世界を巻き込んで、トランプ政権の「貿易赤字は悪だ」という間違った認識が混乱を呼んでいる。輸入が増えると、本当に企業の利益は減るのか。本当は逆なのではないか?、と筆者は考える。間違った議論を、わかりやすく反証しないと、まだ混乱が続くだろう。本稿では、間違った議論に惑わされない解説を読者に伝えたい。

輸入増は企業の赤字拡大ではない

 アンデルセン物語に「裸の王様」がある。大人は見えないはずの服が見えて、子供は当然見えない。だから、子供が「王様は裸だ」と言ってしまう。トランプ政権は、米韓FTA の見直しを要請し、米中包括経済対話も初会合から物別れ気味。まだ、NAFTA の再交渉、そして日米経済対話が控える。「貿易赤字は悪者だ」という曲解が全くの理解不足である、と誰かが教えた方がよい。自由貿易協定の破壊防止に各国がエネルギーを費やすのは文字通りの資源の浪費である。

 もしかすると、なぜ貿易赤字は悪者ではないかを各国首脳が「裸の王様」に教えることが、それほど簡単ではないから、それができないのではないかと頭を抱えてしまう。では、読者の方々であれば貿易赤字は悪者ではないということをどう伝えるだろうか。一度、各自で考えてみてほしい。

 まず、貿易赤字を「悪」とみる発想をなぞってみよう。輸出が減って、輸入が増えると、貿易収支は赤字方向に向かう。多くの人は、赤字という言葉が悪いと思うだろう。おそらく、この赤字に込められているのは、利益が赤字になるという連想だ。これを企業の利益に置き換えて考えると、売上-仕入=利益となる。輸出が売上で、輸入が仕入になる。

「貿易赤字は悪者」の間違い
(画像=第一生命経済研究所)

 ここでの仕入は、売上原価と同じであり、利益は売上総利益(粗利)となる。粗利とは、人件費など販管費と営業利益を加えた名目GDP に対応する概念だ。企業の仕入だけが増えると、一国の集計値のGDP が減ってしまうことを示している。

 さて、輸入が増えると仕入が増えると考えてもよいのか。ここがポイントだ。輸入とは、原材料や部品を日本だけでなく、広く海外からも調達することだ。なぜ、日本ではなく海外から調達するのかといえば、安くて良いものが入手できるからだ。つまり、輸入品はコストの安いものを仕入れていることになる。売上-仕入=利益という式に当てはめると、輸入品を仕入れると、仕入コストは安くなって利益は増える。輸入↑⇒仕入↓⇒利益↑という関係である。貿易収支は輸入増になっても、企業にとって利益増となる関係が成り立つ。貿易赤字が増えても、名目GDP が増えるということだ。

 違う角度から説明しよう。輸入品をあえて国産化する政策を、輸入代替政策という。昔から輸入代替政策は失敗してきた歴史がある。仮に、貿易赤字を減らすために、コストの高い国産品を無理に使ったとしよう。企業にとっては国策に従っているが、売上-仕入↑=利益↓となる。製品のコストも上がって、それが輸出品であった場合には輸出減につながり、輸出↓-輸入↓=貿易収支の悪化となる可能性だってある。輸入を政策的に制限すると、コスト高になって企業収益は減り、GDP も減少する。輸入関税を新たに課税すると、企業収益は悪化するのだ。

 繰り返すと、結局、輸出-輸入=赤字となっていても、そこでの赤字は、企業の赤字とは同一視できない。なぜならば、輸入拡大によって企業はむしろ仕入コストを下げることもできるからだ。自由貿易とは、国産よりも安くて良い輸入品を買って、GDP を増やそうという発想に基づく。

エコノミストでも見落とす常識の罠

 実は、専門家ほど流布された常識に考え方を縛られてしまう。そのため、見えないものが見えてしまったりする。例えば、GDP の成長率の変化を考えてみよう。GDP は、内需と外需で構成される。成長の変化は、内需の要因(内需寄与度)と外需の要因(外需寄与度)で表される。つまり、成長率=内需寄与度+外需寄与度として捉えることが多い。輸入が増えると、外需寄与度がマイナス方向になって、成長率も低下する。見かけ上、輸入増は成長率を押し下げる。

「貿易赤字は悪者」の間違い
(画像=第一生命経済研究所)

 この図式に罠があるとすれば、なぜ輸入を“外需”と呼ぶのかという点に矛盾があることだ。先入観をなくして考えると、輸入は海外需要とは関係ない。どうして輸入が増えるかといえば、内需が拡大するからだ。輸入は、国内購買力が増減して動かされる変数なのだ。そう考えると、輸入が増えるとき、同時に内需も増えている。

「貿易赤字は悪者」の間違い
(画像=第一生命経済研究所)

 ここからは、輸入増のときはGDP も増えていることが多いと理解すべきだ。輸入を外需というカテゴリーに含めて考えることは、常識の罠である。ここをよく吟味しないと、輸入増が成長率を押し下げるという理屈を、ためらいもなく使ってしまう。

