工場の生産設備や検具などに用いる機械部品を製造販売し、800垓(1兆の800億倍)にも及ぶ天文学的な品揃えを誇る株式会社ミスミグループ本社。その膨大な数の商品を取り扱うミスミでは、ECサイトに「ベクトル検索」を導入し、ユーザーの利便性を大きく高めています。
ベクトル検索とは、言葉や画像を数値化し「意味の近さ」で情報を探す技術です。生成AIが文脈を理解する仕組みを応用しており、キーワードの完全一致に頼らず、ユーザーの意図を汲み取った柔軟な検索を可能にします。
当時の先端技術の導入に内製で挑み、さらにリリース後も、精度向上などを目指してAWSからGoogle Cloudへと基盤の切り替えにも取り組んだ。「主戦場」ともいえるECサイトでユーザーの体験価値を高めるために、社内でも事例のない技術を用いた開発では、さまざまな苦労や工夫があったといいます。
開発パートナーとしてミスミのプロジェクトに携わった経験もあるコアコンセプト・テクノロジー(CCT)経営管理本部 広報グループ マネージャーの幡井梨花氏が、株式会社ミスミグループ本社 デジタルサービスモデル開発・ハブ AI検索開発室 ジェネラルマネジャー代行の中田晃一氏に、ベクトル検索エンジン内製化を成功に導いた秘訣について迫ります。
ソフトウェア会社にてDB研鑽、データ分析を経験後、ミスミに⼊社。AI/MLチームの立ち上げ、自社ECサイトのレコメンドエンジン・検索エンジン開発、先端技術研究の技術統括を担当。現在は、内製開発の検索エンジンをグローバルに展開を行う。
東京大学工学部卒業後、製造系ITベンチャーを経て2014年CCT入社。開発部門で製造業向けシステム開発PMを担当後、マーケティング部門立ち上げのために異動し、デジタルマーケティング基盤を確立。その基盤を活かし2023年にはオウンドメディア「Koto Online」を創設。2026年より広報マネージャーとして活動。
目次
欲しいものが曖昧、商品名が不明 探したいものにたどり着けない課題を解決する「ベクトル検索」
幡井氏(以下、敬称略):最初に、「ベクトル検索」とはどのようなものなのか、キーワード検索との違いなどについて、教えていただけますか。
中田氏(以下、敬称略):一般的なECサイトなどでよく使用されている「キーワード検索」は、入力された言葉の文字列が一致しているものを見つけ出す仕組みです。一方で「ベクトル検索」は、入力された言葉の意味をベクトルで表現し(言葉が持つ特徴を数値化)、文字列が一致していなくても、意味として近いと機械的に認識したものを見つけることが可能です。
例えば、「ネジ」をキーワード検索した場合、商品名などに「ネジ」という言葉が入っていれば検索結果として出すことができますが、同じネジでもひらがなで「ねじ」と入力したり、「ボルト」と入力したり、人によって入力するキーワードは異なります。そうした場合でも、欲しいものをより探しやすくできるのが、ベクトル検索の利点です。
ご存じの通り、当社の商品の数は膨大で、自社の製造品に限らず、いろいろなメーカーの商品をECサイトで取り扱っています。欲しい商品が明確に決まっていて、商品名や型番がわかる場合には問題ないのですが、検索対象が曖昧で不明確な場合、キーワード検索だとお客様が欲しいものを探し出すことが難しくなります。特に、当社のECサイトに慣れていないお客様は、それぞれが普段使っているお客様の言葉で検索をすることが多く、その文字列がマッチングするように一つひとつ対応するやり方では限界があると感じていました。
そうした課題の解消にベクトル検索の強みを生かせると思ったことが、導入の理由です。
幡井:私は以前、御社のmeviy(機械部品調達AIプラットフォーム)の開発に関わらせていただきましたが、その時も紙のカタログがものすごく分厚くて驚きました。さらに、その当時御社のECサイトで検索したときも、なかなか探したいものが出てこないことがあり、膨大な商品の数があることを改めて痛感しました。御社が検索の利便性を向上させるのは、やはり簡単ではないですよね。
中田:そうですね。お客様が探しているものをより見つけやすくするために、検索窓に入力された文字だけではなく、ミスミの中におけるお客様の過去の行動履歴もベクトル化しています。AIを活用してそれらのデータを統計的に捉え、例えば「過去にこういうパーツをたくさん検索していたから、今探しているのはこの商品だろう」というパターンを導き出す仕組みです。
こうしたユーザー行動をベクトル空間に一緒に入れてカスタマイズできるというのも、ベクトル検索の面白さだと思います。
「先行知見ゼロ」からのスタート、地道な努力を重ねた内製化
幡井:ベクトル検索はフルスクラッチ(既存のテンプレートなどを使わずにゼロベースで新規に開発すること)、しかも内製で開発したと伺っています。まずはどうやって開発者を集めたのでしょうか。
中田:スタート時点では二人しか開発者がいなかったため、最初はとにかく「新しくて面白い開発です」と魅力をアピールして、社内から人材を集めました。それから、社内だけではどうしても難しい点があったため、大学と研究用の体制を組んだり、外部のベンダーさんの協力で実装用の体制を組んだり、開発の進行具合にあわせて必要な体制を変えていきました。
幡井:求める人材像や、必要なスキルなどはありましたか?
