使用済みの食用油は長らく、家畜の飼料か産業廃棄物として扱われるだけの存在だった。
この廃食用油を独自にバイオディーゼル燃料へとよみがえらせ、原料調達から製造・販売までを一社で担う体制を国内で先駆けて築いてきたのが、株式会社レボインターナショナル代表取締役CEOの越川哲也氏である。元F3ドライバーという経歴を持つ越川氏は、1995年の阪神大震災をきっかけに燃料づくりに取り組み始めた。
現在、レボインターナショナルは全国およそ4万6,000店の飲食店などから廃食用油を引き取り、京都・愛知の自社工場でバイオディーゼル燃料やSAF(持続可能な航空燃料)を製造している。
ベトナムでの非食用植物の栽培による新たな油脂資源の確保に取り組むとともに、JAL・ANAと設立した「ACT FOR SKY」を通じた国産SAFの普及にも取り組む。事業の原点から今後の戦略まで、越川氏に聞いた。
企業サイト:https://revo-international.co.jp/
目次
阪神大震災をきっかけに元F3レーサーがバイオ燃料に出会うまで
── もともとレーシングドライバーだったとか。
越川氏(以下、敬称略) ええ。国内のF3(フォーミュラ3)でレースをしていました。目立とうと必死に走っていましたが、クラッシュのたびに修理やタイヤ交換だけで40万円から50万円ほどかかりました。
生活費を自分でまかないながらレースを続ける身では、資金力のあるほかのドライバーと同じようには走れません。資金面の問題から、個人ではなくチームに入るしかないと考え、地元・京都の有力なレーシングチームに加わりました。
── チームではレースだけするわけではないのでしょうか。
越川 はい、バブル期には、高級車向けのカー用品の企画や全国営業も担当しました。
── チームにはドライバーとして入ったのでしょうか。
越川 いずれドライバーになるという前提で入り、最初は高級車向けのカー用品の企画や全国営業を担当しました。
ただ思うようには売れなかったので、当時販売していた商品の開発元に出向し、そこでも営業を続けました。そうこうしているうちにレースから離れて2年ほど経っていたため、ブランクが大きくドライバーに戻るのは難しくなっていました。そのため、出向先からチームに戻った後も、チームのマネジメント業務に軸足を移し、若手ドライバーの育成やチーム全体の運営を担うことになります。
全国のサービス対応で、年間200日ほど飛び回る生活が長く続きました。
── 現在の事業につながる転機は、どのようなきっかけだったのですか?
越川 26歳のとき、1992年ごろのことですが、集中治療室に入るほどの事故に遭ったことが一つのきっかけです。事故といってもレースではなく、会社の営業車に乗っていたときのことで、それ以降は移動手段は電車中心になりました。
もう一つ大きかったのは、1995年の阪神淡路大震災です。もともと土木の仕事をしていたこともあり、重機を扱えるボランティアとして神戸に入りました。
ところが道路が寸断されていて、重機を動かす燃料が手に入りません。倒壊した家屋に残っていた食用油を原料に、その場で燃料をつくり出して重機を動かしたのが、私にとっての原点です。
── 震災でのボランティア経験は、その後の活動にどうつながったのですか?
越川 現場で燃料をつくり出せたことで、捨てられるはずだったものが資源になるという手ごたえを強く感じました。1995年に仲間と「地球の環境を守る会」というボランティア団体を立ち上げたのも、この経験がきっかけです。
── 事業の大きな転機になったのが、京都大学の故・清水教授との出会いだと聞いています。どのような経緯だったのですか?
