約50億円の負債を抱え、実質破綻状態にあった老舗の磯部塗装株式会社。創業家に生まれながら、一度は自身で起業を経験。経営破綻直前という危機的な状況を脱するべく、27歳で4代目社長に就任した磯部武秀氏は、わずか5年で会社をV字回復させた。
磯部氏はどのようにして組織を再構築し、社員の信頼を勝ち取り、社会インフラを支える企業へと再生させたのか、その壮絶な道のりと経営哲学に迫った。
企業サイト:https://isobe-painting.co.jp/
50億円の負債を抱え、実質破綻状態からのスタート
── 老舗企業の創業家に生まれながら、当初は自身で別の会社を起業していたとか。
磯部氏(以下、敬称略) はい。当初は自分で起業し、別の道を歩んでいましたが、家業であることに間違いはありません。磯部塗装という会社があったからこそ、成長し大学も卒業できたわけですから、「家業に何か貢献できなら……」という思いはずっとありました。また、自分で起業してみて、百年続く事業を創り出すことの重さや価値を感じていたのかもしれません。
一方で、たとえ大変なことがあったとしても、失うものはそれほどないとも思っていました。まだ若かったということもあるでしょう。そのような中で、磯部塗装を再建すべく入社し、代表に就きました。
── 就任当初、どのような状況だったのですか?
磯部 会社は潰れかけていました。銀行取引停止、売上激減、材料の仕入れストップ、協力会社や下請けの職人さんが仕事を受けてくれない、社員の引き抜きや離職が同時に押し寄せるという事態です。
というのも、事業譲渡を金融機関の同意が得ないまま、強引に進めてしまったのです。今は、その対応のまずさが分かりますが、当時はまったく理解していませんでした。そもそも私ではなく前社長が実行したことですが、債権者からすれば関係なく、社長就任直後に手形が2回不渡りになるという状態でした。
銀行取引停止により、磯部塗装は格付けで優良先だったものが、いきなり実質破綻まで落ちました。これは99%潰れると言われるような状況です。返済すると伝えても、金融機関側は返済されない前提で処理を進めてしまっているため、話がすれ違うこともありました。
また、帝国データバンクの評点も54点から36点まで急落しました。40点を切ると取引してはいけないレベルだと理解しています。主なお客様はゼネコンや橋梁メーカーでしたので、当然与信管理が厳しく、その結果、工事発注を停止するよう上から指示が出たという話も聞きました。本業だけで約50~60億円あった売り上げが、約20億円まで減ったのです。
材料の仕入れもストップしました。何とか理解を示してくださったお客様の仕事は継続できていましたが、今度は塗料の仕入れが問題になりました。塗料メーカーや商社、ディーラーからは「磯部塗装は危ないから売りたくない」「売るにしても現金、しかも前払いにしてほしい」と言われました。銀行取引停止の状況で、そもそもキャッシュがないという資金調達の課題に直面しました。職人さんも同様で、報酬がもらえないことを嫌がり、仕事を受けてくれません。
最も厳しかったのは社員の引き抜きや離職です。社長が変わり、創業百周年を迎えたばかりなのに、社内外から「磯部塗装は危ない」という噂が飛び交い、家族からのプレッシャーも大きく、マンション購入のローン契約ができていたものが、会社の与信悪化で急に契約が取り消されることもある中で、苦しかったのは、優秀な社員から引き抜かれていくことです。再生を図ろうと様々なことを考える中で、これらの事態が同時に押し寄せてきました。一つ一つでも大変な事象ですが、それが同時に起こったのです。
さらに、過去3年間の数字をすべて洗い出したところ、詐欺的な話で本業の赤字を埋めていたことが判明し、本業部分がそもそも赤字だったという事実が明らかになりました。
簿外の資産「人のつながり」が再建の原動力に
── 絶望的な状況から、どのようにして立て直しを図ろうと考えたのでしょうか?
