人口高齢化によって、労働人口比率が変化している。近年上昇してきたとは言え、2005~2007 年を下回っており、長い目で見れば低下傾向が崩れたとまでは言えない。女性と高齢者の労働参加が進んできたことは確かであるが、それでも単純に比率が上昇してはいない。高齢者の働き方は、在職老齢年金を含めて再検討してもよい。また、若者への人材投資をもっと積極化して、スキルが生み出す成果を高める方法もある。労働市場のあり方を見直して、量よりも質の向上を狙っていくべきだ。

労働参加率が低下する不思議

 わが国の労働力人口の割合は、過去10 年間で大きく変化している(図表1)。リーマンショック前の2005~07 年は60.4%だった。それが、2012 年には59.1%へと低下し、2015 年は59.6%に戻っている。趨勢的には低下トレンドと言って差し支えない。

人口減少社会・労働力編
(画像=第一生命経済研究所)

 人口が減少しながら、さらに労働力人口の割合が低下するとなると、日本経済の供給能力も縮小傾向にならざるを得ない。わかりやすく言えば、日本経済は“稼ぎ手の数が減るから成長しにくくなる”と言うことだ。供給制約が成長の限界を警戒させる。

人口減少社会・労働力編
(画像=第一生命経済研究所)

 こうした問題意識を受けて、労働力人口比率を高めればよいという議論が出てくる。総人口が減っても、「一億総活躍」の旗を振って、女性や高齢者の労働参加率を高めていけば、何とか労働力人口の総数を維持できるという発想である。65 歳以上の労働力人口比率、女性の労働力人口比率をみると、ともに上昇してきた(図表2)。不思議に思えるのは、2012 年までの期間は65 歳未満と65 歳以上の労働力人口比率がともに上昇しているのに、合計の全年齢の労働力人口比率が低下している点だ。このマジックを解く鍵は、高齢化シフトである。内訳の65 歳未満と65 歳以上の2つのカテゴリーでは比率が上昇していても、構成の中で65 歳未満のカテゴリーから65 歳以上のカテゴリーへとシフトしていく変化の寄与度が大きい。そのために、トータルの比率が低下する。65 歳未満の比率が75.9%(2015 年)で、そこから65 歳以上に移った人は労働力比率が22.1%(同)と極端に低くなる。つまり、リタイアする人の増勢が大きくて、昔よりも65 歳以上の人が働くようになっていても、全体として労働力比率が低下しているのである。

 ならば、全体の労働力人口の総数をもっと増やすために、高齢者などの労働参加率を大きく引き上げる必要があると言える。まさしく、「変わらずにいるためには、私たちは変わらなければいけない」(仏・伊合作映画、山猫より)ということだ。

夫も妻も労働参加を強いられる

 通常の経済学は、失業者をすべて雇用した後は、完全雇用が達成された状態として大団円となる。しかし、日本経済は、完全雇用がハッピーエンドにはならない。すでに、労働力人口が右肩上がりではなくなり、いわば労働力の成長局面でみると長期停滞を迎えている。さらなる成長がなければ、社会保障を現状維持できない。この状況から脱して成長するための教科書的な解答はない。

 ここで何が行われているかと言えば、社会保障の縮小を見合いにした労働参加である。多くの読者は、直感的に安倍政権が選挙の度に、社会保障を過剰なくらいに手厚くしているように感じているだろうが、実際は必ずしもそうではない。

人口減少社会・労働力編
(画像=第一生命経済研究所)

 高齢者の雇用期間は、60 歳定年から65 歳定年へと延期されている。同時に、厚生年金の報酬比例部分の支給開始年齢は2013 年度に60 歳から61 歳、2016 年度には61 歳から62 歳へと引き上げられている。こうした年金支給条件の見直しは、事実上の社会保障のカットである。

人口減少社会・労働力編
(画像=第一生命経済研究所)