中田:当時は新しい技術で、そもそも会社として先行知見がゼロだったため、「ベクトル検索に詳しい人」という集め方はできません。社内に詳しい人が誰もいない中でプロジェクトを進めるためには、みんなで同じ方向を向いて、熱量を上げて乗り切ることが必要です。そのため、特定の知識や技術を持っているかどうかではなく、「課題解決を楽しいと思えるマインド」を持っているかどうかをより重要視しました。
幡井:確かに、ピンポイントで「〇〇の知識と技術がある人」という募集はできないですね。開発は、当初の想定通り進んだのでしょうか。大変だった点や苦労した点などについて、お聞かせいただけますか。
中田:最初は、開発着手から表に出すまでを2年ぐらいのスピード感で考えていたのですが、上長に相談したら「もっと早く」と言われてしまいました(笑)。結局、2022年4月にプロジェクトを始動して、同年10月には新システム、12月には新しい検索モデルをリリースしました。完全にアジャイルの形で、とにかく「この期間でこれを出す」というスケジュールを厳格に守りながら進めるというのが、一番苦労した点かもしれません。
特に、データの加工には時間がかかりました。いろいろなメーカーの多数の商品を取り扱っているため、データ量が多く、しかも商品名などの表記が統一されておらず、そのデータをAIに学習させやすくするのが大変でした。
ただし、全てが新しいことだったので、開発そのものはみんな楽しみながら取り組むことができたと思います。
幡井:検索はスピードもかなり重要視されると思うのですが、その点はどのように対応したのですか。
中田:新たな学習モデルを導入した上で、従来と変わらないスピードで検索結果を返せるようにシステム化するのは、すごく難しかったですね。検索の世界では、基本的に画面の表示までのユーザーの許容時間は1秒までと言われています。それ以上時間がかかると、そこを離れてしまいます。ただ、当時は検索に3秒かかっていました。
その時間を短縮するためには、結局「地道な対応」をするしかありませんでした。機転を利かせた奇抜な発想は一つもありません。AIモデルの精度を求めるとスピードが落ちるので、このトレードオフのバランスを見極めながらチューニングをしたり、データ更新の連携の仕方を工夫したり、といった基本的なことをストイックに繰り返しました。
幡井:最終的には、どのくらいまで時間を短縮できたのでしょうか。
中田:現在は、0.3秒で結果を返すことができるようになっています。人間の目で見たら「瞬時に結果が出た」と感じる速さです。
ただ、今はみなさんAIのチャットをかなり使うようになっているので、検索時間の速さはもう少し緩めてもいいのではと個人的には感じています。すぐに結果がほしい場合と、時間がかかってもよいのでいろいろな条件を付けた上でしっかりとした結果がほしい場合と、UI(ユーザー・インターフェイス)でユーザーが見分けられるような工夫をすれば、用途に応じた使い方ができるようになるのではないでしょうか。
運用コスト30%削減と「耐久性能」向上を両立。リリース後も止まらない「攻めの基盤移行」
幡井:今回、新しい検索モデルとしてベクトル検索をリリースした約1年半後に、AWSからGoogle Cloudに検索部分の基盤を刷新したと伺っています。フルで刷新するのは想定されるリスクもあったのではないかと思いますが、どのような考えで移行を決断したのですか。
中田:ベクトル検索はフルスクラッチで作っていたので、検索の量やトラフィックがこの先増えることを考えると、運用やメンテナンスを任せられるところにしたいと思ったことが一番の理由です。もともと基幹システムをAWS一本でいくと決めていたわけではなかったため、社内的には予想していたよりすんなりと了承されましたね。
ただし、最初に開発に着手した時と同じくGoogle Cloudに詳しい人材はいなかったので、これまでやってきたことをまたイチからやり直すような感覚でした。結果的には半年弱で移行が完了したので、特に大きな問題なく計画通りに進めることができたと思います。
幡井:ベクトル検索を導入した後、検索結果に対する評価はどのように見ていますか?
