脳はどのように感情を決めているのか?
「心理学」とは、字のごとく心の問題と思いがちだが、心すなわち感情を司るのは脳である。脳は感情をどのように決めているのだろうか。また、心理学で一般的に言われている理論やテクニックは、脳科学の見地から見るとどうなのだろうか。『一生使える脳』などの脳に関する著書も好評な認知症専門医の長谷川嘉哉氏にうかがった。(取材・構成=塚田有香)
感情を司るのは脳の「扁桃核」
人間の感情はどこからか漠然と湧いてくるようなイメージがありますが、実際は脳の働きによって生まれます。具体的には、脳の「扁桃核」という部分が、人間の感情を司っています。
皆さんは、目の前の対象が「好き」か「嫌い」かを、自分がその場の感情で判断していると思うかもしれません。でも実は、脳が過去の記憶に基づいて「快・不快」を決定しています。
脳の海馬は、これまでに得た膨大な情報を長期記憶として蓄積するかどうか判断する役割を果たします。この時、判断に影響を与えるのが扁桃核です。その情報が扁桃核を刺激するものであれば、海馬は重要なデータと判断し、長期記憶の倉庫に送ります。そして新たに情報が入ってくると、脳の前頭前野にあるワーキングメモリと呼ばれる機能が働き、大脳皮質に保存された記憶と照らし合わせて「快か、不快か」を決定します。
よって初対面の相手でも、脳が過去のデータを引き出して、「昔よく怒鳴られた上司に似ている」と判断すれば、「この人は嫌いだ」という感情が生まれます。反対に、「以前優しくしてくれた人に似ている」と判断すれば、「この人が好きだ」という感情が生まれます。「上司や仕事相手と相性が悪い」という悩みを抱える人は多いと思いますが、そこには脳の働きが介在しているのです。
「好き嫌い」の感情は命を守るためのもの!?
「快・不快」を判断する脳の機能は、本来人間が生きるために必須のものでした。私たちの先祖が狩猟生活をしていた時代、森の中で得体の知れない生き物に出会ったら、脳が瞬時に「こいつは気持ち悪いから逃げろ!」と「不快」の信号を出して危険を知らせたわけです。
ですから「感情」は、自分の命を守るために脳が働いた結果ということ。現代は昔に比べて命を脅かされる場面は減ったとはいえ、自分が生きていくためには「この上司は敵か、味方か」をどうしても判断せざるを得ないのです。それ自体は脳の仕組みから言えば自然なことであり、「他人を好き嫌いで判断するなんて心が狭い」などと自分を責める必要はありません。
ただし狩猟時代とは違い、現代の組織で働く人間は、上司や仕事相手を不快と判断しても逃げるわけにはいきません。ですから、「本来は敵だが、どうすれば味方としてやっていけるか」を考える必要が生じます。
とはいえ、これも脳の仕組みから言えば、「不快」を「快」に変えることは可能です。しかも第一印象で「ものすごく嫌い」と感じた相手ほど、「ものすごく好き」に変わる可能性があります。心理学には「振り子の法則」と呼ばれる理論があり、「不快」のレベルが高い相手ほど、何かのきっかけで高いレベルの「快」へと振れることが知られていますが、これは脳科学の理論から見ても整合性があります。
私たちは日常生活の中で多くの人に接しますが、ほとんどの相手には何の感情も抱きません。つまりその人たちは、あなたの扁桃核を刺激していないということ。刺激がなければ相手を嫌いにならない反面、急に好きになることもありません。
一方、「嫌い」という感情を強く抱いた相手は、あなたの扁桃核をおおいに刺激しています。ですから刺激の種類が変化し、それが快につながるものであれば、その人を急に好きになることは十分あり得ます。いつも厳しいことばかり言う上司が、たまに優しいひと言をかけると、それだけで「本当はすごくいい人なんだ!」と思ってしまった。そんな経験はないでしょうか。これはまさに「振り子の法則」の典型的なケースです。
「不快」を「快」に変える「荒療治」とは?
