
この記事は2025年2月20日に「テレ東BIZ」で公開された「回転寿司では味わえない! プチぜいたくな町寿司の逆襲:読んで分かる「カンブリア宮殿」」を一部編集し、転載したものです。
目次
コスパ抜群の「町寿司」~高級店でも回転寿司でもない
東京・築地場外市場の裏通りに行列のできる寿司店、「築地玉寿司」築地本店がある。
人気のメニューは「おすすめにぎり」。マグロやいくらなどのにぎり9貫にネギトロの手巻き、お椀がついて1,738円(※店舗によりメニューやネタが異なります)。安くてうまいコスパ抜群の店なのだ。
▽「築地玉寿司」築地本店人気のメニューは安くてうまいコスパ抜群の「おすすめにぎり」

他にも、玉子、穴子、子持昆布、とび子、マグロ、いくら、ホタテ、エビ……と、人気の海鮮が山盛りの「ばらちらし」が1,540円(※ランチ価格)。ステーキのようなマグロや肉厚のホタテなど高級5ネタの「炙りづくし」は1,540円。
▽ステーキのようなマグロや肉厚のホタテなど高級5ネタの「炙りづくし」は1,540円

玉寿司の創業は1924年で、2024年に100周年を迎えた。当初は富裕層相手だったが、戦後、いち早く明朗会計を打ち出して寿司を庶民の食に変えた。今では都内を中心に31店舗を展開している。(※2025年2月時点)
東京・新宿の「新宿タカシマヤタイムズスクエア」に入る「築地玉寿司」新宿髙島屋店は、百貨店の中とあって女性客が多い。
玉寿司は出店する場所によってメニューを変えている。この店の一番人気は「レディース御膳」(3,080円)。中トロやウニなどのにぎり5貫に小ぶりのバラちらし、他に3つの小鉢にサラダや茶碗蒸し、デザートまでついている。多くは食べられないが、いろいろな味を楽しみたいというニーズに応えている。
近年、寿司業界は、格安が売りの回転寿司チェーンと富裕層をターゲットにした高級店とで二極化している。そのあおりからか、個人経営の町の寿司店は後継者不足もあり、減り続ける一方だという。
厳しい寿司業界で生き残るべく、玉寿司は他店との差別化を模索している。この日、本社で行われていた新商品の開発会議のテーマは「メカジキの昆布締め」。メカジキは家庭でも使われる魚だが、ムニエルや煮付けなど火を通す料理が一般的で、寿司にはあまり使われないという。
「面白い。(「手間がかかる」という声に)いいじゃない、二手間三手間かけよう」と言ったのは玉寿司4代目社長・中野里陽平(52)。中野里は父の後を継いで32歳で社長に就任。大衆寿司店に逆風が吹く中、玉寿司ののれんを守り続けてきた。
「銀座に行けばびっくりするような高いお酒と高級寿司が出てきて、それを支払えるのは一部の人しかいない。玉寿司が提供する価値はちょっとした贅沢。身近なプチ贅沢で喜んでいる笑顔を増やしていきたい。それが町寿司としてのあり方だと思います」(中野里)
町中華ならぬ町寿司。中野里は高級店より手頃な値段と回転寿司では味わえないクオリティに活路を見出し、プチ贅沢戦略に取り組んでいる。
プチ贅沢戦略で客を呼ぶ~一括仕入れでコストダウン
プチ贅沢戦略1~格安でおいしいネタをゲット
玉寿司でも人気のマグロは1貫220円(価格は店舗により異なる)。マグロといえば2025年の初セリで青森・大間産に2億円の値がつき話題を呼んだが、中野里がやってきたのは静岡・焼津市にある水産会社「ホクエイ食品」だ。
そこには200キロを超える北大西洋のアイルランド産クロマグロが。
▽200キロを超える北大西洋のアイルランド産クロマグロ

