日本企業に必要なのは「インド・シフト」だ

トップ企業,バンガロール,武鑓行雄
(画像=The 21 online アマゾンなどが入居しているバンガロールのワールド・トレード・センター)

日本人は皆「バンガロール」を知るべきだ……こう主張するのは、バンガロールに7年にわたり滞在し、現地のビジネスをつぶさに観察してきた元ソニー・インディア・ソフトウェア・センター社長の武鑓行雄氏だ。そうした経験から氏は、日本は今こそ「インド・シフト」が不可欠だと指摘する。同名の新著『インド・シフト』を発刊した氏に語っていただいた。

インドの技術力はすでにシリコンバレー並み

「今、日本に必要なのは『インド・シフト』である」

というと、

「人口13億人の巨大マーケットであるインド市場に、日本企業はもっと進出せよ、ということだな」

と早合点する人が多いかもしれない。確かに、インドは新興国の中でも経済がとくに好調で、今後も人口増加と経済成長が見込まれる要注目のマーケットだ。

しかし、私が述べたいのはそういうことではない。

「インドにグローバル戦略拠点や研究開発拠点を置き、社内のトップ人材や資金といったリソースを徹底的に投入する。そして、インドの高度IT人材とともに、インドから世界的イノベーションを生み出していくこと」

これが私の言う「インド・シフト」である。

「なぜインドで?」と意外に思ったかもしれないが、ここ数年、世界のトップ企業は軒並みこのシフトを進めている。しかもその勢いは増すばかりだ。

こうした背景には、インドIT業界の急成長と激変がある。

ご存じの方も多いと思うが、インドIT業界はもともとアメリカ企業のシステム開発の下流工程を低価格で手がける「オフショア拠点」として発達した。しかし近年は急速に力をつけ、下流工程だけでなく上流工程まで手がけるようになり、今や世界を相手に1540億ドル(約17兆円)のビジネスを展開するまでに成長した。大手インドITサービス企業は巨大化し、グローバル企業のインド開発拠点は増え続け、インド発のスタートアップ企業も急増している。

さらに、ビッグデータ、AI、IoT、ブロックチェーンといった破壊的とも言われる新技術の登場がその成長を加速させている。シリコンバレー企業とともに動き、しかも若年の高度IT人材の数がケタ違いに多いインドIT業界は、こうした新技術へのキャッチアップが圧倒的に早いからだ。そのIT技術力はシリコンバレーにも迫ろうとしている。

そして、こうした激変の中心地が、南インドの都市、「インドのシリコンバレー」と呼ばれる「バンガロール」なのだ。

未整備のインフラを逆手に躍進

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(画像=The 21 online ソニー・インディア・ソフトウェア・センターが入居するバンガロールのエンバシー・テックビレッジ)

私は2008年10月から、バンガロールにあるソニー株式会社のソフトウェア開発拠点(ソニー・インディア・ソフトウェア・センター)に責任者として着任し、2015年末までの約7年間滞在した。着任当時、リーマンショックの直後であり、世界的に不透明感が漂っていた。ましてインドがどうなるのか、私が関係するインドIT業界にどんな影響があるのかはまったく想像もできなかった。しかし、インドIT業界はリーマンショックを乗り越え、成長を継続し、ここ数年は先述したようにさらなる劇的な変化を遂げている。

バンガロールの生活も一変した。当初、IT業界の人たちはノキアの携帯電話かブラックべリーを持っていた。それがあっという間に一般の人々の間にまで低価格アンドロイド搭載スマートフォンが普及し、スマートフォン一台で簡単に物が買えたり車を呼べたりするようになった。さらに最近ではキャッシュレス化が始まり、近所のローカルなお店でもスマートフォンで支払いができるようになった。

キャッシュレス革命の進むスピードは日本の比ではない。それは、日本のようにATMが整備されていないからこそ、である。このように、13億人の巨大マーケットでは、社会インフラの未整備を逆手にとった様々なイノベーションが続々と生まれている。

社会インフラの整ったシリコンバレーや先進国からこうしたイノベーションを生み出すことは難しい。一方、インドで生まれたイノベーションは、その他の新興国にも広がる可能性を十分に秘めている。

