フォトグラファーとして「日本を代表する」といっても過言ではないほどの活躍をしているアラーキーこと荒木経惟(あらき のぶよし)。彼の作品は過激なものもありますが、昭和から平成・令和と長く、私たちの感受性を揺さぶってきました。今の記事では荒木経惟の経歴や作品を通して、彼の作品の魅力を紹介します。

画像引用:arakinobuyoshi.com ( http://www.arakinobuyoshi.com/main.html

目次

  1. 荒木経惟の経歴と人生
  2. 荒木経惟が撮る作品の魅力
  3. 荒木経惟の写真家として以外の活動
  4. 荒木経惟の代表的な作品3選
  5. 荒木経惟の作品はどこで見られる?
  6. まとめ

荒木経惟の経歴と人生

荒木経惟

はじめに荒木経惟の経歴や人生について紹介します。

サラリーマンからの転身

荒木経惟は1940年5月25日、東京都台東区で誕生しました。父の荒木長太郎はアマチュアカメラマンとして活躍しており、近所でも有名な存在だったのだそうです。これが荒木経惟がカメラの道を志すきっかけになります。

高校生のころからアマチュアカメラマンとして活動をはじめ、カメラ雑誌やオートバイ雑誌に投稿をはじめます。当時から撮影のスキルは相当なものだったようで、大学の学費はすべて写真投稿の賞金でまかなったのだそうです。

千葉大学工学部に進学した後も、カメラマンの活動を続け「日本カメラ」などの雑誌で入選するなど頭角を表し始めます。日本カメラといえば、当時「三大カメラ雑誌」の1つですので、かなり高い技術があったことがうかがい知れます。

その後、大学卒業後に「電通」に入社し広告カメラマンとしての活動をスタート。翌年には平凡社主催の写真賞「太陽賞」を受賞します。プライベートでは、1971年に社内報の撮影で青木陽子と出会い、結婚。荒木経惟はのちに女性をよく撮影しますが、そのなかでも荒木陽子は最大の被写体となりました。新婚旅行のシーンなどを撮影した写真集「センチメンタルな旅」は、彼の代表作の1つです。

結婚の翌年には電通を退社してフリーランスとなります。この時期から、エロティシズムあふれる女性のヌード写真などをよく撮影するようになり、各画廊や美術館などでの展示を本格的にスタート。以降、女性を被写体とした写真は荒木経惟の代名詞となっていきました。活動は日本国内だけでなく、ニューヨークなどの海外にも広がっていきます。

また1981年に有限会社アラーキー設立。社名からも分かる通り、彼はアラーキーという愛称で知名度を高めていきました。

亡くなった愛妻を撮影し話題に

しかし1990年に愛妻の荒木陽子が逝去。亡くなった荒木陽子さんの姿を写した写真集「センチメンタルな旅 冬の旅」が発刊されます。

写真集のなかには、棺に入った荒木陽子の死に顔があり、賛否両論が分かれました。同じく日本を代表する写真家である篠山紀信とは意見が分かれ絶交状態になっています。

このとき荒木経惟は既に50歳ですが、勢いは衰えることなく、次々に作品を発表。女性の「性」を打ち出した作品が中心でしたが、なかには東京の風景などをおさえたものもあり、ジャンルを問わず写真を撮り続けました。

非常に早いペースで写真集を刊行するのが彼の特徴の1つですが、これ以降も2006年までは毎年必ず写真集を出しています。それほどまでのペースで写真を撮り続けていきまし

荒木経惟が撮る作品の魅力

ここからは荒木経惟の写真の魅力について紹介します。

リアルを映し出す「私写真」

荒木経惟は自らの作品を「私小説」改め「私写真」と表現しています。私小説は文学の言葉であり、あくまで自分の実体験をもとにしたリアリティのある作風を総称した言葉です。

この言葉のとおり、荒木経惟は私小説のようにリアリティのある写真を大事にしています。

特に女性を被写体とした写真の場合、モデルとの関係性が濃密に写った作品が特徴です。またカメラの性能が高まっても、昔ながらの機器で撮影をします。だからこそ、自然なボケが出ることもあります。キレイすぎない、「作りもの」感のない、リアルな仕上がりになるのです。見ている側は荒木経惟とモデルのストーリーに没頭できます。

女性の素顔を引き出す

先述した通り、荒木経惟は女性の作品をよく撮るのが特徴です。そのなかでもエロティシズムを全面に押し出した作品が多く、ただ単純にヌードの写真、というだけでなく緊縛された女性の写真などもよく撮影しています。

