完全雇用失業率低下の可能性。労働需給ひっ迫の弱いホワイトカラー

要旨

● 人手不足の背景には、2013年以降380万人以上の生産年齢人口が減少しているにもかかわらず、同時期に就業者数が260万人近く増えていることがある。近年の就業者数が日経平均株価やドル円レートに遅れて変動していることからすれば、国内の雇用機会の増加は、大胆な金融緩和に伴う極端な円高・株安の是正に伴い生じていると推察される。

● しかし、労働需給がひっ迫している割には、一人当たり賃金の上昇率は伸び悩んでいる。この原因として、完全雇用失業率の水準自体がここ7年で1%近く下がっており、賃金上昇率が加速するまで労働需給がひっ迫していない可能性が指摘できる。

● 賃金上昇の足を引っ張っているのは45~54歳の大企業男性正社員である。この世代はバブル期の大量採用で昇進率が低いことに加え、人手不足感が相対的に低いため、賃金が上がりにくくなっている可能性が高い。

● 日本で平均賃金の上昇を阻んでいるのは、人手不足感が低い企業や職種から人手不足感の高い企業や職種に人材が異動するような労働市場の流動化が乏しいことも一因。特に、最も賃金上昇の足を引っ張っている45~54歳の大企業男性正社員の流動化を阻んでいる背景には、同じ会社で長く働くほど賃金や退職金等の面で恩恵を受けやすくなる日本的雇用慣行がある。

● 30代後半から40代前半の就職氷河期世代では非正規で雇われた労働者も多く、職場内訓練(OJT)の機会が乏しく、若手で身に着けておくべきスキルを身に着けられたかったことで生産性低下を招き、結果として賃金を上がりにくくしている可能性がある。労使協調のもと、苦境でも賃下げしないことが逆に賃上げを抑制してしまう日本企業独特の慣行もある。

● 「人手不足でも賃金が上がらない」という状況を打破するには、まず低下している完全雇用失業率水準に更に近づけるべく、政策面からの対応が必要となろう。特に、職業訓練や支援金等を通じた転職支援の充実は、労働市場の流動化を高める経済対策としても有効である。また、労働市場の流動化を妨げている賃金や退職金制度における年功序列体系の改革を進めるためにも、正社員の解雇規制緩和も必要であろう。更に、賃金を柔軟に変動させる仕組みの導入や、経営戦略上必要な人材育成に企業が取り組みやすくなる環境を整備することも求められよう。

(注)本稿は週刊エコノミスト7月25日号の寄稿を基に作成。

はじめに

 運輸・小売・外食サービス業で、深刻な人手不足が発生している。また、失業率や有効求人倍率は、バブル期並みの労働需給のひっ迫を示している。しかし、賃金は期待したほど上がっていない。そこで本稿では、この摩訶不思議をわかりやすく解明する。

完全雇用、人手不足の現実

 2017年2月以降、日本の完全失業率は3%を下回っており、1993年末に記録した2.8%まで低下してきている。また、2017年4月の有効求人倍率は1.48倍まで上昇しており、1990年7月に記録した1990年7月のピークを更新している。

 企業の人手不足感も深刻である。2017年3月調査の日銀短観によれば、全規模全産業の雇用人員判断DIは1992年3月調査以来25年ぶりの人手不足感を強めており、先行きも更に人手不足感が強まると見られている。

 この背景には、2012年12月から2017年4月まで380万人以上の生産年齢人口が減少しているにもかかわらず、同時期に就業者数が260万人近く、雇用者数に限れば290万人以上も増えていることがある。そして、近年の就業者数が日経平均株価やドル円レートに遅れて変動していることからすれば、国内の雇用機会の増加は、大胆な金融緩和に伴う極端な円高・株安の是正に伴い生じていると推察される。

人手不足でも賃金が上がらない背景
(画像=第一生命経済研究所)

 極端な円高・株安が是正されると仕事が増える背景には、まず円安に伴い国内で生み出されたモノが相対的に割安になることがある。このため、輸出関連産業では製品の競争力が増して販売量が増えることで人手が必要になる。また、輸入代替産業においても競合する輸入品の価格が上がることや、株高で購買力が上がるため、国産品の需要が高まり雇用が必要となる。更には、国内のサービスも価格面から競争力を増すことや株高で購買力が上がる。このため、外国人観光客の増加等も含めてサービス産業への需要も高まっているため、雇用が生み出されていることが指摘できる。

しかし、賃金は上がらない

 しかし、労働需給がひっ迫している割には、一人当たり賃金の上昇率は伸び悩んでいる。実際、厚生労働省の毎月勤労統計を用いて、所定内給与の前年比を要因分解すると、2015年から一般労働者の賃金上昇とパート比率上昇ペースの鈍化を主因に上昇に転じているが、その上昇率は平均すると前年比+0.3%程度にとどまっている。

