阪神化成工業株式会社

1920年創業の阪神グループは、医薬品容器製造で国内トップクラスのシェアを誇る阪神化成工業など4社で構成される。四代目で、グループ全社の社長を務める高田健氏は、現場経験で培った知見と長年の信頼を基盤に、原材料高騰や人材不足といった現代の課題に立ち向かう。同社の歴史から強み、そして未来への展望まで、高田社長の言葉からその真髄に迫る。

高田 健(たかた たけし)──代表取締役
生年月日:1977年、富山県富山市生まれ。1999年、神奈川大学経済学部卒業後、2001年に阪神容器株式会社へ入社。専務取締役兼営業本部長を経て、2021年に阪神グループ全社の代表取締役に就任。趣味は25歳から始めたゴルフと39歳から始めたランニング。ランニングは月に100キロ以上走るようにしており、マラソンも年2回、ハーフマラソンも年2回ほどエントリーしている。
阪神化成工業株式会社(阪神グループ)
グループの創業は1920(大正9)年。グループは阪神ホールディングス、阪神化成工業、阪神容器、ファーマパックで構成される。中核となる阪神化成工業の従業員数は、437人(2025年6月時点)。医薬品・医療用容器、キャップ等の製造販売、各種プラスチック容器を主に行っている。プラスチック製造の企業は国内にも多くあるが、医薬品向けに特化した製品の製造・販売を行っており、業界第2位のシェアを占めている。

企業サイト(グループサイト):https://www.hanshin-group.co.jp/

目次

  1. 100年企業がたどる歴史と医薬品容器事業の確立
  2. 医薬品品質を支える揺るぎない強みと信頼
  3. 環境問題への貢献と未来を拓く製品開発
  4. M&Aも視野に、医薬品容器の未来を創造

100年企業がたどる歴史と医薬品容器事業の確立

── 創業から既に100年以上の歴史があるそうですね。

高田氏(以下、敬称略) 当社はもともと、私の曾祖父が1920年に創業した「高田製瓶所」という町工場でのガラス瓶製造が始まりです。その後、戦争の影響もあり、富山県内のガラス瓶製造業者が集められ、1941年に「富山県薬瓶工業」が設立されました。これが当社の前身となります。

そこからガラス瓶の製造販売を行っていましたが、私の祖父が1955年に大阪で「阪神容器」を創業しました。これはプラスチックやガラス瓶を扱う商社です。その阪神容器の製造部門として、1972年に富山で「阪神化成工業」を創業し、プラスチック容器やプラスチック製品の製造販売を開始しました。

さらにその後、「ファーマパック」という会社が設立されました。ファーマパックは医薬品の成形同時充填という手法を使い、容器の製造と薬の充填を同時に行い、製薬会社様から受託して納めています。

現在、阪神化成工業が医薬品関係の容器やキャップ類を製造し、ファーマパックが主に医薬品の成形充填を行っています。これら製品に加え、ガラス瓶や包装資材全般を仕入れ販売する阪神容器。この三つの会社が当社の主要な事業を担っています。

── 入社の経緯と事業承継について教えてください。

高田 当社は創業家が経営する会社で、親から事業を継承しました。私が正式に入社したのは2001年、24歳のときでした。

入社後は、阪神化成工業の製造現場、ファーマパックの製造・品質管理を経験し、その後は阪神容器の営業担当を務めました。これらの経験を経て、社長に就任したという経緯です。

大学は日本とアメリカで二度卒業しています。日本の大学を卒業した後、アメリカの大学に二年間留学しました。当初は大学院を考えていましたが、正直、当時の私の英語力では、毎週の論文作成が求められる大学院は無理だと判断し、現地の四年制大学に編入しました。日本の大学で取得した二年間分の単位を移行し、三年生として二年間学び、卒業後に帰国して当社に入社しました。

── ファミリー企業では、別の会社を経験する方も少なくないですが、卒業後、直接入社されたのには、特別な理由があったのでしょうか?