アイルランド沖のクロマグロは北緯60度、水温10度以下の極寒の中で生息。指折りの荒波に揉まれて身が引き締まり、エサも豊富なため脂の乗りもよく、最高級の呼び声も高い。
「大間のクロマグロに勝るとも劣らない」(「ホクエイ食品」・廣瀬健太郎社長)
選んだマグロの尻尾をカットして品質をチェック。こうして上質なマグロだけを仕入れている。ちなみにこのクロマグロの価格は約80万円だ。
「(初セリのような)2億円ではない。町寿司でおいしいマグロを出すために、このクラスを愛したい」(中野里)
東京・新島産の金目鯛、鹿児島の太刀魚……マグロ以外の主要な魚は静岡・沼津市の食品卸売会社「総食」から仕入れている。
「北海道や九州に玉寿司のことを知っている現場の人間が行って、直接産地で買い付けます」(「総食」・堀貴光社長)
「自分で買い付けて、玉寿司さんにすぐ画像を送ってLINEで判断していただきます」(「総食」・北島信幸さん)
玉寿司担当の買い付け人が全国でネタを探し、リアルタイムで画像も送っているのだ。
この会社では、魚以外にも米、肉、野菜、調味料などあらゆる食材を吟味して取り扱っている。ここから一括して仕入れることで、玉寿司は仕入れコストを抑えているのだ。
プチ贅沢戦略2~時間を気にせず食べ放題
横浜市の「築地玉寿司」みなとみらい店の人気メニューは時間無制限の食べ放題だ(男性6,028円、女性5,478円、小学生3,828円)。
▽「築地玉寿司」みなとみらい店の人気メニューは時間無制限の食べ放題だ

このサービスの狙いは、玉寿司に入店するきっかけを作り、リピーターになってもらうこと。「回転寿司を利用しているお客様が食べ放題にすることで入りやすくなる。時間無制限で定額料金ならお客様の門戸が広がると思います」と言う。
時間も懐も気がねなし。これぞ庶民のプチ贅沢だ。
プチ贅沢戦略3~家でもおいしい寿司を提供
玉寿司では寿司屋台の出張サービスを行っている。都内であれば自宅やオフィスなどに板前が出向いて、寿司を握ってくれる。値段は1人1万1,000円~(※4人以上の利用から。別途人件費など)。
▽玉寿司では寿司屋台の出張サービスを行っている

シャリも贅沢にコクのある赤酢を使用。ネタも店より多めに乗せる。この日のとっておきのネタは高級魚で知られるノドグロを軽く炙ってのりとシャリの上に乗せて味わう「のどぐろ焼挟み巻」だった。
▽この日のとっておきのネタは「のどぐろ焼挟み巻」

店にいるように職人との会話も弾む。わざわざ出向く必要がなく、酒は自分で用意すればいいから、その分、寿司にお金をかけられるのがサービスの良さだとか。
「日常使いをしながら、刺身もあって、来週、あるいは来月また行けるぐらいの単価。そこを深掘りします」(中野里)
創業100年の老舗~明朗会計に手巻き寿司を発案
玉寿司は関東大震災の翌年の1924年、中野里の祖父・栄蔵が築地で創業。店は東京大空襲で焼けてしまうが、戦後、二代目の祖母・ことが再建し、女手一つで切り盛りした。 高度経済成長期に入ると三代目の父・孝正が店を大きくする。きっかけは1971年、「銀座コアビル」に出店したこと。銀座で歩行者天国が始まったことに目をつけた孝正は、男性客が相手だった店を改革していく。
「女性が中心の客層になる。それを考えた時にさっと入って昼からお寿司を楽しめるようにするには、価格は明朗会計、価格を固定しました」(中野里)
当時の寿司店は時価が主流。一見の客には入りづらさもあった。そこで孝正は値段を40円均一に設定。時価をやめ、明朗会計を打ち出した。
さらに、今では当たり前となった末広がりの手巻き寿司を考案、大ヒットさせる。
▽寿司の大衆化を進めた玉寿司は次々と店を増やしていった

寿司の大衆化を進めた玉寿司は次々と店を増やしていった。
現社長の中野里は1972年生まれ。学習院大学を卒業後、レストランビジネスを学ぶためアメリカ・デンバー大学に留学。帰国して27歳で玉寿司へ。店舗開発の仕事を任されると、銀座のそばに大型店「太老樹」をプロデュース。モダンな造りで客を呼び込んだ。
しかしその頃、衝撃的な事実を知らされる。玉寿司は78億円という、当時の売り上げの倍近い負債を抱えていたのだ
「数え間違いだと思いました。7億8,000万円の間違いだろうと。お寿司を握るだけでこんなに負債はできないでしょ? どうやって増えたのですか、と」(中野里)
銀行の勧めで投資した不動産がバブル崩壊で二束三文になり、利息の返済だけで年間の利益が吹き飛んでいた。中野里が頼ったのが中小企業の事業再生を支援する公的機関「中小企業再生支援協議会」。そこが銀行との交渉をバックアップしてくれることになった。
担当者だった藤原敬三さんは「その月の仕入れの金もない状況でした。まさに自転車操業。『社長、どこまで頑張れる?』などと話して再生計画を作って銀行に説明する」と語る。
玉寿司側は父・孝正の社長辞任と、本社や自宅など資産の処分を決定。銀行側からは、約2,000万円の年間利益を翌年から1億5,000万円以上にすることという条件が提示された。この再生計画書が銀行側に受理されると、負債の3分の1が免除され、年間億単位にのぼる利息もストップしてもらえる。
「それまでの7倍以上の利益を上げなくてはいけない。普通に聞いたら『無茶を言うな』ですね。でもやらざるを得ない。1年以内に結果を出さなくてはいけないのは強いプレッシャーでした」(中野里)
巨額借金返済の突破口~仕入改革と新店舗出店

