世界各地でライドシェアが発達し、シェア争いが起こっている。日本人にはピンと来ないかもしれないが、中国では早くも決着が着き、現在は終戦後である。優歩(Uber)中国が“滴滴”に合併されて1年が立つ。かつて優歩は30カ月に及ぶ猛烈な活動を行っていたが“外資本土化不成功”の魔手を打破できなかった。Uberの中国での受難は世界戦略縮小への前奏曲か? 経済ニュースサイト「界面」は、Uber撤退1年に際し、ライドシェア業界の総括を行っている。
優歩(Uber)と滴滴の合併
1年前の7月28日、“網約車経営服務管理暫辯法”が正式に発布され、ライドシェア(配車アプリ)の法的地位が明確となり、条件を満たした車とドライバーは正式に“運送業者”となった。そのわずか3日後、優歩(Uber)と滴滴の合併が発表された。この情報は多くの人を驚かせた。とくに優歩のドライバーにとっては寝耳に水だった。優歩のアプリは一夜にしてアクセスできなくなった。
これは優歩の中国人幹部たちをも驚かせるに十分だった。なぜなら当時Uberの全世界の都市別配車実績において、トップ10都市中の7都市が中国にあったからである。それが突然滴滴の一業務部門になってしまったからである。
2016年4月、正式合併の4カ月前、当時のUberカラニックCEOは滴滴と合併の可能性を考慮しつつ接触を開始した。Uber中国の財務責任者の告白によると、それより前の2015年9月以降、いろいろな異変が起こっていた。このころからドライバーへのインセンティブはは毎週のように大幅増加した。滴滴との間で“インセンティブ大戦”が勃発していたのだ。
2016年5月以降は米国本部との関係にも変化が生じた。Eメールのやり取りに支障が生じている。7月には人材招聘計画をスピードダウンさせた。それまでの猪突猛進ぶりからは考えられないことだった。