中田:当社のECサイトでは、商品を探して、材質や長さ・太さなどを決定し、最終的に欲しいものを決めると型番が発行されます。評価としては「お客様が検索して型番を決めるところまでたどり着くことができるかどうか」を見ています。使う指標はその時々で変わることもあるのですが、「ここまでたどり着いたかどうか」という点は着目すべき重要な点だと考えています。
それから、商品を探しきれずに離脱するお客様の数も大きく減らすことができています。もともとベクトル検索導入の主なターゲットとしていたのは、当社のECサイトに慣れていないお客様や新規のお客様でした。当サイトでの商品の探し方がよくわからず、せっかく来てくれたのに離れてしまうお客様をなんとかできないか、というのも導入の主な目的の一つです。当社のサイトを使い始めたばかりのユーザーが検索して商品が見つからず離脱するという割合を、ベクトル検索導入後に半分以下に改善しています。
そのほかの数値としては、2024年度の実績で商品の探索時間が18%削減、全体の検索数が10%増加、それから基幹システム移行によって運用コスト30%削減などの効果が出ています。
次に必要な部品を予測し、設計者に寄り添う「伴走型EC」の未来
幡井:いろいろな指標が大きく改善しているんですね。サイト内検索に関する残る課題や、今後新たに実装したい機能などはありますか。
中田:まず、当社のECサイトに来たお客様が商品を探して選ぶという、UX(ユーザーエクスペリエンス・ユーザー体験)全体に関しては、まだまだ改善の余地があると考えています。
現時点ではまだ、一つひとつの商品ごとに検索して選ぶというやり方しか提供できていません。しかし、お客様の立場にたってみると、当社のサイトに来てその商品を選んでいるということは、その時に何か作りたいものがあって、選んだ商品はその製造に必要な部品の一つにすぎません。今後は、例えばあるものを選んだ場合に、次に必要になると予想される部品を、スムーズにナビゲーションできるような形にしていきたいと思っています。
あまりプロモーション的な要素が強いと、お客様に不快な印象を与えてしまうと思うので、より実用的でお客様に寄り添っていくような形、いわゆる伴走するようなイメージです。お客様の課題を解決するストーリーを磨き込んで、検索を通じてより良い体験を提供していきたいと思っています。
幡井:最後に、ECサイトの利便性を高めることが御社全体の事業にどのようなプラスをもたらすのか、事業全体におけるECサイトの役割や位置づけとともにお考えをお聞かせいただけますか。
中田:当社にとってECサイトは最大の売り場であり、その売り場を磨き込むことは、事業全体にとっても大きな影響があります。そのため、サイトに来てくださったお客様が、ストレスなく目的に到達できるようにすることが必要です。
私の立場としては、お客様の目的、すなわち部品の購入のために、欲しい商品にいかに簡単に早くたどり着くかを突き詰めていくことは、検索に課された重要な役割だと考えています。サイトの入口であり最も使われる機能の一つなので、今後もAIなど新しいテクノロジーを駆使して改良を重ね、お客様に満足していただける、選ばれるサイトにしていきたいと思っています。
【関連リンク】
株式会社ミスミグループ本社 https://www.misumi.co.jp/
株式会社コアコンセプト・テクノロジー https://www.cct-inc.co.jp/
(提供:Koto Online)