越川 清水剛夫名誉教授は、使用済み食用油(廃油)からバイオディーゼル燃料(BDF)を作る技術の生みの親と言われています。
当時の日本は廃食用油があふれていて、その使い道を見いだそうとしていたのです。教授の研究室でつくった燃料が実際に使えるのか試してほしいと頼まれ、私が乗っていたディーゼル車で試験走行をしました。これがバイオディーゼル燃料に取り組むきっかけになりました。
京都市のごみ収集車を丸ごとバイオ燃料に変えた原点
── 京都市のごみ収集車は現在、すべてバイオディーゼル燃料で走っているそうですね。
越川 1997年12月に京都で開かれたCOP3(地球温暖化防止京都会議)がきっかけです。京都市はこの会議を機に、ごみ収集車をバイオディーゼル燃料に切り替えることを目玉にしようとしていました。
私たちはその1年前の1996年からごみ収集車での使用実験を重ね、COP3の1ヵ月前の11月には、京都市のごみ収集車がすべてバイオディーゼル燃料で走るようになりました。市バスも同様です。
── 燃料の技術ができても、原料となる廃食用油の確保はまた別の課題だったのではないですか?
越川 そのとおりです。行政だけでは原料集めまで手が回らず、私自身が毎日のように自治会を回りました。広口のペットボトルで各家庭から引き取ってもらう仕組みは、このときにつくったものです。
今では全国のモデルになっている家庭からの廃食用油回収の形は、ここが原点になっています。
── 家庭からの回収だけでは、量が足りなかったのではないでしょうか?
越川 そのとおりです。当時は廃食用油の回収業者にお金を払って処理してもらうのが一般的でしたが、私たちは資源だと考えていたので、無料で引き取ることから始めました。
ところがCOP3をきっかけにバイオ燃料が注目されると、業界のルールが守られなくなってきたため、軽トラックにドラム缶を積んで自ら買い取りに回るようになりました。
京都から近畿、そして全国へと集荷網を広げ、原料の調達から製造・販売までを一社で担う体制を築いたことが、私たちの強みになっています。
── 原料調達まで自社で手がけるようになったのはなぜですか?
越川 レボインターナショナルは、もともと技術開発の会社として設立しました。ただ、バイオディーゼル燃料がどのようなものか、世の中にまったく知られていなかったので、まずは製品をつくって使ってもらい、技術を理解してもらおうと考えたのです。
製品をつくろうとすると、原料を握っているのは廃食用油の回収業者です。古くからある業界を健全にするには、自らその業界まで足を踏み入れる必要がありました。技術開発とライセンスから始まった会社が、原料調達から製造・販売までを手がけるようになったのは、こうした経緯からです。
全国4万6,000店から集めた廃食用油が海外に渡る理由
── 集荷網は、現在どのくらいの規模まで広がっているのですか?
越川 全国に17の拠点を構え、専用の車両およそ60台で集荷しています。従業員も100人規模まで増え、原料の調達から製造、販売までを一貫して担う体制が整ってきました。
── 現在、廃食用油はどのくらいの規模で集めているのですか?
越川 全国およそ4万6,000店の飲食店などと取引しており、家庭からの回収と合わせて原料を確保しています。国内で発生する廃食用油は年間40万トン前後とされ、その内訳は飲食店や食品工場など事業系が30万から35万トン、家庭からが10万トン程度です。
廃食用油をすべて回収してキログラム100円で売れたとしても、市場規模は400億円ほどにとどまります。大手の石油元売りにとっては、参入する動機に乏しい規模なのです。京都府宇治田原町と愛知県田原市の自社工場では、1日6万リットルのバイオディーゼル燃料を生産できる体制を整えています。
── 政府はSAF(持続可能な航空燃料)の普及目標も掲げています。原料の需要と供給のバランスはどう見ていますか?
越川 政府は2030年までにジェット燃料の10パーセントをSAFに置き換える目標を掲げていますが、これには170万キロリットルの原料が必要です。国内で集められる廃食用油は多く見積もっても40万トン程度ですから、原料はまったく足りていません。
── 国内で事業を広げるうえで、障壁になったことは?
越川 国内で燃料を供給するためのスタンドを確保することが難しかったことです。お客様である物流会社から「使いたい」と声をいただいても、供給できる場所が限られていました。
仕方なく海外に活路を求め、ヨーロッパへの輸出を始めました。廃棄物由来の燃料はCO2削減効果を二重に認めてもらえる認証制度もあり、評価と価格の両面で見合うようになったのです。今では生産量のおよそ9割がヨーロッパ向けになっています。
国産SAF連合「ACT FOR SKY」で目指すもの
── 廃食用油以外の原料開発にも取り組んでいると聞いています。どのようなものですか?
