世界で活躍する日本人兄弟が伝えたいこと
デンマークで生まれ育った日本人兄弟のファッションブランドが今、世界から注目を集めている。それが「THE INOUE BROTHERS…」。兄・井上聡と弟・清史からなるユニットで、ロンドンとコペンハーゲンを拠点として活動している。とくにそのアルパカのニットは世界最高峰の品質を誇り、日本でも大人気となっている。
初めての書籍となる『僕たちはファッションの力で世界を変える』発刊に合わせ来日した兄・聡氏に、その仕事にかける思いをうかがった。
目指すのはもっと「自然な」ビジネス
「デザインを通じて世界を変える」──そんな思いを込めて活動を続ける彼らのメッセージはごくシンプルだ。それは「ビジネスを自然な状態に戻す」こと。
「ビジネスは本来、自分のやりたいこと、作りたいものを作ることから始めるはずですよね。でもそれが、どんどん『お金を出す人』、すなわち投資家たちにコントロールされてしまっているような気がするんです。
最初はもっと飲みやすいコーヒーカップを作りたいと思ってビジネスを始めたのに、いつのまにか、顔も見たことがない海外の投資家の利益を最大化することがビジネスの目的になっている。そういったことが頻繁に起こっています。
今の世の中は『常に上を目指すべき、もっと伸ばすべき』という発想にとらわれていますが、それは一種の病気。自然な状態ではないと感じるのです」
そのことに気づいたきっかけの一つは、知人の誘いで初めてボリビアに出向いたときだった。
「そこで出合ったアルパカウールの品質は素晴らしいものだったのですが、先住民たちの生活は非常に貧しいものでした。これを何とかしたい、と考えたことが今のビジネスの原点です。生産者との共同開発により高品質な製品を生み出すとともに、中間マージンを省く〝ダイレクトトレード〟という方法によって、生産者がより潤うような仕組みを取っています。
ただ一方で、そんな貧しいアルパカ農家の人々はとても明るく、ずっと人間らしい生活を送っている。我々のほうがむしろ、人間らしさを失ってしまっているような気がしています。
エコノミーもエコロジーも同じギリシャ語の『エコ』からきたはずなのに、エコノミーのほうはすっかり不自然になってしまっており、各地でひずみを生み出している。それはやはり『常に上を目指すべき』という発想が原因だと思うのです」
「成功の先」の景色は想像とは違っていた
ただ、最初からそうした発想を持っていたわけではない。
「むしろ最初はエゴ丸出しで、いずれトップに、世界一に上り詰めてやろうと思っていました。僕はデザインの世界で、弟の清史はヘアデザイナーの世界で。
幸いにして比較的早く世の中に認めてもらうことができ、有名ブランドとの仕事が次々実現していきました。ただ、あるとき、ふと気づいたのです。名声が高まれば高まるほど、交渉や契約書のやり取りにかかる時間ばかりが増え、やりたい仕事に取り組む時間がどんどん失われていっている、と。
一方、弟の清史は世界屈指のヘアサロンであるイギリスのヴィダルサスーンにて、最年少アートディレクターにまで上りつめていました。ただ、ヴィダルサスーンが、あるプロダクト企業に買収されることになった。今までのようにクリエイティブな活動に専念できるのか、雲行きが怪しくなってきたのです。
お互い、同じタイミングで、これまで上を目指してきたことに対して疑問を持つようになった。必死に努力して、求めていた地位を手に入れたけど、全然幸せになれない。このままさらに上を目指していったところで、いつまでたっても幸せにはなれないんじゃないか。 ならば、本当にやりたい仕事を一緒にやろうじゃないか。これが独立のきっかけです」
「瞬間、瞬間の勝負」を楽しむ
何をすべきかを話し合う中で、「社会起業家」のムーブメントに出合い、自分たちがやりたいのはまさにこれだと確信。「ザ・イノウエ・ブラザーズ」というシンプルな名前にしたのには、ある覚悟があるという。
「コメディアンのような名前ですよね(笑)。もちろん、もっとカッコいい名前にしてもよかった。でも、自分たちの名前を出してしまったら、もう逃げ場がない。だからこそ成功すれば心から喜べるし、失敗したら反省もする。そんな覚悟を持ってやっていこうと、半ば自分に言い聞かせるように選んだのです。
