格安&便利な新勢力~これが噂の「なるほど家電」
梅雨の悩みの種といえば、部屋干しで乾かない洗濯物。その悩みを解決するのが「サーキュレーター衣類乾燥除湿機」だ。空気を循環させる送風機に除湿機を合体させた新商品。除湿機で湿気を取り除いた空気を、強力な風で直接 洗濯物に吹き付ける。これで室内でも衣類を一気に乾かせる。1時間も干せばしっかり乾くという。
一方、干せない布団をフカフカにするのは「ふとん乾燥機カラリエ」。今まで、布団乾燥機といえば温風を入れるマットを広げるなど、準備が大変だった。ところがこの新型はマットをセットする必要がない。温風が出るノズルの先端にある羽根を開き、布団をかけるだけ。これで、テントのような空間ができ、布団全体に温風が広がる。
今までにないアイデアで梅雨時の悩みを解決したこの2つの家電を作っているのがアイリスオーヤマだ。アイリスオーヤマといえば、ホームセンターで扱う様々な収納ケースで知られてきた日用品メーカー。ところが今、新興の家電メーカーとしてヒットを連発、怒濤の成長を遂げていた。
人気の秘密は店頭にも掲げられた「なるほど家電」という言葉にある。
例えばアイリス製「銘柄量り炊きIHジャー炊飯器」(2万1384円)は、米をセットする時に面倒な、水の計量がいらない商品。入れた米の重さを自動的に計測し、おいしく炊ける水の量を表示。水を注いでいくだけで、適量になるとブザーで知らせてくれるのだ。これなら、中途半端な量の米でも適量の水を入れられる。
さらにこの炊飯器には本体の下にクッキングヒーターが。炊飯に使うヒーターを、別の用途に使えるようにと、分離してある。
一方、アタッシュケースの形をした「両面ホットプレート」(8618円)もアイリスの家電製品。ケースを開けば1台で同時に2種類の料理が調理できる。これなら味が混ざらずに、焼肉と魚介類を、同時に楽しむことができる。
アイリスの家電は「なるほど」と思わせる機能で客を掴んでいるのだ。
そんなアイリスオーヤマは2010年にカンブリア宮殿に登場している。だが、その後の8年間で大きな成長を遂げていた。当時2000億円だった年商は、現在4200億円。その大躍進を支えているのが「なるほど家電」なのだ。
宮城県角田市の本社を訪ねると、社長の大山健太郎(72)が見せてくれたのは、掃除機にモップを搭載したという自慢の新商品。掃除機をかけている最中に手早くホコリもとることができる。しかも、そのホコリはセットした掃除機で吸い取ることができるという。「奥さんに聞いてください。間違いなく『欲しいわ』と言います。ヒットの予感がしております」と、笑顔を見せる。
家電メーカーへ変貌の秘密~アイリス流モノづくり
アイリスが家電メーカーへと変貌できた秘密が、大阪の「大阪R&Dセンター」にあるという。初めて撮影を許された「なるほど家電」開発の中枢。すでに洗濯機やエアコンなど、大型の白物家電も手がけていた。
開発が可能な理由は人材にあった。そこにいるのは東芝、シャープ、パナソニック……ほとんどが大手家電メーカー出身のベテランエンジニアなのだ。
アイリスが家電部門を一気に拡大したのは2012年。その頃、大手家電メーカーは海外勢との戦いに敗れ、大規模なリストラを断行していた。大山は、家電業界のピンチをチャンスと捉え、職を失った優秀な技術者を大量に採用。一気に、家電事業のアクセルを踏んだのだ。
「有能な技術者までリストラされた。彼らの持っているノウハウと我々の持っているアイデアをミックスしよう、と」(大山)
アイリスの躍進を支える、新天地で再出発したベテランたち。シャープでエアコンのエキスパートだった雨堤正信が当てたのは、スマホを使って誰でも簡単に遠隔操作できるエアコン。「帰宅する前に部屋が暑いと思えば、先にエアコンを入れられます。年を取ってもやる仕事はあるんだなと思いました」と笑う。三洋電機出身の犬飼正浩も「『こういう商品が欲しかった』と言われるのが、やっていて一番の楽しみです」と言う。
「なるほど家電」が飛ぶように売れているもう一つの理由が、その安さにある。
例えば炊飯器。大手が高級路線を押し進める中、アイリスは水量の自動計測機能が付いていても2万円程度。ゴミセンサー付きのコードレスクリーナーは、他の大手製品に比べて、半額近い価格だ。さらに人感センサー付きのエアコンも、大手メーカーは10万円を超えるものが多い中、アイリスは約5万円。