 毎月勤労統計の賃金が伸び悩んでいる一因として、2015年のサンプル替えに伴うギャップ修正により、過去に遡って変化率が改定されていることが指摘できる。実際、年次データであるがサンプルが多く、賃金統計で最も信頼性が高いとされる厚生労働省の賃金構造基本統計調査によれば、2014年、2015年とも一般労働者の所定内給与は前年比で+1%を大きく超える伸びを示している。しかし、同統計でも2016年は横ばいに止まっており、賃金が上がりにくい構図に変わりはない。

人手不足でも賃金が上がらない背景
(画像=第一生命経済研究所)

 そもそもマクロ経済学上には「完全雇用」という概念があり、経済全体で非自発的な失業者が存在しない状態を示すとされている。そして、その状態における失業率を下回ると賃金上昇率が加速するということで「完全雇用失業率」と呼ばれている。従って、我が国でも非自発的失業者が存在しない失業率の水準が完全雇用失業率の目安となる。そこで、総務省「労働力調査」を用いて非自発的離職が存在しない場合の失業率を求めると、2010年頃までは3%程度で安定していたが、2017 年以降は2.1%まで下がっている。従って、完全雇用失業率の水準自体がここ7年で1%近く下がっており、賃金上昇率が加速するまで労働需給がひっ迫していない可能性が指摘できる。

人手不足でも賃金が上がらない背景
(画像=第一生命経済研究所)

賃金詳細分析(詳細は2017年6月21日付レポート「実は増えてなかった2016年の賃金」参照)

 次に、先に見た厚生労働省「賃金構造基本統計調査」を用いて昨年の賃金が上がらなかった背景を多面的に分析してみよう。

 まず、性・年齢階級別にみると、45~54歳男性と60代女性の賃金が下落していることがわかる。労働者数のボリュームを勘案すれば、40代後半~50代前半の男性が最大の賃金押し下げ要因となっていることが推察される。背景には、バブル期前後の売り手市場で大量採用された世代であるがゆえに、昇進率の低下等により平均賃金が下がっている可能性が高い。

人手不足でも賃金が上がらない背景
(画像=第一生命経済研究所)

 また、学歴別にみると、中高学歴(大学・大学院卒や高専・短大卒)の中高年男性の賃金が押下げに効いていることがわかる。こうしたことから、学歴による賃金格差が縮小する傾向にあることが読み取れるが、相対的に人手不足感が低いホワイトカラーの賃金が上がりにくくなっていることを示唆している。

 一方、企業規模別にみると、大企業の男性賃金のみが全体を押し下げていることがわかる。これは、企業規模による賃金格差が縮小傾向にあることを意味し、相対的に人手不足感が強い中小企業の賃金が上がりやすくなっている可能性が高い。

 更に雇用形態別にみると、45~54歳男性、60代前半男性、60代女性それぞれの正社員の賃金が全体を押し下げていることがわかる。これも、正社員と非正社員の賃金格差が縮小傾向にあることを意味する。

 以上より、賃金上昇の足を引っ張っているのは45~54歳の大企業男性正社員であると考えられる。この世代はバブル期の大量採用で出世率が低いことに加え、人手不足感が相対的に低いため、賃金が上がりにくくなっている可能性が高い。

対策~人手不足でも賃金が上がらない状況を打破するには~

 こうして見ると、日本で平均賃金の上昇を阻んでいるのは、人手不足感が低い企業や職種から人手不足感の高い企業や職種に人材が異動するような労働市場の流動化が乏しいことも一因と推察される。

 実際、厚労省「労働経済動向調査」の職種別過不足DIを見ると、管理や事務以外の職種で不足感が強いことがわかる。

人手不足でも賃金が上がらない背景
(画像=第一生命経済研究所)

 特に、最も賃金上昇の足を引っ張っている45~54歳の大企業男性正社員の労働市場の流動化を阻んでいる背景には、同じ会社で長く働くほど賃金や退職金等の面で恩恵を受けやすくなる日本的雇用慣行があると考えられる。

 また、それに次いで賃金上昇の足を引っ張っている30代後半から40代前半の就職氷河期世代では非正規で雇われた労働者も多い。そして、こうした非正規化が職場内訓練(OJT)の機会を減らし、若手で経験し、身につけるべきスキルを身に着けられなかったことで生産性低下を招き、結果として賃金を上がりにくくしている可能性もあろう。また、労使協調のもと、苦境でも賃下げしないことが、逆に賃上げを抑制してしまう日本企業独特の慣行もある。

 従って、「人手不足でも賃金が上がらない」という状況を打破するには、まず低下している完全雇用失業率水準に更に近づけるべく、政策面からの対応が必要となろう。特に、職業訓練や支援金等を通じた転職支援の充実は、労働市場の流動化を高める経済対策としても有効である。

 また、労働市場の流動化を妨げている賃金や退職金制度における年功序列体系の改革を進めるためにも、正社員の解雇規制緩和も必要となってこよう。

 更に、賃金を柔軟に変動させる仕組みの導入や、経営戦略上必要な人材育成に企業が取り組みやすくなる環境を整備することも求められよう。(提供:第一生命経済研究所

第一生命経済研究所 経済調査部
首席エコノミスト 永濱 利廣