これは一側面として「性」を表現するということがあります。また「女性」という存在が持つ生命力を表現していることもインタビューで語っています。

この「表現性」自体に、商業写真にはないファインアートとしての作品性の高さがあり、荒木経惟の魅力の1つとなっているのは間違いありません。

荒木経惟の写真家として以外の活動

荒木経惟はメインとして写真での表現活動をしていますが、映画監督としても活動をしています。1981年には「女高生偽日記」の監督をしました。性への興味が芽生え始める女子高生と、フリーカメラマンとの交友を官能的に描いた非常にチャレンジングな作品です。

テーマとしても、スキャンダラスな作品であり、荒木経惟の写真の世界をそのままフィルムに写したような仕上がりになっています。

荒木経惟はまた「アラキネマ」というライブパフォーマンスをしています。これは写真のスライドショーと音楽を掛け合わせて映像化したビデオを放映するものです。アラキネマの作品もまたハイペースで制作をしており、2010年までに30本のビデオが生まれています。

写真が持つ可能性を拡大することで、自身の表現活動に深みを持たせているのも、荒木経惟の特徴の1つと言えるでしょう。

荒木経惟の代表的な作品3選

ではここまでを紹介したうえで、荒木経惟の代表的な作品(写真集)を紹介します。

先述した通り、荒木経惟は非常に多作なカメラマンであり、これまでに500冊以上の作品集を出版しています。そのなかでも、特に代表的なものを紹介します。

センチメンタルな旅(1971)

「センチメンタルな旅」は荒木経惟が最初に自費出版した写真集です。妻の荒木陽子との新婚旅行の様子を収めています。できるだけ自然な自分の日常の様子を写真に撮ることを目指していた荒木経惟にとって、妻である荒木陽子は最高の被写体だったのです。この写真集にはそんな自然な二人の様子がリアリティたっぷりに写されています。

私家版として1,000部限定で出版されました。少数出版ではありましたが、この写真集で荒木は世間から注目を集めることになります。

東京日和(1993)

東京日和は荒木夫妻が東京を散歩しながら記録した私的小説となっています。荒木陽子は生前にエッセイストとして活動をしており、荒木経惟が写真を撮り、荒木陽子がエッセイを書きました。

出版自体は荒木陽子が亡くなった後ですが、この作品には荒木陽子が病に倒れた後も撮り続けた写真が収められています。

1997年には俳優・竹中直人が監督、主演をして映画化されました。この作品は第21回日本アカデミー賞で優秀監督賞ほか、10部門で受賞をしており、映画としても傑作といわれています。

左眼ノ恋(2014)

2013年に、荒木経惟は右眼網膜中心動脈閉塞症により、カメラマンの命ともいえる右目の視力を失いました。

その後、左目だけでの写真を落とし込んだのが「左眼ノ恋」です。「自らの失明によって、写真はどのように変化をしたのか」という部分にフォーカスをした自己実験的な作品集となっています。

荒木経惟はガンも経験しています。自らの身体が弱っていくなか、左目だけで写真を撮り続ける彼の生命力が如実に表れた作品です。

荒木経惟の作品はどこで見られる?

荒木経惟は国内外にファンが多い写真家ですので、定期的に展覧会が開催されます。

定期的に展覧会が行われている

直近では2022年10月10日~12月12日まで東京・表参道の「artspace AM」で展覧会「楽園の空」が開催されていました。この展覧会では自然物や人形といったモチーフの作品を見ることができました。

artspace AMでは、このほかにも荒木経惟の展覧会を定期的に開催しています。気になる方は、チェックをしてみてください。

http://am-project.jp/

写真集を購入する

また荒木経惟の作品を見てみたい方は、実際に写真集を購入することをおすすめします。時代別に荒木経惟は膨大な数の写真集を発刊しており、もちろんamazonをはじめとしたECサイトでも購入可能です。

女性をモチーフとした作品だけでなく、風景や建造物を収めたものもあります。商業写真にはない、独特の「リアリティ」や「ライブ感」を見られますので、気になる方はぜひ購入してみてください。

http://www.arakinobuyoshi.com/main.html

まとめ

荒木経惟は、ここ数十年間ずっと「天才」と呼ばれ続けてきた存在です。その写真は決して表層的な美しさだけではありません。装飾された美しさというよりは、普遍的な日常のなかで撮影された、本質的な美しさにフォーカスしてきた写真だといえます。

それは昨今のSNSでの加工とは真逆のもの。何でもない日常をそのまま掲載することにこそ「強さ」を感じられるという部分は、今だから面白さを得られるポイントです。

この記事を通して気になった方は、ぜひ作品集を購入してみてください。日常を撮ってきた作品だからこそ、ご自身の日常の見え方が変わってくることでしょう。

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