高田 特に理由はなく、もともと日本の大学を卒業したら就職するつもりでしたが、当時の社長から「アメリカに行ってこい」と言われ、就職の代わりに二年間勉強しに行ったような形です。

帰国する際も、別の会社に行く必要はないからと、すぐに当社に入社するよう言われました。5月に卒業後、一週間ほどで入社したと記憶しています。

医薬品品質を支える揺るぎない強みと信頼

── 御社の強み、競争優位性について教えてください。

高田 プラスチック関連のメーカーはたくさんあり、容器を製造する会社も多く存在しますが、その中で当社は製薬会社様をメインのお客様としています。そのため、品質面では、製品寸法の精度や環境衛生面において、きわめて高い水準を保っています。業界トップというわけではありませんが、お客様には十分に安心して使っていただけるものと自負しています。

また、阪神化成工業とファーマパックという二社体制も強みです。たとえばファーマパックでは成形同時充填を行いますが、それに付随して使うプラスチック容器も阪神化成工業で製造し、ファーマパックに納入して組み立て、出荷まで一貫して行えます。

つまり、様々なところから仕入れなくても、当社グループ内で製品を完結できるという強みがあります。

── この強みには、御社の長い歴史も影響しているのでしょうか。

高田 そうですね。創業が古く、当時から製薬会社様を中心に長くお付き合いさせていただいています。ありがたいことに、昔からお付き合いいただいている製薬会社からは、新しい製品が出るたびにお声がけをいただいています。長年の積み重ねてきた信頼が、今の当社の地位を築いているのだと思います。

── ファミリー企業では、事業承継時に先代派と後継者派の対立など、様々な壁にぶつかるケースがあると聞きますが、そうした問題はなかったのですか?

高田 私が社長に就任してからまだ4年ほどですが、ありがたいことに、そのような壁はありません。私の父親が社長だったときに現役でサポートしてくれた人たちは、ほとんどがすでに定年退職されていますが、その方たちとも衝突することなく、うまくやっていましたし、専務の私がどうのこうのといった派閥もありませんでした。

── 社長が約20年間、現場で経験を積んだことも影響しているのでしょうか?

高田 そうだと思います。もし私が外部から入社してすぐに社長になっていたら、いろいろあったかもしれません。しかし、入社して20年近く経ってからの社長就任でしたので、昔からずっと社内にいたことが、スムーズな承継につながったのだと思います。

── 原材料の高騰やサプライチェーンの問題などについてはいかがでしょうか?

高田 コロナ禍の途中くらいから、ウクライナ情勢なども影響し、原材料価格がどんどん上がり始めました。お客様には値上げの申し入れを行い、満額ではないものの、6割から7割はご理解いただけています。

正直、10年、15年前までは、プラスチックの価格が上がっても、お客様からは「他の容器屋さんは値上げしていませんよ」と言われ、なかなか受け入れてもらえませんでした。しかし、最近は人件費やガソリン価格、食料品価格など、すべてが上がっているため、ご理解いただけています。

ただ、医薬品の価格は国が定めており、自由に決めることができません。政府は賃上げを求めていますが、薬価は下がる一方です。製薬会社様も、どこから賃上げの原資を捻出したらよいのかと苦慮されています。

車の価格が10年前と比べて3割から5割上がっているのに対し、医薬品はまったく上がらず、むしろ下げられている。これが今後どうなるかが、今一番懸念しているところです。

あとは、やはり人材の確保が大変です。少し前まで富山県は製薬会社が多く、当社のような関連産業も多かったため、学生は製薬関連企業を目指す人が多く、人材の取り合いが激しかったイメージがあります。さらに最近は業種関係なく売り手市場ですので、人材確保は難しいと感じています。

── 医薬品の価格については、国の方針次第なのですね。

高田 ええ。製薬会社との付き合いが多いので、社長の皆さんと話すたびに、「政府は賃上げしろと言うが、薬価は下がる一方で、どこから原資を捻出したらいいのか」という話が出てきます。

製薬会社が厚生労働省に陳情することはありますが、当社のような容器屋としては、それをお願いするほか手立てがありません。私たち自身でできることはなく、正直、傍観するしかない状況です。できることとすれば、合理化や生産性向上を進め、少しでも原価を圧縮することくらいです。

環境問題への貢献と未来を拓く製品開発

── 長い社歴の中で、震災やリーマンショック、バブル崩壊といった大きな出来事に対し、どのように乗り越えてきましたか?