アイリスには他のメーカーと全く違う価格戦略がある。その舞台が、毎週行われる「商品開発会議」。腕利きの開発者たちが、様々な「なるほどアイデア」を、社長の大山に直接プレゼンする場だ。
ある日の提案の中には、あのふとん乾燥機の改良型も。ノズルを2本に増やし、パワーも増強。家族の布団を1枚ずつ乾燥させる煩わしさを解消した。
ところがこの会議では、アイデアよりももっと重要な判断基準がある。「いくらなら売れるのか」が最大のテーマなのだ。
例えば、従来品よりも風を強くした送風機のプレゼンでは、1万2800円と提示された販売価格に対して、大山から「お客さんの目線で考えたら、値ごろを外している。9800円。その中でコストをどう詰めるか、考え直して」との声が飛んだ。客が値ごろと感じる価格にできるかが、製品化の絶対条件なのだ。
「お客様の立場で言えば、いくら欲しい物でも高すぎたら買わない。『このぐらいなら』という許容範囲に合わせて原価をブラッシュアップする。それが当社の開発手法です」(大山)
多くの家電メーカーの商品は、新たな機能を加えればその分、価格も上げていくのが値付けの常識。しかしアイリスでは、まず魅力的な価格を決めて、その価格を実現するために原材料や機能を徹底的に見直していく。
例えば炊飯器では、大手メーカーが釜にコストをかけて10万円を超える高級品を次々と投入しているが、アイリスは高いものでも3万円程度の設定だ。その価格を実現するために各社の釜を徹底的に比較。釜にコストをいくらかけるべきか検証したところ、「一定以上のコストをかけても、我々の食味のテストではおいしさに差が出なかった」(家電開発部長・原英克)という。
おいしさに差が出にくい釜に必要以上のコストはかけず、その分、客が喜ぶ便利な機能を搭載し、安くて魅力的な商品を作り上げたのだ。
便利一筋で年商4000億円~「危機をチャンスに」の歴史
宮城にあるアイリスの工場にとんでもない長さの行列が。開場と同時に猛ダッシュ。そこでは日用品から家電まで、様々なアイリス製品が驚きの安さで売られていた。これは年に1度開かれる地元への還元イベント「アイリス祭」。「地域に対する気持ちがなければ開催できません」という大山の宮城への思いが込められている。
宮城を地盤に成長を遂げたアイリスだが、産声を上げたのは1958年、大阪。大山ブロー工業所は大山の父・森佑が経営する下請け工場だった。得意としたのは、今も広く行なわれているプラスチック製品のブロー成形。溶かしたプラスチックを金型ではさみ、中に空気を送り込むことで空洞にし、容器を作る技術だ。
しかし、父はガンを患い若くして亡くなる。そして19歳の大山が、代表を任されることになった。
大山はこのピンチに、攻めに打って出る。目指したのは、価格さえも言いなりだった下請け業からの脱却。そしてある自社製品を開発する。
それは海で養殖などに使う「浮き」。当時、真珠養殖の現場で、割れやすいガラス玉の浮きが悩みの種だと聞きつけたのだ。
「ブロー成形で、中を空気で膨らませた。台風がきても壊れることがない。これを問屋さんに卸さず、全国の漁協にサンプルを送って、直接取引させていただきました」(大山)
これが当たると、今度は農業に目をつける。田植えに使う重い木製の苗箱を、軽いプラスチック製で売り出し、またヒットを飛ばす。
「売り上げが倍々に増えていきました。それで26歳の時に宮城県に工場を造ることになったんです」(大山)
ところが、成功した大山に再び危機が訪れる。1973年のオイルショックだ。工場は在庫で溢れかえり、一気に倒産の危機に。大山は大勢の社員の解雇を余儀なくされた。
「このままでは倒産するということでリストラせざるを得ない。自責の念が非常に強かったですね」(大山)
そして大阪の工場を閉じ、身を寄せたのが、宮城県につくった工場だったのだ。
だが大山は、この絶体絶命のピンチにも、攻めに出た。大山は国内140万社の企業データを集め、今、売れている商品は何か、調査を始める。するとある日、ある地方のプラスチックの会社の業績の伸びに目が止まった。
その会社が伸ばしていたのは園芸向けの商品。当時、割れやすい素焼きだった植木鉢をプラスチックで作り、人気を呼んでいた。「自分たちの技術を使えばもっといい製品が作れる」と思った大山は、美しくて丈夫なプラスチックのプランターを開発、その後の園芸ブームを掴んだ。これを機に、アイリスはホームセンター向け商品に参入。さらに特大のヒットを飛ばす。それが透明の収納ボックスだ。
