奇策として挙がっている最右翼はヘリコプターマネー論だろう。なぜ、賢者とされる人物がこのような説を唱えるのか。本稿は、ベースになっている考え方を吟味することが目的である。先進国はリーマンショック後に、日本化が進んで、長期停滞へと向かっていると考えて良いのか。それを打開するには、中央銀行の財政ファイナンスしか道がないと考えて良いのか。
長期停滞論のマジック
アデア・ターナー氏は、英FSA長官を務め、ターナー・レビューで有名な人物である。かつて、その賢者が中央銀行のヘリコプターマネー論を唱えたのを聞いて、筆者は驚いた。最近、同氏の著書「債務、さもなくば悪魔―ヘリコプターマネーは世界を救うか?」(日経BP社、原題BETWEEN DEBT AND THE DEVIL)が出版されて、同氏のベースになっている考え方が理解できるようになった。無論、筆者はヘリコプターマネーには絶対反対ではあるが、ターナー氏の議論を正しく理解したうえで、経済政策論を検討しておくことが有益であろう。本稿は、ターナー氏の議論を叩き台として知識共有することが目的である。
まず、ターナー氏は、リーマンショック後の世界経済が「大胆な政策なくしては慢性的に需要が不足し『長期停滞』に陥る危険性がある」と論じる。日本はすでに「1990年代から過剰債務問題が経済の大きな足かせ」になり、リーマンショック後の欧米経済の未来を暗示させる「鉱山のカナリア」だと示唆する。日本の例が示しているのは、①過剰債務の返済圧力によって、需要が吸収されて長く成長が停滞する。②銀行を再生させても経済は立て直せない。③民間部門の債務は、公的部門に付け替えられて、財政健全化の方針の下、需要を圧縮させる、という教訓である。
先進国の民間債務の負担増は、2000年代にかけて進んだ後、2008年頃から政府の債務負担増へとシフトしたようにみえる。同時に、グローバルには、先進国の非金融部門(民間+公的)の債務残高の対GDP比は2011年頃から新興国の債務増へとシフトした。これを、ターナー氏は「国から国へのシフト」と表現している。私たちが直感するのは、中国が4兆元の経済対策の後で、現在に至る過剰債務問題へと足を踏み入れた経験である。筆者には、トランプ氏の登場でドル高が進んで、今後、新興国経済が通貨安を通じた債務負担増の圧力を一段と強めるのではないかという危惧がある。
ターナー氏は、「ひとたび債務比率が上昇してしまうと、あらゆる政策手段は不完全なものになる」 と言って、他の先進国が日本化していくことに警鐘を鳴らしている。
金あまりの構造
「銀行が再生しても経済が元に戻らない」謎については、現在の日本においても多くの人の関心事である。この理屈について、ターナー氏は実質金利が低下して信用拡張が起きなくなったと指摘する。ここでの実質金利とは、実体面で投資が生み出す収益性、均衡実質金利を指す。理屈は少々複雑だが、以下のようになる。
現代経済は物理的な財の重要性が低下して、ソフトウェアやアプリケーションの役割が増している。ビジネスを牽引するソフトウェアの投資額は、従前の機械設備に比べると格段に小さくて済む。IMFの調査では、ICTのソフト・ハードの普及によって既存の財・サービスと比較して設備投資の価格は、1990~2014 年にかけて▲33%も下落してるという。この投資の変質は、貯蓄と投資のアンバランスを生み出す。企業が内部資金で必要な投資を賄えるので、借入は起こりにくくなる。人口も高齢化して老後の資金を貯める傾向を強めるので、貯蓄過多も起こる。過少投資と過剰貯蓄をバランスさせる均衡金利 は限りなく低下する。その結果、信用拡張が停滞して、需要不足に陥る。慢性的な名目需要の不足が生じる状況である。
ターナー氏が先進国は「長期停滞」に直面しているのではないかと問うロジックは、経済学者ローレンス・サマーズの議論にもよく似ている。筆者は昔同じ理屈を、日本の学者である森嶋通夫氏の著作から学んだ。故・森嶋氏は、「消費+貯蓄」が常に「消費+投資」に一致する均衡経済を疑っていた。一般均衡の考え方では、常に貯蓄額が投資額に一致する前提になっている。過剰貯蓄が存在すると金利が低下して過少だった投資額を増加させるので、均衡がとられるというのが通説である。その点、森嶋氏は、投資を決めるのは企業であり、必ずしも過剰貯蓄を解消させるだけの投資を企業が行う必然性はないと考えた(森嶋著「無資源国の経済学」(岩波全書)を参考にした)。
