお伺いしたいのですが、
五十嵐 これはあくまで個人的な意見ですが、私は多くの国、特に欧米やアジアへ出張する機会があります。日本にいると、日本は素晴らしい国で、「メイドインジャパン」は先進国として誇りに思っていたのですが、実際に外に出てみると、日本の技術は欧米にはかなわず、コスト面ではアジアに勝てない現実を見ています。それでも私は日本が大好きで、この国を何とかしなければならないと強く感じています。
日本が世界に勝てる唯一の強みは、集団での力だと考えています。個々の力では他国に勝てませんが、みんなが協力することで発揮される力は世界一だと思います。ただし、これからは人材不足が深刻化していくでしょう。後進国はまだ成長の余地がありますが、先進国は人材不足に直面しており、日本も例外ではありません。そのため、人材不足が解消されない現状では、人が必要な仕事と機械で代替可能な仕事を区別し、機械化を進める必要があります。日本は人海戦術が得意で、どんな仕事も的確にこなせる能力がありますが、機械でできる作業は機械に任せるべきです。自動化の分野でも、我々は貢献したいと考えています。
メディアユーザーへ一言
—— メディアユーザーの皆さんへ一言お願いできますか。
五十嵐 弊社はまだまだ日本国内でも知らないお客様がたくさんいらっしゃると思います。まずはお客様目線で、しっかりお客様の声を聞きながら商品化していることを強調したいですね。大企業は人材不足と言いながらも、中小企業が日本を支えているという面もあります。中小企業が97パーセントを占めているので、そういった企業を支えることが重要だと考えています。我々の技術力が高い分野もありますので、自動化などでサポートできる部分もあります。
弊社を知っていただき、どのようなことができるのか理解していただければ、必ずお役に立てる部分があると思います。これからは国内だけでなく、海外とも戦わなければなりません。手を組める部分は手を組んで、日本全体の底上げを目指していきたいと思います。
- 氏名
- 五十嵐 利行(いからし としゆき)
- 社名
- 新潟精機株式会社
- 役職
- 代表取締役社長