リフレ政策の次に、物価水準の財政理論(Fiscal Theory of the Price Level:以下FTPLと略)がデフレ対策の切り札のように言われている。リフレと同じく、財政運営を放漫にする約束が民間部門の支出行動を変えるという考え方である。筆者は、物価をそのまま通貨価値と読み替えて、民間部門の国外資本流出が起こると考える。
FTPLとは何か、その前提
財政収支の将来見通しによって、物価水準が決定されるというのがFTPLという理論の考え方である。通常、物価水準はモノ(財・サービス)の総量と、マネー(貨幣供給量)の総量のバランスで決まるとされる。これは、貨幣数量説といわれる。マネーはモノを量るときの尺度であり、マネーを増やせば物価上昇が起こるとその考え方を展開させる。このマネーの総量を決定する要因は、中央銀行の政策とされる。これに対して、FTPLは財政支出の役割を加えて考える。民間部門で交換される支出と収入はマクロでみると必ず誰かの支出が誰かの収入になっている。マネーに換言して考えると、誰かの預金支払は、誰かの預金受取になる。民間部門のやり取りでは、プールの水量(マネー総量)は一定である。これを変化させるには、信用創造によって借入を増やし、支出=預金を増やせばよい。この信用創造は、中央銀行の金利操作によって間接的にマネー総量が動かされると解釈できる。ただし、そこで治外法権になっているのが財政支出、正確に言えば財政余剰である。政府が国債を発行して財政赤字を増やすと、中央銀行が利上げをしてもマネーを増やすことが可能になる。教科書的な物価のコントロールは、中央銀行が信用創造に影響を行使してマネーの総量を操作することで行われる。例外的にその影響を受けにくい形で政府が財政赤字を増やすとき、物価は財政主導で動かされる。特に、現在のように政策金利がゼロ%のときは、例外としてではなく政府が追加的に金利コストなしで公債発行して歳出拡大をすることで、総需要・マネー総量に影響を与える「財政主導」の色彩が強まる。
一方、財政主導で総需要やマネー総量が増える世界になって、それが物価を動かすとは言い切れないケースもある。それは、現在は財政赤字であっても、将来は増税によって財政黒字になるという約束が皆に信じられている場合である。これは、現在だけでなく、現在から未来に亘っての財政収支をイメージして、皆が“通期でみるとマネーは増えない”と信じている状況でもある。通期の予想が、物価を縛っていると言い換えられる。
経済学では、リカードの中立命題といわれる。今、財政出動しても、将来の増税が総需要の吸収を意識させて、今の企業・家計の支出行動を変化させない。つまり、財政収支が通期で中立であると、企業・家計の支出も中立になる。
ならば、この中立性を変えてしまえば、企業・家計の支出行動も変わるだろうというのが、FTPLをデフレ対策に使おうと考える人々の発想だ。リカードの中立命題を崩すために、将来、増税をしないと政府が約束して、財政出動を積極化させる。すると、企業・家計は物価上昇を予想して支出を増やす。非リカードの世界こそ、財政出動がデフレ対策に役立つという結論になる。
リフレ政策とFTPLは同じこと
FTPLが政治的に恐ろしいのは、財政再建の放棄に繋がるからである。未来永劫、消費税は増税しないと約束をすれば、物価上昇を意識して、企業・家計が支出を始めると曲解される危険があるからだ。物価を上げることを最優先するあまり、財政運営の信用を破壊するダメージを顧みないことになる。増税をしないと言う甘い誘惑が、政治的に歓迎されて、財政が信用を失うという危険が看過される。これぞ、悪魔的誘惑である。思い出して欲しいのは、日銀が物価上昇を約束すれば、企業・家計が支出を始めるといわれて、現在のリフレ政策が採用された。インフレ目標が、財政再建の放棄にすり替わって、デフレ対策の切り札として祭り上げられる。今の日銀が、国債購入の出口を見出せないのと同様に、FTPLに沿って財政再建を放棄すれば、まさしく日銀と政府の勘定が一体化して、増税の裏づけの無い財政支出(ないし減税)が奔出する。
ポイントは、物価上昇を企業・家計が意識して、支出を増やすかどうかにかかっている。この作用がワークしなければ、FTPLは絵に描いた餅である。ここを少し丁寧に説明したい。先に、通期の財政収支が中立か否かを述べた。この通期の財政収支とは、名目政府債務残高の見通し(𝐷𝑁)となる。政府の信用力の総量が実質政府債務残高(𝐷𝑅)だとすると、(𝐷𝑁/𝑃)=𝐷𝑅という算式で表される。一般的に𝐷𝑅は一定なので、非リカードの世界になって、𝐷𝑁の増加になって、P↑という物価水準の上昇が起こるとされる。