リーマンショック以降、先進国の長短金利が極端に下がったのは、先進国の企業が自国で割安な投資しか行わなかったことが背景になっている。筆者がこの仮説を聞いて思い出すのは、流行している第四次産業革命もまた格安のコストで企業が生産性を高められる点でターナー氏の問題点を変化させる存在ではなさそうだということである。つまり、企業の金あまりは近未来もそのまま継続されるということになる。実質金利が低すぎて、金融政策が効かない状況も続くということである。
不動産にマネーは集まる
設備投資がICTに傾斜していくと、不動産にマネーが集まるとターナー氏は言う。好立地の不動産は、再生産できない資産であるから、より希少性が増して、金あまりの受け皿になりやすいという理屈である。この議論も大昔にデービッド・リカードが述べていた見解の変形に思える。
ターナー氏は、過少投資の中で、金融緩和を行っても、緩和マネーは土地・不動産に向かうだけで実体の投資を促しにくいと考える。不要の信用が増大すると、次なるバブルを生み出すだけだという発想になる。リーマンショックが起こった原因も、低インフレが続く中で、過剰な信用拡張が起きて、過剰債務を作ったという見方である。ターナー氏は民間部門の信用が不安定に膨張することには極めて神経質である。銀行の自己資本比率を20~25%にするのが妥当だと唱える。さらに、民間の信用創造には懐疑的であり、100%の準備預金を支持する。つまり、民間銀行は、中央銀行がオペで供給した金額を貸出、受け入れた預金をすべて中銀の口座に置き続けなくてはいけない。信用創造はできなくなり、マネタリーベース(除く現金)=銀行貸出という極端な世界を正当化する。
経済学では、マネタリーベースを中央銀行が増やすと、その資金の大半が銀行貸出に回って、次々に預金を増やすという、信用創造のモデルが描かれている。例えば、5%の準備預金率ならば、信用創造は5%(=1/20)の逆数20 倍ということになる。だから100%準備預金を唱えるターナー氏は、信用創造を否定する考え方ということになる。これは、実務的にいかにラディカルかを象徴している。きっと、ターナー氏はリーマンショックに懲りて銀行の役割(あるいは金融イノベーション)に否定的になったのだろう。
実務的に考えると、銀行の自己資本比率規制の強化(バーゼルⅢ並みのような)、中銀の利上げ、などによって信用膨張に歯止めを掛ければ、100%準備などは不要に思える。ターナー氏はこれらの代替案も一応は検討している。
ヘリコプターマネーは財政政策である
ターナー氏が描くのは、実質金利が極端に下がってしまった「長期停滞」の下では、利下げでは投資不足を是正できない限界である。金利政策はもう限界だと言っている。民間投資の不足を低金利で克服できないのならば、財政出動で需要を作るという手段がある。この点は、サマーズやオリジナルのケインズが唱えていたことと同じである。ただし、将来の財政再建を約束して、財政出動をしても持続的な需要刺激にはならない。だから、将来の増税をしなくても良いように、中央銀行が永久無利子の国債を引き受けて、そのまま保有を続ければ良いと主張する。これをマネタリーファイナンスと呼んでいる。つまり、ヘリコプターマネーの本質は財政政策なのである。通常の財政政策は、量的緩和を含めて限界だから、財政政策と一体化して景気刺激をすれば、「金融政策には限界が無い」という論理になる。
このマネタリーファイナンスは、一度きりのファイナンスではなく、毎年、例えば、「GDP比2%分の不換通貨で賄われた赤字を出す」方法が示されている。この見解は、あたかも中央銀行がビットコインを作るようにファイナンスを政府向けに行えば、需要不足から脱却できると言っているのと同じである。
魔法の杖を疑え
2017 年は、黒田総裁の金融政策が追い風で始まった。しかし、為替が円高に転じると、再び金融政策に奇策を求める提言が浮上するだろう。その筆頭がヘリコプターマネーである。わが国のオピニオンには、海外の著名人のアイデアが都合よく用いられることが往々にして起こる。ヘリコプターマネーの提言もまた都合よく用いられることが心配である。その場合、ターナー氏が唱えている論理を抜かして、そのツールだけが「魔法の杖」として借用されるのはターナー氏の本意ではなかろう。
わが国が本当に長期停滞に陥っているのか。低金利は、設備投資を刺激できずに、住宅投資や不動産開発ばかりを刺激するのか。返済無用の財政出動は、従来の財政再建を挫折させないか、などの論理チェックを厳密にしておく方が良い。
筆者がターナー氏の議論に疑問を持つのは、政府が規律正しくて、銀行の信用拡張が規律を失いやすいという前提で政策の組みなおしを構想している点にある。有益な政策を考えるために、ターナー氏の提言をもっと真剣に吟味したい。(提供:第一生命経済研究所)
第一生命経済研究所 経済調査部 担当 熊野英生