高田 オイルショックのときは当社に入社する前の話ですが、、樹脂がなかなか入ってこなかったと聞いています。前社長が当時、樹脂を扱う化学メーカーさんに「少しでもいいので分けてください」とお願いしに行ったそうです。それは何とかなったと聞いています。

直近で言えば、東日本大震災ですね。当社は茨城県の福島県寄りにある北茨城市に工場があります。震度6強の地震が発生し、当社の工場も数千万円単位の被害が出ました。天井が落ちてきたり、窓ガラスが割れたり、パーテーションが倒れてきたりといった状況でした。

生産は1ヵ月、停止して、ようやく再開というときに、隣接するお客様の工場が止まってしまい、また出荷が止まるということもありました。しかし、茨城工場の従業員の努力もあり、何とか2ヵ月後には復旧し、生産を再開できました。

当時は、工場の生産以前に社員の生活を支えることが重要でした。コンビニやスーパーに行っても商品がまったくなかった状況でしたので、こちらから救援物資を持って行き、何とか乗り切りました。

リーマンショックのときは、正直あまり影響がありませんでした。医薬品は、不況だろうと使われるからでしょう。富山県内には車関連の部品を製造するようなものづくり企業も多く、そういった会社は生産が6割減ったといった話もありましたが、当社はそのときもおかげさまで前年並みで推移しました。

── プラスチック業界は環境問題への意識が高いと思いますが、どのような取り組みをしていますか?

高田 プラスチックは悪者に見られがちですが、当社としては極力無駄なものを出さないよう努めています。

不良品を減らすことはもちろん、容器を製造する際、投入した材料のすべてが製品になるわけではなく、どうしても出てくる余分な部分があります。そういったものは捨てるのではなく、粉砕して専門業者に引き取っていただくか、社内で一部を粉砕し、それをもう一度加工してペレットという樹脂にして再利用しています。

このペレットは、医薬品容器以外のもので、別の工場で使っていただいています。これはかなり以前から行っている取り組みです。

M&Aも視野に、医薬品容器の未来を創造

── 今後の経営・事業の展望について、新たな事業領域への進出と既存事業の拡大の、どちらを考えていますか?

高田 当社の設備は食品容器なども製造可能ですが、長年の製薬会社様との知見を活かし、これからも医薬品分野を中心に事業を伸ばしていきたいと考えています。

阪神化成工業の容器製造とファーマパックの成形充填に加え、アルミ充填やガラス瓶への充填ができる機械も導入しましたので、これらの事業も伸ばしていきたいです。当社グループ内で製造から充填まで完結できる体制は、これからも強化していきます。

これまでは、お客様からのご依頼を受けて製造することが多かったのですが、今後は当社から提案できるような製品も開発したいと考えています。

競争の中で選ばれる企業になるためには、どこでも作れるような製品だけではいけません。品質やコスト面で比較されることになりますので、当社でしか作れない、競争優位性を持った製品をこれから作っていきたいと考えています。

── ファイナンスの観点から、M&AやIPOは今後視野に入っていますか。

高田 そうですね、正直、建築費が相当高騰しており、一昔前の1.5倍から二倍になっていると言われています。そのため、新しい工場を新設するのは、かなり現実的ではありません。

そういった意味では、自分たちの領域と重なるような会社で、後継者不足などで事業承継を検討されているようなお話があれば、M&Aも考える余地はあるかもしれません。たとえば、九州や中部地方などで良い案件があれば……。ただ、正直これまでM&Aで買収した経験がなく、企業文化の違いなど、難しい面があるとも想像しています。IPOについては、特に今は考えていません。

当社の製品はBtoCではなくBtoBがほとんどですので、会社名が表に出ることはほとんどなく、ドラッグストアや病院で当社の名前を目にすることは、まずないでしょう。

しかし、私たちは、患者さんのためのお薬を作ることで社会貢献している企業です。皆さんが病院に行かれたり、ドラッグストアで薬を購入される際、たとえ表には名前が出てこなくても、このように患者さんの生活を支えている企業があるのだということを、少しでも思っていただければ幸いです。

氏名
高田 健(たかた たけし)
社名
阪神化成工業株式会社(阪神グループ)
役職
代表取締役

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