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(この記事は2014年2月18日に掲載されたものです。提供: Biglife21 )

企業の採用サポートや、就職希望者と企業を引き合わせる人材紹介、人材派遣を手がけるいわゆる人材業界。その成長株として注目を集めている株式会社ネオキャリアは2000年以降に起業した若い会社だが、大手企業を尻目に倍々ゲームのごとく売上を伸ばしている。国内のみならず東南アジアを中心に海外でも事業を展開し、次に来る時代の人材業界代表を自負する西澤亮一社長。通常のHPの紹介ではうかがいしれない真の素顔に迫った。


人生最初のテーマは「自立」

次男にして「亮一」と名付けられたように「とにかく一番にこだわれ!」という教育方針のもとで育てられた。自身が「反抗期だった」と振り返る中学時代。高校からは実家を離れ、生活費のためにアルバイトで月30万円も稼ぐほどのバイタリティあふれる思春期をおくった。進学した大学では商学部ということもあって、在学中からビジネスの世界に身を置いた。そのまま起業家への道を進むと思いきや、本人に言わせると、

「僕の場合はあまり起業するつもりがなくて、大学時代には普通に就職活動をしていました。ゼミが金融関係だったので志望も当然金融でした。ただ金融業界はその当時ビックバンが起きていて銀行の再編が盛んに行われた時期。就職氷河期だったのです」(西澤氏、以下同)

当時山一証券が経営破綻し、西澤氏が就職を希望していた第一勧業銀行などもどんどん統合されて行く時期だった。この様子をみて「ちょっと金融業界は危ないなと思った」という。

「自分の中では自立した大人として、『この国が仮に潰れたとしても、マーケットの中で必要とされる価値のある人材になりたい』と考えていました。だからテーマは〝自立〟です。志とか起業とかお金儲けなどよりも、自分の能力を持って自立したいという強い思いがあったのです」

そう考えたときに、就職することがすべてではない。先に就職した先輩たちを見ていて、たとえ一緒に働いたとしても将来が期待できないと見切った。「伸びしろがなさそう、今の自分から見てもイケてない。これならば自分で起業をしたほうがいいな」と考えた。就職から起業への道に転換したのは、すでに十分に養われていた世の中を読む目によってなされた結果と見ていいだろう。


創業15年、2度の存亡の危機を乗り切った手腕とは?

株式会社ネオキャリア (3)エントランスの一角には、同社の企業理念や企業文化等が掲げられている。
人材会社を立ち上げた経緯は、起業の方向に舵を切った時に同期9名が同じ目標をもって集まったことによる。資金提供を申し出るいくつかの会社のうちの1社が人材会社であった。

「かれらはすでに人材派遣のビジネスを展開していましたので、僕らはそれ以外の正社員領域のビジネスを提案して受け入れられたわけです」

ところが、1年4カ月ほどで資本金を全部使い果たしてしまい、創業当時から代表を務めていたメンバーが辞めてしまう。まずは第一の倒産の危機だ。人生はなかなか順風満帆では行かない。落ち込んだ時にどのようにして立ち直るかということは人間の持っているクオリティに関わる。ナンバー2だった西澤氏は覚悟があったのだろう。株主たちに対しての申し訳ない気持ちと4000万円の負債ごと背負い込み、代表に就任する。そこから1年半ほどは創業メンバー全員の給与をストップするという、当然といえば当然だが、思い切った手に出た。

「『1年半も給料がなくて、よく大丈夫でしたね』と聞かれることもありますが、結構本気で苦しかったですよ(笑い)。電気もとまることもありましたしね……」

さらりと話す横顔には、力みなどは微塵も感じさせないほどの自然さがある。

その後会社は西澤新社長のもと、業績を伸ばす。バトンタッチしてからわずかな間で単月黒字化を達成すると、借金を返済し、資本金も元に戻す。2008年までは、まさに倍々ゲームのように売上は伸びた。同業他社も含め比較的若い会社はほとんど売上を伸ばしていた時期。ただ他の伸び率を130%とすると、ネオキャリアは180%から200%。5年で売上が10倍、2億から20億になり、社員も10人から100人の大所帯になった。

立ち上げてわずか1年あまりでの存亡の危機。それを立ち直らせていくには物理の原理同様に滑車、つまりソフトが必要となる。無策では100の力は100でしかないが、滑車をつけることによってその力は10倍にも100倍にもなる。同社が立て直しに成功し、他社より抜きん出た成長をなし得た根底には、「強い企業文化」というコアコンピタンスがあった。一方で、「実はそれよりも世の中全体の景気が良かった、その要因の方が大きいと今ふりかえると思います」と正直な一面も覗かせる。

第二の危機はやはりリーマンショックが原因だ。そのタイミングで派遣法の改正問題が起こり、大手企業の派遣切り問題もあって人材業界はズタズタになっていた。7兆円あったマーケットが3兆円まで縮小したという。派遣ビジネスから撤退する企業も目立ち、地方拠点の閉鎖も相次いだ。その時にネオキャリアは、西澤社長がいうところの〝逆張りの戦略〟に打って出た。一つはそれまで手を付けていなかった派遣事業のスタート。二つ目は新卒採用マーケットにおける地方の景気は落ちていないと判断して始めた地方拠点の展開だ。

「業界内に不況の波が訪れて各社が苦しんでいる時ですよ。当然ながら優秀な方々があふれているわけで、僕らはそういった方とお会いすることができ、良いビジネスモデルにマッチングできた。この業界は成熟しているマーケットで、売上100億以上の会社が30社近くしかありません。その中で2000年以降に創業した会社は僕らしかいなくて、あとはもう歴史ある会社しかない。幸いなことに、リーマンショックを契機に飛躍的に伸びることができた数少ない人材系の会社だと思います」

同社の特徴のひとつに〝若さ〟がある。社長の年齢は36歳、社員の平均年齢は28歳、業界でも2世代ほど若く、飛び抜けている。ただその若さだけでは急成長を見込めるはずもない。〝逆張りの戦略〟があたってリーマンショック後、一度は落ちた売上も同業他社より落ち込みが少なくてすみ、V字回復をみせてまたまた業績を伸ばしていく。5年で売上も社員もさらに10倍になった。当時東京本社のみだった拠点は、今や全国で27拠点。東南アジアへも進出を果たした。その背景にあるものを探ってみよう。