かといって、相手が優しくしてくれるのを待つしか方法がないわけではありません。自分の力で「不快→快」へと振り子を動かすことは可能です。
私は以前、「自分の人生の中で、どうしても許せない人に会いに行く」という荒療治を実践したことがあります。相手はかつての上司で、どうしてもそりが合わず、その人のもとで働いている頃は毎日が苦痛でした。
しかしこの記憶を引きずったままでは、私の扁桃核が刺激されるたびに、不快な感情にとらわれ続けることになります。そこで思い切ってその上司に会いに行き、「昔の自分があなたに取った態度を謝りたい」と伝えたのです。そして相手から「君も頑張りなさい」という言葉をもらった瞬間、「自分が生きていくうえで敵はいなくなった」と晴れ晴れした気持ちになりました。
このように、「不快」に立ち向かうことは、強烈な「快」を生み出す最も効果的な方法であり、自分の負の感情をうまくコントロールする手段でもあることを知っておくとよいでしょう。
見た目の自己演出は脳科学的にも効果あり
脳の働きを理解すれば、他人が自分に抱く感情をコントロールすることも可能になります。
脳が「快・不快」を判断する材料は視覚・聴覚・嗅覚などの「五感」です。よって、見た目や話し方を変えれば、自分の印象も変えられます。心理学でも、表情や服装、声のトーンなどで自分を演出する方法が研究されていますが、その手法は脳科学の見地からも正しいと言えます。
とくに視覚的な情報はインパクトが大きいので、相手に安心感を与えたいなら、なるべく扁桃核を刺激しないビジュアルを心がけるべきです。
たとえば、ピンクのネクタイや太いストライプのスーツなどは、人によって好き嫌いが分かれます。これは要するに扁桃核を刺激しやすいアイテムだということ。一方、ブルーのネクタイや落ち着いた無地のスーツを嫌う人はあまりいませんから、こちらは扁桃核を刺激しにくいアイテムということです。よって、お堅い業界の人や相手に警戒感を与えたくない場面では後者を選んだほうが無難。反対に、プレゼンなどで他の人と差をつけて目立ちたいなら、前者を身につければ効果的でしょう。
年齢を重ねると身の回りのことに無頓着になり、「ネクタイやスーツの色なんて何でもいい」と考える人が出てきます。しかしそれは、思考力や創造性を担う脳の「前頭前野」の機能が低下した証拠です。
また、前頭前野の機能が低下すると、人は怒りっぽくなります。論理的思考力が落ちて理性的な判断ができず、感情がコントロールできなくなるのです。
脳の機能を活性化させるには、扁桃核を刺激し、前頭前野にあるワーキングメモリがフル稼働する環境を意識的に作る必要があります。私がお勧めしているのは、年齢の離れた友人を作ること。会社の同僚や学生時代の友人との交流では得られない新しい価値観をもたらし、好奇心を刺激してくれる相手が多いほど、脳の機能は鍛えられます。
「最近感情的になりやすい」という自覚がある人は、ぜひ脳の働きを理解し、脳に良い習慣や行動を心がけてください。
【コラム】感情を司る「扁桃核」の働き
人間の感情をコントロールしているのが、脳の扁桃核だ。脳に入ってきた情報はすべて記憶されるわけではなく、海馬が選別を行なっているが、この時に扁桃核の刺激を伴う情報が「重要なもの」と判断される。例えば、大変さや困難、それを乗り越えて達成した体験などは扁桃核を刺激する情報となり、大脳皮質に長期記憶として保存される。そして再び扁桃核が刺激される場面に出会うと、大脳皮質に保存されている記憶と照らし合わせて、「快・不快」を決める仕組みだ。
つまり、人間の感情はその場の情報から生まれるのではなく、過去の記憶の蓄積で決定されるということ。多くの男性が無意識のうちに自分の母親に似た女性を結婚相手に選ぶのは、幼少期に母親が絶対的な安心を与えてくれた記憶が脳に保存され、そのデータに近い女性に出会うと「快」と判断するからだとされる。このように、人間の感情と過去の体験は切っても切れない関係にある。
長谷川嘉哉(はせがわ・よしや)医療法人ブレイングループ理事長/医学博士
1966年、愛知県生まれ。名古屋市立大学医学部卒業。日本神経学会専門医、日本内科学会専門医、日本老年病学会専門医。毎月1,000人の認知症患者を診察する日本有数の神経内科、認知症の専門医。2000年、岐阜県土岐市に認知症専門外来クリニックを開業。著書に、ベストセラー『親ゆびを刺激すると脳がたちまち若返りだす!』(サンマーク出版)、最新刊『一生使える脳』(PHP新書)などがある。(『The 21 online』2018年4月号より)
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