良い物価上昇の萌芽。一方で、介護業からの人材流出は加速するおそれ

要旨

●大手宅配業者の値上げに代表されるように、人手不足は日本経済全体に大きな変化をもたらしている。近年、人手不足の著しい産業は、運輸・郵便業、小売業、宿泊・飲食サービス業、医療・福祉業などの労働集約的な性格の強い産業である。

●人手不足産業では賃金上昇圧力が強まっており、利益拡大のために設備投資や高採算部門へのシフト、販売価格の値上げなどを行ってきた。こうした「人手不足→賃金上昇→労働生産性改善・値上げ」の一連の流れは“良い物価上昇”の萌芽であり、前向きに評価されるべきである。

●一方で、サービス価格の決定権を実質的に政府部門が握っており、値上げ・賃上げが容易でない介護業は苦境に立たされる。人手不足度合いの強い卸小売業や宿泊・飲食サービス業と、医療・福祉業との間では労働移動が多く、賃金差の拡大は医療福祉業からの人材流出圧力を強めるだろう。介護報酬の引き上げ、ないしは昨今議論となっている「混合介護」の導入などを通じて、待遇を改善させる措置を講じなければ、介護業からの人離れが加速していく公算が大きい。

深まる人手不足

 大手宅配業者の値上げに象徴されるように、人手不足の深まりは日本経済に大きな変化をもたらしている。日本銀行の雇用判断DIでみると、小売業やサービス業、運輸業など、労働集約型の産業において雇用不足感が強まっており、リーマンショック前の景気回復期の水準を大幅に超えてきている。

人手不足が変える日本経済①
(画像=第一生命経済研究所)

 これらの産業はどういった形で人手不足に対応してきたのだろうか。財務省「法人企業統計年報」を用いて、人手不足が深まっている3産業(運輸・郵便業、卸小売業、宿泊・飲食サービス業)について、企業の粗付加価値額の要因分解を行った。まず、企業の生み出した付加価値額を従業員数で除することによって「一人当たり付加価値額」を算出し、一人当たり付加価値額を固定資産額で除することによって「労働装備率(=投資拡大)」、「雇用拡大(従業員数)」、「その他の効率化等」に要因分解した。「その他効率化」要因には、事業効率化のほか、販売価格の値上げなどの要因が含まれる。2012年度を基準としたときの2015年度までの累積伸び率を見たものが下のグラフである。これをみると、運輸・郵便業や卸小売業では、設備投資の拡大が進んだ一方で、宿泊飲食サービス業では投資よりもその他効率化によって、労働生産性を高めることで、付加価値を拡大させてきたことがわかる。

人手不足が変える日本経済①
(画像=第一生命経済研究所)

企業は様々な手段で人手不足に対応

 具体的にミクロレベルでは、どういった形で生産性向上が行われてきたのか。日本政策投資銀行の調査や各種報道等によれば、運輸郵便業では物流施設・システムへの投資が積極化している。特にインターネットショッピング急拡大の影響を受けた陸運業において、全国の高速道路のインターチェンジ周辺などに物流施設の建設を行う動きが拡大してきた。2017年度には、国土交通省の後押しでインターチェンジと直結した物流施設も建設される予定だ。小売業では、大規模店舗やスーパーなどと比べて高単価商品が中心のコンビニエンスストアの新規出店や、システム投資の拡大がみられる。最近では深夜営業を取りやめるなど収益性の低い事業を取りやめる動きも進んでいる。また、外食産業においては、徐々に高付加価値業態へのシフトが進んでいるようだ。日本フードサービス協会の統計で業態別の店舗数をみると、2014年ごろから「パブレストラン・居酒屋」(食事や酒類中心の中高客単価業態)が減少、それに対して「ディナーレストラン」(食事中心の高客単価業態)が増加する、という構図が定着しており、より高価格型の店舗へシフトする動きが鮮明になっている。

 このように人手不足とそれがもたらす賃金上昇圧力の中で、企業は低生産性業態から高生産性業態へのシフト、設備投資を通じた労働コストの縮減などを通じて、一人当たりの労働生産性を高めている。人手不足が依然として深まる方向にあることからして、こうした企業の取り組みは今後も続いていく可能性が高く、販売価格の引き上げ圧力は生じやすい状況になっている。この「人手不足→賃金上昇→労働生産性改善・値上げ」の一連の流れは、“良い物価上昇”のメカニズムそのものであり、デフレからの脱却に向けた一歩として前向きに評価されるべきである。

人手不足が変える日本経済①
(画像=第一生命経済研究所)

賃金上昇に取り残される介護業

 このように、人手不足は今後も企業に労働生産性改善を促していくことが期待される。悩ましいのは、その正常な市場メカニズムが働かない人手不足産業、介護業である。①介護保険法でサービスが法定されているために値上げや賃上げが進まない、②そのために企業は従業員の賃金を上げることができない、③しかし、だからといって市場から淘汰されるわけにはいかない社会性の高い事業である、という構造問題がある。介護サービスの仕事の性質からして、投資によって一人当たりの生産性を高めることが容易でないことも、問題をより根深くしていると考えられる。

人手不足が変える日本経済①
(画像=第一生命経済研究所)

 実際に、ほかの人手不足産業と比較してみても、医療福祉業の賃金には上昇がみられていない(資料4)。他産業の賃金が上昇する中で、介護産業のみが取り残される状態となれば、そこからの人材流出圧力は高まるだろう。厚生労働省統計を用いて推計を行ったところ、他産業との賃金差拡大はその産業からの離職率に有意な関係を示す(右資料)。また、総務省統計に基づけば、医療福祉業と宿泊飲食サービス業や卸小売業間では、労働移動が他産業と比べても多く、介護業からの人材流出は生じやすいと考えられる。

人手不足が変える日本経済①
(画像=第一生命経済研究所)

 直近では、老人福祉・介護事業の倒産件数が増加傾向にあるが、ここには人手不足産業における賃金上昇が影響していると推定される。卸小売業や宿泊飲食サービス業での賃金上昇は、一方で硬直的な価格・賃金体系の介護業の持続性を危うくしていくだろう。政府は、2017 年度の介護報酬について、月額平均1万円程度の処遇改善を行った。また昨今、政府の規制改革推進会議などでは、介護保険外サービス(家事など)と組み合わせる「混合介護」の規制緩和に向けた議論が進んでいる。介護事業者の保険外サービス分の売上増、ひいては介護職員の待遇改善につながることが期待される施策だ。人手不足が一層深化して行くことが見込まれる中、こうした取り組みの加速が求められよう。(提供:第一生命経済研究所

人手不足が変える日本経済①
(画像=第一生命経済研究所)
人手不足が変える日本経済①
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第一生命経済研究所 経済調査部
担当 副主任エコノミスト 星野 卓也