 日本の場合、オイルショックの記憶が鮮烈で、外生的な資源価格の上昇が成長率を落としたことが輸入増を恐ろしいと思わせる。輸入インフレでGDP と企業収益が下がることは確かにある。しかし、話の前提をはっきりさせておくと、トランプ政権は資源の輸入を問題視しているのではなく、米国民や米企業が選んで買っている輸入を悪玉にしている。資源高騰のような外生的輸入増と、内需拡大による内生的輸入増を、エコノミストは分けて説明しなくてはいけない。一般化して、輸入増が成長率を下げるとは言えない。

 なお、エコノミスト達が、輸出-輸入=外需とくくって考えるかといえば、GDP 統計の項目区分がそうだからだ。あえて言えば、輸入も輸出も為替レートの影響を受けやすい。為替に動かされやすい項目を“外需”とくくる習慣はそこから来ているかもしれない。しつこく繰り返すが、輸入は海外需要とは関係ない。

為替レートを含めたやや難しい話

 本稿は、ここまでが初級編であり、この先が少しだけ複雑になるのを容赦いただきたい。貿易黒字が善で、貿易赤字が悪であるという考え方は、大昔の重商主義の考え方である。当時は、貿易収支尻を金(きん)で決済していて、貿易赤字は金流出を伴っていた。これが損失だというのは当時のシステムがそう感じさせていたのだ。アダム・スミスが重商主義を批判し、デイビッド・リカードが交易利得を定式化した。経済学とは、貿易悪玉説と歴史的に戦ってきた学問である。

 現代は、貿易収支は変動相場制によって調整される。ある国の輸入が増えたとき、それが続いて貿易赤字が無限に発散するかと言えば、どこかの時点で通貨が減価する。貿易赤字をファイナンスする信用が、その国の支払能力を疑って、その通貨価値を低く見積もることになるからだ。その場合、輸入物価は上がり、輸入数量は減る。そうやって、貿易収支はリバランスする。

 問題は、米国が変動相場制の中で特異な基軸通貨国という立場にいる点だ。米国の貿易赤字が膨張しても、ドルが暴落してこなかった。1970 年代後半から論壇ではドルの持続可能性が話題になったが、この20 年近くはドルが暴落しないので学者も言わなくなった。

 米国は、各国企業が投資を有望視しているのでドルに資金が集まる。これが貿易赤字でもドル高である理由だ。米経済が成長するから、輸入が増えて同時にドルが強くなっていく。トランプ大統領は、ドル高を問題視して、FRB が過度な利上げをしないで欲しいと考えている。しかし、FRB が今利下げをしたならば、米経済は過熱してますます輸入増、すなわち貿易赤字拡大になる。もしも、貿易赤字だけが問題だとするのであれば、為替などを考えずにFRB が利上げを続けて内需を悪化させれば、各国との貿易摩擦は解消する。イエレン議長は、トランプ大統領の考え方が間違っていることを先刻承知しているので、王様を忖度することなく金融政策を進めている。うらやましいくらいに立派な人物である。

日本にとっての利害

 トランプ政権は、貿易赤字を是正する正当説を、選挙公約に求める。しかし、選挙公約であっても、間違った理屈に応じる必要はない。日本製品を米国民が買う権利を脅かす不利益を伝えることが正当だ。トランプ大統領は、米国からの輸出拡大と直接投資増加が狙いだ。NAFTA に反対するほど、メキシコやカナダに進出しようとする企業を米国進出に切り替えさせられると確信犯的に行動しているのだ。

 日本としては、米国とのFTA には応じず、11 カ国のTPP と日欧EPA などで米国包囲網を造り、孤立主義のデメリットを自覚させることが最善策である。関税のない自由貿易圏をつくることは、日本企業の輸出機会を増やすと同時に、輸入のチャンスにもなる。

「貿易赤字は悪者」の間違い
(画像=第一生命経済研究所)

 日本にとって自由貿易による変化とは、国内仕入が輸入仕入に置き換わり、全体のコストが減って利益拡大になることである。売上も、海外売上が増えることが期待される。ここで議論になりやすいのは、国内売上が脅かされて、海外製品に販路を奪われる可能性があるところだ。自由貿易は、機会の平等を是とするが、結果の平等は保証しない。自由≠結果の平等となることを我慢して、自由+公平として機会の平等を守ろうという原則である。競争原理は、結果の平等を保証しないことで機能して、効率性を高める。日本は、海外製品に販路を奪われる以前に、人口減少で販路が縮小する方を心配しなくてはいけないし、限られた労働力人口で供給制約が起こって自給自足がさらに行えなくなる分、海外製品に供給を委ねた方がよい分野もあるだろう。人口が減るから、効率性と生産性を重視していかなくてはならない。日本は、生き残りを考えて自由貿易に賭けるところもある。

 確かに、農業分野では、輸入品との競合で販路を失って、同時に地域経済にダメージが心配されるところもある。激変緩和を政治が求めることは否定できないが、考え方として農業は生産性を上げて海外の販路拡大のチャンスを活かすしか活路がないことも事実だ。米国からの農作物輸入拡大は、早晩、議論にのってくる。限られた時間の中で、日本の農業が具体的にどう生き残り策を描くかは利害調整を担う政治の課題であろう。(提供:第一生命経済研究所

第一生命経済研究所 経済調査部
担当 熊野英生