「休みたい」と思っていない日本人

佐々木常夫,休めない理由
(画像=The 21 online)

日本人の有給休暇の取得率の低さはしばしば話題になるが、休みを取りたくても多くの現場で「休めない」と言われているのはなぜなのだろうか。東レ時代に家族のために残業削減を断行し、同期トップで取締役に就任、働き方改革のスペシャリストとして知られる佐々木常夫氏にうかがった。《取材・構成=塚田有香、写真撮影=長谷川博一》

頭の堅い「粘土層」上司がボトルネックに

長時間労働を解消し、生産性を高める「働き方改革」は、いまやどの企業にとっても急務となった。だが一方で、実際の現場では『定時に帰るのは難しい』『休暇がとりにくい』という声がいまだに圧倒的多数だ。

なぜここまで「休めない職場」が多いのか。東レ在籍中の課長時代から残業削減や業務の効率化を推進し、ハードワークが当たり前だった一九八○年代からワークライフバランスを実践してきた佐々木常夫氏は、その原因をこう言い切る。

「日本人が休めないのは、本気で『休みをとりたい』と思っていないからです。とくに中高年以上は、高度成長期の価値観をいまだに引きずり、長く働くことが美徳であると信じている。若い世代の意識は随分変わりましたが、頭の固い五十代以上の 『粘土層』が古い考え方を捨てない限り、会社全体を変えるのはなかなか難しいのが現実です。

職場を変えるために必要なのは、『制度より風土、風土より上司』です。いくら男性の育休制度を作っても、『男性社員も育児のために休むのは当たり前』という風土があり、それを部下に勧める上司がいなければ、誰も休もうとはしませんよ」

「ドイツ人の働き方」を日本人も見習うべき

そもそも、なぜ本気で休みたいと思えないのと言えば、「仕事以外にやりたいことがないからだ」と佐々木氏は指摘する。

「日本のサラリーマンと話すと、『家に帰ってもやることがない』という人が多いことに驚かされます。これがドイツの会社なら、社員たちは朝七時半には出社し、全力で集中して働き、夕方四時には帰っていきます。そして毎晩家族と夕食を共にし、子供とキャッチボールしたり、家事や庭の手入れをしたりする。ドイツの人にとっては、それが当たり前なのです。 ところが日本人で、平日に家族と食事をする人がどれだけいるか。それどころか、『たまに早く家に帰ると、妻や子供に煙たがられる』という人までいる。でも、そういう家族にしてしまったのは、自分自身です。

仕事しかない人生を送ってきた人は、定年を迎えた瞬間に何もかも失います。その後に待っているのは、寂しい老後です。

私はそれが嫌だったから、管理職時代から毎日夕方六時に退社し、病気の妻の看病と3人の子供の世話をしながら、家族ときちんと向き合ってきた。家族だけでなく、会社以外の友人や地域社会とのつながりも大事にしてきました。70代になった今、そうした人たちとの横の結びつきが、私にとって非常に大きな財産になっています」

「家族と一緒に過ごしたい」「趣味やスポーツのために時間を使いたい」といった「やりたいこと」さえあれば、何とか工夫して仕事を速く片付けようとするもの。忙しさを言い訳に休みをとろうとしない人は、「結局のところ『休みをとれない』のではなく、『休みをとらない』だけではないか」と佐々木氏は問いかける。

「私は『働き方とは、生き方である』と考えています。本来はまず『自分が幸せになるにはどう生きるべきか』という人生設計があり、そのためにどう働くのかを考えるべきでしょう。ところが多くの人は、生き方を考えずに、働くことばかり考えている。それでは日本人の働き方が変わることはありません」

残業を減らしても「暇そう」と思われないコツ

佐々木氏が課長になった34年前は、まさに「サラリーマンは家庭も顧みずに働いてこそ一人前」というのが常識だった時代。その中で毎日定時に退社し、自分の部下たちにも残業ゼロを徹底させた佐々木氏は、「組織の中で完全なマイノリティだった」と振り返る。それでも周囲の批判や反発に潰されることなく、職場の働き方改革を実行できたのはなぜか。

「中間管理職が自分のチームの働き方を変えるには、上司と密にコミュニケーションをとることがカギになります。 私は管理職として異動になるたび、着任してすぐ直属の上司のもとへ行き、『私はこのようなやり方で残業を減らしますが、結果はきちんと出します』と宣言しました。さらに、節目ごとに上司への報告を欠かさず、『着任から3カ月で残業は60時間から30時間に減りましたが、業績は上がっています。そこで次は、20時間まで減らしたいと思います』とこまめに現在の状況を伝えたのです。

すると上司も『残業は減っているが、ちゃんと結果は出ているから、手を抜いているわけじゃないんだな』とわかる。そうすれば、私のやり方にも口を出さなくなります。

これを何も言わずに勝手にやろうとすると、『あのチームは毎日早く帰って暇そうだから、もっと仕事を与えよう』となってしまう。新しいことをやりたいなら、自分の上司と丁寧にコミュニケーションし、信頼関係を作ることが重要です」

会社が変わらないなら自分のチームを変えよう

佐々木氏の働き方改革は、やがて社内でも評判になる。それとともに、周囲の反応も変わっていったという。

「私が残業ゼロ改革を始めた頃は、周囲から『あいつはおかしなヤツだ』という目で見られていました。でもそのうち、『佐々木さんの部下になると、残業せずに早く帰れる上、みんな昇格できるらしい』という評判が広まっていった。私は労働時間の削減だけでなく、部下を昇格させるための社内的な根回しにも全力を尽くしましたからね。

すると私がどの部署に異動になっても歓迎され、私が何も言わなくても、部下たちが残業を減らそうと努力や工夫をするようになったのです。だから働き方改革を潰されるどころか、むしろ仕事はどんどんやりやすくなりました。

長時間働かないことは、私自身の出世や評価にも、何のデメリットにもなりませんでした。夜遅くまで残業している人たちより早く、同期で最初に役員になったのは私ですから。限られた時間しか働かなくても、上は結果さえ出せば文句は言わないということです。

いきなり会社全体を変えるのは難しいかもしれない。でも、自分のチームを変えることはできる。そこで結果を出せば、それを認めてくれる人も少しずつ増えていくはずです」

「粘土層」の世代の価値観が変わるのを待っていたら、いつまで経っても「休める職場」は作れない。まずは管理職がみずからの生き方を見つめ直し、自分のチームの働き方から変えていくことが必要と言えるだろう。

佐々木常夫(ささき・つねお)
佐々木常夫マネージメント・リサーチ代表取締役
1944年秋田市生まれ。6歳で父を亡くし、4人兄弟の次男として母の手ひとつで育つ。1969年東大経済学部卒業、同年東レ入社。30代前半に倒産しかけた会社に出向し再建。1987年社長のスタッフとして経営企画室で経営革新プログラムを担当。1989年繊維の営業でテグス(釣り糸)の流通改革を断行。1993年プラスチック事業企画管理部長。2001年取締役経営企画室長。2003年東レ経営研究所社長。2010年同社特別顧問。2013年より佐々木常夫マネージメント・リサーチ代表取締役。著書に『会社で生きることを決めた君へ』(PHP研究所)などがある。(『The 21 online』2017年12月号より)

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