ロゴに関してもあるチャレンジをしました。自分で作らずに、自分たちが好きな人に作ってもらうことにしたのです。
僕ら二人はマーサ・クーパーというアメリカ人写真家の大ファンで、この人はヒップホップやグラフィティといった七〇年代のストリートカルチャーを最初に見出したことでも知られています。
彼女がたまたま、本の出版イベントでデンマークに来ると知った。そこで清史がそのサイン会の列に並んで、『僕たちのロゴを書いてください』とその場で頼んだのです。彼女もとても喜んでくれて、その場で書いてくれたのが今のロゴです」
入念な準備をするというよりも、むしろ「走りながら考える」ことが多かった。アルパカのニットと出合えたのも、そんな瞬間の出会いを大事にしたからだった。
「走りながら考える、瞬間的に挑戦する、ということは、僕たちが憧れるストリートカルチャーの影響かもしれません。たとえばヒップホップには『ラップバトル』というものがあり、お互い即興で相手のことをののしり合っていく。相手の言葉に瞬時に反応しなくてはなりませんから、準備なんてできません。まさに瞬間、瞬間の勝負。こうした瞬間の勝負というのは、うまくいかないととても苦しいけれど、うまくいくと最高に楽しい。仕事も本当はそうだと思うのです。
瞬間、瞬間の勝負を楽しむ。そんな時間が一番充実している。仕事をしている時間は家族と過ごす時間よりずっと長い。ならば、後悔しないような使い方をしたいのです」
日本に対しての強い思い
日本での知名度が高まるにつれ、来日の機会も増えている。被災地のメーカーと協業した「Made in Tohoku Collection」(メイド・イン・東北コレクション)も展開するなど、日本に対しては特別な思いがある。
「今回、本を出すことができてよかったなと思うのは、自分の母親を始めとするお世話になった人たちに、日本語で記録を残すことができた、ということです。ただ一方で、僕たちにとって日本語は、ルーツであると同時に、一番のハンデでもあります。僕も清史もデンマーク語と英語、日本語を使いますが、僕はやっぱり、仕事のことを考えるときはデンマーク語が多い。清史は英語で考えることが多いと言っていましたね。
デンマーク語というのは、すごくハードな言語です。言いたいことをシンプルに表現するのに適しています。一方で、日本語は僕にとってすごくきれいで、繊細な言語。感情をたくさん表現できる。
ただ、日本で生まれ育った人ほどは、日本語を自由に操れないのも事実で、本では執筆を担当してくれた石井さんが非常にうまく表現してくれました。
正直、最初に本を出すという話をいただいたときは、まだ早いと思いました。ただ、やり遂げたことではなく、『今、何をやっているか』を書いてもらう本なら面白いと思ったのです。我々の活動を知っていただくことで、少しでも勇気を出してくれる人がいれば、嬉しいですね」
THE INOUE BROTHERS…(ザ・イノウエ・ブラザーズ)
デザイナー
デンマークで生まれ育った日系二世兄弟、井上聡(1978年生まれ)と清史(1980年生まれ)によるファッションブランド。2004年のブランド設立以来、生産過程で地球環境に大きな負荷をかけない、生産者に不当な労働を強いない"エシカル(倫理的な)ファッション"を信条とし、春夏は東日本大震災で被災した縫製工場で生産したTシャツ、秋冬は南米アンデス地方の貧しい先住民たちと一緒につくったニットウェアを中心に展開する。ふたつの文化??日本の繊細さと北欧のシンプルさへの愛情を基本とするデザインを特徴とし、自らのプロジェクトを通して、さまざまな国や地域の伝統文化や手工芸の技術を継承するコミュニティと絆を深め、世の中に責任ある生産方法に対する関心を生み出すことを目標にしている。聡はコペンハーゲンを拠点にグラフィックデザイナーとして、清史はロンドンでヘアデザイナーとしても活躍。そこで得た収入のほとんどを「ザ・イノウエ・ブラザーズ」の活動に費やす。
(『The 21 online』2018年3月号より)
【関連記事 The 21 onlineより】
・エシカルであることは当然のこと。そのうえで、選ばれるブランドに
・シリコンバレーから見た日米AI格差とは?
・「変なホテル」が予言する未来の働き方とは?
・日本のビジネスマンは真面目すぎる!
・アマゾンが描く「2022年の世界」とは?