磯部 数字だけで見れば最悪でしたが、会社を応援してくれる人がたくさんいました。社内はもちろん、社外の取引先、ディーラー、塗料メーカー、協力業者の親方、そしてお客様の中にも、かなり応援してくれる人がいました。数字はぐちゃぐちゃでしたが、「何とかいけるのではないか」という直感のようなものがあったことが、最大の救いでした。
これまで培ってきた歴史やお客様とのつながり、いわば「のれん代」に近い簿外の資産を感じていました。それが非常に大きかったです。
── 具体的に、どのような取り組みで巻き返しを図られたのでしょうか。
磯部 まず数字の読み込みを徹底的に行いました。過去3年分の工事データを自分なりに分析し、成果を上げている社員とそうでない社員を比べました。当時の組織はどんぶり勘定で売上至上主義の傾向があり、大きな工事を受注しても着地が赤字になることが多々ありました。また、過去の功労者で今はそうでもない人もいました。
評価されるべき人とそうでない人を明確に分け、組織図を再構築しました。ただ、私一人ではすべてを把握できなかったため、今の私の右腕である阪本(阪本亘氏、現取締役事業本部長)に「あなたを中心とした組織図を書いてくれ」と頼みました。
私の考えは「売り上げだけでなく、しっかり利益を残している人、会社にとって利がある仕事をする人を評価する」というものを伝えました。私は就任したばかりで人間関係も希薄でしたが、「切ってはいけない人」がいることは肌感覚で分かっていたのです。
人間関係の構築にも力を入れました。核となる社員を中心に毎晩飲みに行き、昼間話せなかった分、私のビジョンや考えを伝え、彼らがどう感じるかを探りました。当時の社員は皆、私よりも年上で、一回り以上年上の人もたくさんいました。彼らにわからないことを相談し、質問を繰り返しました。
その結果、実は別の会社への転職が決まっていた阪本も、私の社長就任やコミュニケーションを通じて会社に残ってくれた。自分のことをさらけ出し、何とか会社を良くしたいという思いに、彼らが心を傾けてくれたのだと思います。阪本だけでなく、今のエース級の社員は皆、そのような経緯で残ってくれました。
社内の改革と並行して、信用の回復も急務でした。当時取引のあった塗料メーカーのサポートのもと、資本力のある大手ディーラーに株を持ってもらい、事実上の子会社となりました。老舗のディーラーの社長が、他の塗料ディーラーを集めて説明会を開いてくださり、「自分が必ず保証するから、今まで通り塗料を卸してやってほしい」と働きかけてくれたのです。これにより、仕入れ先や協力会社、職人さんからの信用をかなり補えました。
お客様からの新規受注はほぼ停止状態で、全国のお客様のところへあいさつに回りましたが、あまり効果がありませんでした。
しかし、優秀な社員が会社に残ってくれたことで、お客様からは「磯部さんには世話になったし、〇〇君がいるならこっそり仕事を出してやる」という形で、お客様の担当者から応援をいただくケースがありました。
しかし、与信がないため新規の営業はできず、縮小均衡の中で経営を模索する0年目のような状況が続きました。
徹底した情報公開と利益還元で社員の信頼を勝ち取る
── 組織改革をどう進めたのか、さらに詳しく教えてください。
磯部 経営に対する不信感が強かった会社を立て直すべく、売り上げや利益を毎週オープンにしていきました。その上で、成果を上げた人間が正当に評価されるよう、見える化を進めました。
並行して人事評価制度を再整備しました。情緒的な社長が鉛筆をなめて評価を決めるのではなく、明確な基準で評価を行うことをオープンにしました。また、属人化していた原価管理を組織的に行うため、社内のシステムも作り変えました。
そして、重要なポイントとして、「儲かったら必ず利益の3分の1を皆さんに還元する」と伝えました。利益の使途を明確にしたのです。3分の1は社員への還元、3分の1は次の成長のための投資(主に採用や育成)、最後の3分の1は会社の財務体質を良くするためのストックとしました。
これらの取り組みと並行して、信用の補完も進めました。銀行取引が停止している状態でしたので、ギリギリの資金繰りを続けていました。
── 社内改革を進めるうえで、古くからの社員との間であつれきは生まれませんでしたか?
磯部 あつれきも何も、もうそんなことに構っている余裕はなかったんです。社員に「あなたのやっていることは会社にとってマイナスです」というようなことを、伝えました。当然言い方には気をつけましたが、それを伝えないと、ちゃんとやっている人が評価できませんから。エース級、つまり利益に貢献している社員が離反するほうが怖かった。数字的な評価をオープンにすることで、自浄作用がかなり働きました。
── そのやり方は、他社でも通用しそうでしょうか?
