強まる逆風
英国政府は3月29日にEU(欧州連合)に離脱の意思を通知した。2016年6月に行われた国民投票で予想外のEU離脱派が勝利した後行方が注目されてきたが、ついに正式な通告が行なわれて2年間の期限で離脱交渉が始まった。国民投票のやり直しや現状とできるだけ近い形での離脱(ソフト・ブレグジット)を目指す、などといった甘い期待は裏切られた。メイ首相は「後戻りはできない」と議会で述べたと伝えられており、完全な離脱(ハード・ブレグジット)を目指すことになる。
離脱交渉がまとまってもどちらも新たに得るものは無く、EUと英国との交渉は厳しいものになることが予想される。EU離脱の可否を問う国民投票で、離脱派が甘い見通しで投票者の判断を誤らせたのは確かだ。しかし困難な先行きが見えてきても離脱を思いとどまるべきだという声は盛り上がらなかった。移民に職を奪われるという恐怖が人々を反グローバル化に向かわせている。
一方EUの内部でも、中東やアフリカから流れ込んでくる難民問題への対処に対する不満が高まっている。経済が好調で最も大きな利益を得ていると見られているドイツでさえ、格差の拡大に労働者層の不満が高まっており、9月に予定されている総選挙でメルケル首相が率いる与党が苦戦する恐れも出てきている。
理念と現実のギャップ
経済のグローバル化の本質は分業だ。多くの人がそれぞれにあらゆることを一人でやろうとするよりも、皆が作業を分担した方がはるかに効率が良い。皆が協力し合うことで全員が得をするというのが経済学の教科書の教えるところだ。しかし、現実には共同作業で生まれた利益が全員に分け与えられるとは限らない。グローバル化の恩恵を受ける人達と、グローバル化によって今までの生活が脅かされる人達が出てきてしまう。
アメリカでは昨年の大統領選挙で予想外のトランプ大統領の誕生となったが、その原動力となったのはグローバル化で安定した職を奪われた工場労働者だった。国際的な公正・正義よりも自国の利益を追求すべきだという、トランプ大統領の掲げるアメリカ第一主義への共感が強いのは、貿易相手国がグローバル化の恩恵の大半を取ってしまい、自分達には恩恵が及ばないという不満が大きいからだ。
ユーロ危機の源泉
EUは域内の「ヒト・モノ・カネの自由な往来」をうたってきた。経済力の弱いギリシャと経済力の強いドイツが同じ土俵で競争することになった結果、お金がギリシャから流出し続けついには経済的な危機に至ってしまった。
ドイツがマルクを使いギリシャがドラクマを使っていた頃は、ドラクマをマルクに対して切り下げるというハンディキャップの拡大で国際収支の均衡が保たれ、経済危機は回避されていた。しかしユーロを統一通貨として使うことによって、自国通貨の切り下げという手段を失ってしまったために、ギリシャなどの南欧諸国は多くの人が失業してしまうような不況を引き起こす以外に危機を回避する手段がなくなってしまった。
日本国内でも地域による経済力の格差という問題はあるが、危機に発展することはない。それは地方交付税制度など地域間の経済格差を埋める仕組みを持っているからだ。ユーロ圏各国はユーロの危機に対して「統合の深化」で対応しようとしてきたが、ギリシャなどの財政危機を救うためにもっと大きな負担をすることも止むを得ないという考えよりは、なぜ他国のために自分たちが負担をしなくてはならないのかという不満が高まっている。
汲み取るべき教訓
グローバル化を進めるということは、ユーロ圏のように完全な統合を目指さないまでも、より一つの国のようになって行くということだ。それが容易なことでないことは、歴史が教えてくれる。1990年代に入って社会主義政権が崩壊すると、驚くべきことに第二次世界大戦後一つの国として半世紀にわたって存在した国々が次々に分裂してしまった。外からは一つの国として、同じ国の国民という同朋意識があるように見えたが、実際には民族や地域、宗教によって分断されていたことが露呈した。人口のほとんどが移民の子孫であるアメリカでさえ、メキシコからの移民に対する不満が高まっている。
理念だけが先行して急いで前に進もうとしても、摩擦が大きくなってしまえば逆風が強くなり船は押し戻されてむしろ後退してしまう。グローバル化を進めるためには、それによって引き起こされる様々な摩擦へのきめ細かな対応が必要だというのが、我々が汲み取るべき教訓ではないだろうか。
櫨浩一(はじ こういち)
ニッセイ基礎研究所 経済研究部
専務理事 エグゼクティブ・フェロー
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