だが、しばらくして大山が売り場を覗くと、店には類似品が溢れかえり、アイリスの商品が全く売れなくなっていた。
そしてピンチのたびに新分野を切り開いてきた大山に、最大のヒットが生まれる。便利な収納・HGチェストだ。誰もが驚くのが軽い引き出し。その秘密は、業界で初めて採用した金属製のレールにあった。さらにインテリアとしての見栄えにもこだわり、天板は木製で作り込んだ。大山は、今までにない素材を使い、洋風の部屋にピッタリの新たな収納を生み出したのだ。
ピンチにあっても、今までにない便利さを果敢に追求し続け、アイリスオーヤマは勝ち残ってきた。
「成功すると、人間誰でもそれに安住するんです。あぐらをかくんです。我々の開発者はヒットが出ても、常に次のヒットを作ることに明け暮れている。世の中に不満はいっぱいあるんです。皆さん気がついていないだけで」(大山)
行列おにぎり&こだわり総菜~「なるほど社長」の大決断
アイリスオーヤマが客を魅了するのは家電だけではない。近鉄大阪難波駅で人だかりを作っているのは、注文を受けてから握るおむすびの「箱夢」難波店。使っている甘みたっぷりのおいしいお米はアイリスオーヤマの宮城県産「つや姫」だ。
アイリスオーヤマは5年前にコメの精米事業をスタートさせた。そのおいしさはセブンイレブンがプライベートブランドの米に採用するほど。アイリスの米に変えてから、「20%以上、販売が伸びております」(セブン-イレブンジャパン商品本部・北村成司さん)と言う。
その秘密は宮城県亘理町に70億円をかけて建設した巨大工場に。ここでは他にはない精米が行なわれているという。「精米工場は低温で管理されていておいしさを保つことができるんです」(製造本部長・佐久間佑一)
一般に、米は精米するとその摩擦熱でうま味成分が減少、味が劣化してしまう。そこでアイリスは工場内の温度を15度以下に管理。うま味を逃さない低温製法を開発したのだ。
アイリスが米事業に参入したきっかけは東日本大震災。大山は、地元の農業を守ろうと被災した農家の米を買い取り、低温で精米するビジネスを立ち上げたのだ。米農家の丹野清人さんは「地元の企業が農家のことを思ってくれるのはうれしいですね」と言う。
そして大山がまた新たな支援に乗り出した。今、社長の大山が力を入れているのが地元の若手経営者を育てる人材育成塾。気仙沼で水産加工品を手がける千葉豪さんも塾の卒業生だ。千葉さんが作っているのは、地元の海産物で作るこだわりの総菜だ。
千葉さんは大山の呼びかけで、卒業生2人と新しい会社を立ちあげた。漁師歴17年の藤田純一さんがウニなどの新鮮な魚貝類をとり、仲買人の吉田健秀さんは旬の珍しい魚を市場で買い付ける。「大山社長に『お前たちが組んだらもっと面白いことができる。組んでみなさい』と言われたんです」(藤田さん)
津波で自宅を流された3人のタッグで、地元の魚をふんだんに使った加工品づくりが可能になり、ネットで全国販売を始めたのだ。
ピンチこそ飛躍する最大のチャンス。自らが証明してきたその言葉を、大山は東北の地に根付かせようとしている。
その大山は、大きな決断をしていた。今後、経営は長男の晃弘に委ねるというのだ。
「今まで社長としてスケジュールがタイトだったのが、少し余裕ができるので、地域貢献にも今まで以上に時間を費やすことができるかなと考えています」(大山)
~村上龍の編集後記~
大山さんは柔和な笑顔の持ち主だ。だがスタジオで質問する際、目が鋭くなった。
もちろん脅すような視線ではない。絶対に一言も聞き逃さない、どのような応答がもっとも適切か瞬時にして考える、目がそう語っていた。
家電に参入して成功し、そのユニークで卓越したアイデアがいつも注目される。
だが、その最大の強みは、徹底した情報共有にあると思う。
独自の経営は、厳密なコミュニケーションに支えられていて、他は真似できない。
「なるほど」と簡単には納得しない姿勢が、「なるほど」と思わせる商品を生みだし続けている。
<出演者略歴>
大山健太郎(おおやま・けんたろう)1945年、大阪府生まれ。1958年、父・森佑が大山ブロー工業所を創業。1964年、父の急逝により代表に就任。1971年、アイリスオーヤマを設立。
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