磯部 現在グループ会社が6社あり、そのうち4社は立て直しに携わっていますが、このアプローチは、建設業で老舗の会社、あるいは歴が長く、若くして事業を継いだ2代目、3代目の方々にはかなり有効だと思います。
かなりの根性でやる必要がありますが、私の場合はすべてを失う状況だったので、実行できました。昔からの功労者、いわゆる先代の右腕のような人を切るのは大変なことだと言いますが、それを実行しないと、今度は下の人間がついてこないですから。
資金繰りの改善とV字回復、そして未来への展望
── その後の立て直しはどのように進んだのでしょうか。
磯部 風評被害と与信問題への対応も重要でした。帝国データバンクの評点には、数字による部分と、担当者の裁量でつけられる情緒的な部分があります。担当者と相談しながら、どうすれば評点を上げられるか、具体的に何をすれば良いかを聞き出し、ルールを逸脱しない範囲で最大限に引き出す努力をしました。
資金繰りもきわめて厳しかったです。当時120人いた社員は2年で60人まで減りました。リストラ費用などで親族から借り入れた初期資金も底をつき、金融機関との取引再開まで5年かかりました。そこで、日単位での資金繰り管理を行いました。
2012年10月の段階で、年末には数千万円が不足することが分かっていたので、下請け代や仕入れ先への支払いを親方に説明し、先送りさせてもらいました。仕入れ先やディーラーさんには、手形をもう一度ジャンプさせてもらうなど、様々な交渉を行うことで、月2000万円ほど捻出できました。これを数ヵ月続けて5000万円から6000万円ほどの資金繰り改善につながります。
最も厳しかった時には、社会保険の支払いを一時的に止めました。月数百万円の社会保険料を半年ほど止めて、数千万円つくりました。
これらの手法を組み合わせて、1億円ほどの資金を作った記憶があります。こうした“寝技”を2014年まで、約5年間続けました。
徐々に状況は上向き、「潰れる」と言われていたのに潰れていないことで、「大丈夫になったらしい」という噂が広がり、信用が徐々に回復していきました。
余剰人員を削減したことで損益分岐点が大幅に下がり、固定費が半分ほどになり、原価の徹底管理で受注能力もかなり向上しました。経営状況をディスクローズし、評価制度も変えたことで、このころから資金繰りが苦しい中でも社員にはボーナスを出すようにしていました。
数字も大きく改善しました。私が就任した2009年、帝国データバンクの評点は36点でしたが、2012年には先ほどの寝技を駆使して51点まで上げることができました。50点まで上がると有料企業と判定され、大手企業に対しても営業活動ができるようになります。それを受けて2013年には売り上げが回復し、そこから約10年強で、2024年段階では売り上げも大きく伸び、帝国データバンクの評点も62点まで上昇しました。
── 再建の途中で、東日本大震災も経験したそうですね。
磯部 2011年の東日本大震災は、まさに「いける」と思っていた矢先に、また状況がガタンと悪くなるという経験でした。しかし、余剰資金はすべて返済に回し、約5年で負債をすべて返済しました。2014年には、就任から5年少しで金融機関との取引も再開し、このころにはもう借り入れなくても良い状態になっていました。
── 今の強みはどこにあると分析していますか?
磯部 弊社の強みは、表面的な部分では品質の高さや、多くの職人を動員できる力です。グループ全体で1日600人から700人の職人を動員できます。お客様によっては100人単位の職人を求められることもありますが、それを1社で対応できる塗装会社はまずありません。もともとのネットワークに加え、社内には120人の職人を抱えています。
そして平均年齢の若さも強みです。業界全体の平均年齢がおそらく55歳から60歳であるのに対し、弊社は30代前半です。お客様も冷静に見ており、「10年後いるかどうかわからない会社より、磯部塗装を使ったほうが良い」と言っていただくこともあります。
── 経営危機に直面している経営者に、テクニックとメンタルの両側面から、何かアドバイスいただけますか?
磯部 アドバイスは難しいですが、大学の後輩や後継者には「一旦広く見ろ」と伝えています。様々な業種や業界を見ることで、磯部塗装でもそうでしたが、「社内や業界の常識が世間の非常識」であることに気づくことがあります。
磯部塗装も老舗企業といえば聞こえは良いですが、昭和中期ころのシステムで止まっていました。DXなどが叫ばれる今、すぐに生産性が向上するとは思いませんが、やはり世間相場というものは必ずあり、それに追いつけていないと感じたので、まず世間相場を知る必要があると考えています。
そのうえで、世間相場に遅れない、あるいは少しプラスアルファを加える形で社内のシステムをどんどん変えていくことです。
弊社では10年以上前から社内SNSをかなり早い段階で導入していました。我々の仕事は事務所で完結するものではなく、同期の社員と半年間会わないということも珍しくない。だからこそ、どこで誰がどんな仕事をして頑張っているかを見える化したいと思い、毎日写真付きで投稿させています。これが日報代わりにもなっています。
今後は「仕事がない」という状況はあまりなく、「人がいないから仕事が受けられない」という場面が増えそうです。私自身も営業活動ではなく、採用や育成、M&Aに関わることしかしていません。
だからこそ、「どうすれば人が入ってきたくなる会社か」を考えることが重要です。お客様に向けて会社の強みを伝えることも当然ありますが、それ以上に「この業界の中で、こういう強みを持って伸ばそうとしている会社です」ということを、わかりやすく明確に伝えられると、「この会社に行ってみようかな」と興味を持ってもらえるはずです。
── 日本の社会インフラの塗装・保全市場の将来性についてどう見ていますか?
磯部 重要な点です。現在、メンテナンスしなければならないインフラの量を、国内で仕事ができる職人の総数で割ると、やらなければならない仕事をやり切るのに15年から20年かかると言われています。
一方で、インフラは10年から12年に1回メンテナンスをしなければならないため、すでに追いついていない状況です。
さらに塗装会社は激減しています。マーケットが激増することはありません。しかし、今あるものはメンテナンスしなければなりません。したがって、マーケットがなくなることはないと考えています。こうした状況なので、我々の仕事は評価されやすい状況になっていると思います。
- 氏名
- 磯部武秀(いそべ たけひで)
- 社名
- 磯部塗装株式会社
- 役職
- 代表取締役社長