父の社長辞任が決まり、四代目社長に就任することが内定した中野里。しかし、さらなる試練が待ち受けていた。テナントとして入っていたある商業施設からの「契約を更新しない」という通告だった。「施設全体を若い女性向けにリニューアルするので、寿司のような年配者向けの店は不要」と言うのだ。
そこは玉寿司でも稼ぎ頭の重要な店。それを失うことで年間1億5,000万円の利益達成は不可能同然に。銀行側へ提出した再生計画も白紙に戻った。
「『終わったな』と。『ここまで頑張ったけど人生どうなるのかな』と」(中野里)
それでも中野里は最後の力を振り絞って、失った利益を捻出する策を探った。1つの突破口が仕入れの改革だった。
「ある時、ある商品について、別の飲食店の経営者と話をした時にがくぜんとしたのです。全く同じものを仕入れているのに、うちは3割も値段が高かった。『どこから仕入れているの?』と聞き、それから単品ごとにいろいろ調べていった」(中野里)
中野里は飲食店に聞き込みをかけ、仕入れ価格の相場を徹底的に調べ上げた。それをもとに、仕入れ先に、相場に合わせた価格に下げてもらうよう交渉を重ねていく。
こうして仕入れコストを大幅に削減できる見通しが立つと、新たな再生計画書を銀行側に提出。それが受理され、倒産の危機を脱したのだ。
「あと2カ月遅かったら完全にアウトでした。手持ち金が本当になかった」(中野里)
そこから中野里は攻めに打って出る。東京ディズニーリゾートにある商業施設「イクスピアリ」に2005年、「築地玉寿司」舞浜イクスピアリ店を出店。タコさんウインナーやコーンサラダ、ミニハンバーグといった、この店独自の子ども向けメニューを提供すると、ファミリー客が押し寄せる人気店になった。
この店が起爆剤となり、年間1億5,000万円の利益を見事達成。その後、10年かけて借金を完済し、玉寿司の再生を果たしたのだ。
若手の寿司職人を育成!~実技を学ぶ「玉寿司大学」
近年、職人を目指す若者が減っていることも寿司店が減少している理由の1つだという。そこで中野里は社内に寿司職人の養成機関「玉寿司大学」を作った。入社した社員は店には立たせず、ここで寿司職人としての技を徹底的に教え込む。
▽中野里さんは社内に寿司職人の養成機関「玉寿司大学」を作った

「仕事をしながら店の中で時間の合間をぬって『今日は巻物をやろうかと』というのと、こうやって1日集中して目一杯やるのとでは、吸収力も違うと思います」(商品開発担当・明智義文)
ひと通りできるまで3年はかかると言われる寿司職人のノウハウを、ここでは3カ月でマスターさせるという。
この日の課題は太巻き。寿司は生ものを扱うから、美しさはもちろん、手早さも求められる。その出来栄えは、素人目にはきちんとできているようだが、講師からは細かい指導が入った。
さらに、協調性を高めるため、ダンスやウオーキングなどのプログラムもある。
参加者からは「店ではここまでやらせてもらえないので楽しい」「(「なぜ寿司職人に?」と聞かれて)人には言えない夢があって……海外進出」といった声が聞かれた。
※価格は放送時の金額です。
~村上龍の編集後記~

日本橋のまぐろ問屋に生まれた祖父、市場が築地に移転したのをきっかけに、高級すし店を開業。「玉寿司」と名付けた。49歳の若さでこの世を去った「初代」は「玉寿司を頼む」と言い残した。祖母の「こと」さんが「女板前」として店を切り盛りした。
1965年に支店の第1号を東急プラザ内に開設。3代目の父親が獲得したテナント。駅ビルとの縁が増し、あっと言う間に店舗数が30を超える。27歳で入社したが借金まみれだった。ローンを返し、3年間の修業を3ヶ月の研修に変えた。1度も寿司を回したことがない。