バンガロールにいると、数年先のトレンドが見える

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(画像=Marco Saroldi /Shutterstock.com インドに住む13億人に12ケタのID番号を割り当てるインド版マイナンバー「アーダール(Aadhaar)」は、登録開始からわずか5年半で加入者が10億人を突破(2018年1月末時点では約12億人にまで増加)。10本の手の指紋と目の虹彩の情報を登録することで、カードや暗証番号なしに個人認証ができる。)

日本では、こうした激変するインド、ましてインドIT業界のことはほとんど知られていない。日本企業はインド市場でのビジネスには興味があっても、インドIT業界に関しては、低価格なオフショア先という程度の認識しかない。ITと言えば、アメリカのシリコンバレーには注目しているが、インドにはまったく興味を持っていない。

一方、シリコンバレーのIT企業をはじめとする世界のトップ企業はもちろん、中国、韓国企業もバンガロールに開発拠点を設置し、規模を拡大してグローバル戦略の拠点としての活用を加速している。社内のキー人材を送り込み、他社よりも早くインドから世界的イノベーションを生み出そうと必死で戦っている。つまり、冒頭で述べた「インド・シフト」を真剣に進めているのだ。

バンガロールにいて、IT業界の人たちと日々の交流をしていれば、自ずと世界最先端のITトレンドが見えてくる。

たとえば、私がバンガロールに着任した当時は、アンドロイド搭載のスマートフォンが登場し始めたばかりだった。しかし、バンガロールにいると、すぐにアンドロイドが主流になることがわかった。あちこちでアンドロイド関連の開発が行われていたからだ。

また日本では2017年あたりから、仮想通貨の基礎技術であるブロックチェーンが注目されるようになったが、バンガロールでは数年前からすでにいくつものプロジェクトが立ち上がっていた。最先端のITトレンドはシリコンバレーとバンガロールの双方でほぼ同時に共有され、そこから日本を含む先進国に伝わる、という時代になっているのだ。

ITの技術革新が急速に進む中、あらゆる業界はITとは無縁ではいられなくなっている。いや、ITを中心とした会社に変えていかなければ生き残れない時代になりつつあると言ったほうがいい。日本企業及び日本は、この問題に戦略的に動けているのであろうか?

私にはそうではないように思えて仕方がない。少なくとも世界とインドIT業界の連携の動きにはまったく気がついていない。

インドには、日本では感じられないエネルギーやエキサイトメントがみなぎり、想像以上のスピードで変化している。世界では急速な技術革新と、先進国から新興国へのビジネス・シフトが、まさに同時に起きようとしている。その中で「新興国にもかかわらず、IT先進国」という稀有な国であるインドでは、過去に例を見ないイノベーションが起き始めている。いや、起こそうとしている。

インドIT業界への興味や理解を深めること。それが日本企業のIT戦略、イノベーション戦略を決定するうえでますます重要になってくるだろう。

武鑓行雄(たけやり・ゆきお)元ソニー・インディア・ソフトウェア・センター社長
元ソニー・インディア・ソフトウェア・センター社長。ソニー株式会社入社後、NEWS ワークステーション、VAIO、ネットワークサービス、コンシューマーエレクトロニクス機器などのソフトウェア開発、設計、マネジメントに従事。途中、マサチューセッツ工科大学に「ソフトウェア・アーキテクチャ」をテーマに1年間の企業留学。2008 年10 月、インド・バンガロールのソニー・インディア・ソフトウェア・センターに責任者として着任。約7年にわたる駐在後、2015 年末に帰国し、ソニーを退社。帰国後も、インドI T業界団体であるNASSCOM(National Association of Software and Services Companies)の日本委員会(Japan Council)の委員長(Chair)として、インドIT業界と日本企業の連携を推進する活動を継続している。
慶應義塾大学工学部電気工学科卒業、および大学院工学研究科修士課程修了。2011 年6 月から2013 年5 月までバンガロール日本人会会長を務める。2014 年1 月、電子書籍『激変するインドIT業界 バンガロールにいれば世界の動きがよく見える』(カドカワ・ミニッツブック)を出版。(『The 21 online』2017年12月号より)

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