越川 2018年からベトナムで、食料と競合しない植物「ジャトロファ」の栽培に取り組んでいます。砂漠のような乾燥地でも育つ植物で、栽培を通じて砂漠の緑化や地球温暖化対策にもつながります。
自社ブランド「C-FUEL」は、ダカールラリー(注:砂漠や山岳地帯を約2週間かけて走破する「世界一過酷」と言われる。フランス・パリとセネガル・ダカール間)に100パーセント使用で参戦し完走した実績もあり、燃料としての信頼性は早くから示してきたつもりです。
廃プラスチックや未利用木質を熱分解してバイオ燃料に変える技術や、生ごみの発酵からメタンではなく水素を取り出す技術の開発も進めていますが、事業化に向けた数字はまだ固めていない段階です。
── 航空業界とも連携し、国産SAFの普及に取り組まれています。どのような体制なのでしょうか?
越川 JALとANAの両社との連携に向けて3年ほど取り組み、2022年に日揮ホールディングスとともに「ACT FOR SKY」という団体を立ち上げました。国産SAFのサプライチェーンを、業界の垣根を越えてつくる取り組みです。
それでも、燃料を扱う経済産業省と、使う側の航空会社を所管する国土交通省とでは管轄が分かれています。廃食用油の管轄はまた別ですから、関係するそれぞれの立場を調整しながら進めていく必要があり、実現までには時間がかかります。
── 事業の規模を大きくすることよりも、大切にしている考え方はありますか?
越川 売り上げをどこまで伸ばすかということだけを、目標にはしていません。それよりも、技術や仕組みを社会に広げながら、継続的に利益を生み出していける事業にすることを大切にしています。技術を提供することで適正な対価をいただき、その利益をさらに技術や事業の発展につなげていく。そうした循環をつくっていきたいと考えています。
地域で資源を循環させ、燃料コストを抑えることができれば、その効果は事業者だけでなく、最終的には社会にも還元されます。売上や利益といった数字だけでは測れない価値も含めて、持続可能な事業をつくっていくことが重要だと思っています。
18年の赤字を経て国内から海外へ
── 国内市場だけでなく、海外への展開も視野に入れているのでしょうか?
越川 私たちの技術や世界的なネットワークを考えると、日本の市場だけにこだわる必要はないと思っています。
── 従業員がいま約100人ですが、この規模まで拡大する中で、マネジメント面での課題はありますか?
越川 これまでは私が先頭に立って引っ張る、いわば親方のようなスタイルでやってきました。ただ、これから組織として運用するには、専門的にマネジメントができる人材が欠かせません。
技術を開発してきたメンバーは私よりも年上のほうが多く、現場の若手社員との間で、40代、50代でしっかりマネジメントできる層が社内にまだ育っていません。ここは今後、力を入れて育てる必要があると感じています。
海外展開を進めるうえでは、私自身の英語力も課題です。先頭に立ってもらえる英語圏出身の人材を迎え入れる取り組みを、ここ数年進めています。
── 今後3〜5年ほどの間で、事業をどのように成長させたいと考えていますか?
越川 国内の廃食用油をすべて集めてバイオ燃料にしても、市場規模は限られています。次のステップとして、食用と競合しない植物を原料にした燃料づくりを、ベトナムなどでさらに広げることが目標です。
ベトナムでは現地法人「STAR JAPAN」をつくり、原料となる植物の栽培を進めています。ベトナムの鉄道はディーゼル車両が中心なので、燃料の供給先という点でも相性がよいと考えています。
将来的には、サウジアラビアやモーリタニアのような産油国以外の乾燥地帯でも、植物由来の原料開発を進めたいと考えています。売り上げの規模を追うのではなく、地域で資源を循環させながら、継続して利益を出し続けられる仕組みをつくりたいですね。
- 氏名
- 越川哲也(こしかわ てつや)
- 社名
- 株式会社レボインターナショナル
- 役職
- 代表取締役CEO