この算式には、企業・家計の行動がどこにも約束されていない。この点は、単純な貨幣数量説と構造は良く似ている。非リカードの世界では、名目政府債務残高が増えると同時に民間金融資産残高が増えたとき、民間部門は実質の金融資産残高が減ると困るので、実物資産の購入や消費支出へのシフトを起こすということになる。しかし、リフレ政策が民間部門の支出行動を変化させ難いと同じように、FTPLもしばらくは民間部門の行動には影響を与えないと考えられる。
FTPLが成立する条件
筆者はFTPLが空理空論だとは思わない。政府に高い信用力があるときは、𝐷𝑅つまり政府の実質的信用力が低下し難い。だから、𝐷𝑁↑=𝐷𝑅↑となる。しかし、あまりに信用力を過信すると、𝐷𝑁↑→P↑となり物価上昇が起こるが、そのときは𝐷𝑅↓となっているので、インフレは悪性のものになる。判りやすくいえば、政府債務の実額が増えると暫くは公共事業などの増加は社会を豊かにすると信じられるから、短期的には政府の信用力を増す。皮肉なことに、ばら撒きの大減税を行うと政府の信用力が失墜して、悪性のインフレが起こる。
これは架空の議論ではない。現在の中国を考えてみればよい。企業や地方の財務が悪化して、将来は中央政府の名目債務残高が肩代わりをせざるを得ないと予想される。中国の中央政府の信用力は低下して、民間部門は保有する金融資産を保全しようとして、ビットコインやドル資産へと資金シフトを行う。名目政府債務残高は、政府の信用力が低下するとき、実質価値を保全しようとしてドルのような信用力の高い資産へとキャピタルフライトする。つまり、Pは物価と言うよりも、通貨価値なのだ。人民元の価値は、現在のレート水準を維持しようとしなければ、もっと人民元安が進む。中国においてFTPLはある程度は成立していて、中国政府が保有する巨大な外貨準備が仮に払底するならば、人民元安による物価上昇が表面化するとみられる。
日本と中国との違いは、中央政府と言うよりも国家全体の信用力の差である。日本にいる主要企業の財務内容は健全であり、円の信認は一国全体としてはまだ高評価なのである。もしも、我が国でFTPLを名目にして財政再建を放棄すれば、大幅な円安がどこかの未来に起こるだろう。我が国にも巨大な外貨準備があり、おそらくは過度な円安の阻止に回ると考えられる。
また、日本政府が信用を失墜させるときは、現在よりも𝐷𝑅すなわち政府の信用力は著しく低下する。したがって、P、つまり物価水準の上昇は予想よりも上にジャンプする。これをハイパーインフレと呼ぶ人もいるだろう。
今の日本の財政は、まだ健康体に戻れるチャンスがある。本当に信用を失って、病気にならなければそのときの苦しみが実感できないから、通貨を墜落させることを夢物語のように語る人が現れるのだろう。
問題の所在
これまでの議論を整理して終わりにしたい。民間部門に対して物価上昇を信じさせることはそう簡単なことではない。単に消費税などの増税をしない約束では十分でなく、政府の財政運営が誰の目にもルーズになったように映る必要がある。そのとき、政府債務の保有者である金融機関、企業、家計は円資産全体の信用力低下を恐れて、外貨などに資金シフトする。ここを詳しく言えば、政府債務=日本の国債価値が目減りすると、通常は国債価格の下落=長期金利上昇を起こす。仮に、日銀が国債を買いつくして国債暴落が起こらなかったとしても、金融機関や企業、家計は預金などの円資産の価値が下落すると不安になって、外貨などに資金をシフトさせて通貨保全を図ろうとするだろう。ここは筆者の推論となるが、FTPLを使って物価上昇の予想が民間部門の行動を変化させるというストーリーは、現実には円という通貨価値の下落予想としてキャピタルフライトを起こすというべつのストーリーになるとみる。民間の支出行動ではなく、民間の資産選択の行動を変えるのだ。
これによって円安が起こると、それを為替介入で中和しない限りは、輸入物価の上昇によって物価水準は切りあがる。この円安は財政運営の信用度が著しく低下することを通じて発生するものなので、必ずしもマイルドな円安とはならない。これもハードランディング・シナリオである。筆者が問題にしたいのは、物価上昇の予想が起きるほどの財政への信認低下が歓迎されるかと言う点にある。「デフレを止める」という政策目標が突出して、別の大きな弊害に鈍感になることは全く持って非合理的だ。そうした議論をしないで、FTPLの理論だけがひとり歩きしていることは、非現実的な政策論だと思える。(提供:第一生命経済研究所)
第一生命経済研究所 経済調査部 担当 熊野英生