 社会保障の恩恵がなくなっていくことを受けて、男性の60~64 歳の労働力比率は、過去10 年間で+10%ポイントも上昇している(図表3)。これは、上記の報酬比例部分の見直しに加えて、国民年金・厚生年金定額部分の支給条件が見直されたことも受けている。見方によっては、「リタイアしていた人を今までのようにはリタイアさせない」政策にみえる。実は、女性の場合も、年齢別にみて最も労働力比率が上昇しているのが60~64 歳と55~59 歳のクラスターである(図表4)。これは、夫の年金支給の停止によって、妻も働かざるを得ない経済状態に追い込まれているということだ。家族は、「リタイアできない夫を支えるために、妻も労働参加を強いられる」状態に追い込まれている。

北風政策は正しいのか

 高齢者雇用が年金受給条件に制約されていることは、筆者がこれまで何度も述べてきたことである。在職老齢年金制度には28 万円の壁があって、就労収入を増やすことをためらうシニア雇用者は実に多い。61 歳になっても厚生年金が支給されないので、働き続ける。しかし、年金金額を満額もらいたいので、就労収入を減らしてもよいとする。定年年齢が延期される代わりに、低賃金労働に従事せざるを得ないシニア雇用者も多くいる。これは北風政策にみえる。マクロ的に考えて、能力発揮にふさわしいとは思えない制度的歪みを前提に、シニア層が労働参加することが経済成長に最大限貢献しているとは言いにくい。基本的に雇用者の能力発揮が制限される賃金体系は、企業にとっても望ましくないはずである。

 また、政策思想として、北風政策は筆者の好むところではない。

生産性向上に向けて

 通説として、「人口減少社会では労働力不足が生じる」と考えられている。現実にこの不安はいくつかの業種で先取りされている。若者の数が少なくなったから求人に対する応募者がなかなか来ない、という直感的理解は、この通説に添ったものだ。しかし、この直感に背中を押されて、働いていない女性や高齢者をどうにか動員できないか、と短兵急に考えるとおかしな対応が起こる。所得控除や年金支給条件を見直して、経済的必要性から労働参加が促される。そうした労働力は必ずしもフルタイムで働くことになじまない面があるから、短時間労働あるいは非正規形態になってしまう。本当は正規雇用の働き方をフレキシブルにすべきだが容易には進まない。そうやって労働参加が非正規中心に促進されることが、本当にマクロ的な成長に大きく貢献できるのか。むしろ、最初の直感的な労働不足のところは、若者が少なくなったから応募者が来ないのではなく、賃金水準が低すぎるから人が集まらないに過ぎないのではないか。価格競争を制限するから給与水準を引き上げにくい業界もある。労働力の供給のボトルネックが近づくと、低賃金の分野で労働力の確保が難しくなる。このときに必要なのは、当該分野が生産性を向上させながら賃金を引き上げていくことである。経済成長のミッションも、個別企業の生産性向上、業界単位では生産性向上のための規制緩和・制度改革が必要となっていく。

重みを増す人材投資

 より高い経済成長率を目指すとき、労働投入量に制約があれば、労働1単位当たりの成果(生産量)を増やしていくしかない。そのためには、1人当たり資本装備率を引き上げるとともに、人的資本、すなわち人材投資の成果を厚くしていくことが重要になる。

 とくに、若い人が勤務年数を増やしながらスキルの蓄積を厚くして、様々な収益機会を掘り出そうとすることが望ましい。残念ながら、人的資本は抽象的概念なので、定量的な目標として掲示することは難しい。それでも、この考え方に賛同する人は多いはずだ。

 近年、日本の年功制度への批判が強まると同時に、スキル形成における長期雇用への再評価も起こっている。これは、定年延長という意味ではなく、雇用安定の仕組みが能力形成と整合的であるという意味合いである。非正規化が進む一方で、企業はコア人材を絞り込んだうえで長期的に人材育成に取り組んでいく。問題なのは、人材重視が専らインサイダーに限られて、社外にいるアウトサイダーの若者には必ずしも開かれていない点である。つまり、新卒採用の枠に入れるかどうかで、長い人生のキャリア形成に大きな差が生じる社会である。マクロ的に少子化・高齢化が進む中で、人材投資の恩恵に俗する対象者が少なくなっていくことは時代の要請に叶っているかどうかは、疑問が残る。

 まとめると、高齢者や女性の活躍が叫ばれていても、それは量的拡大に主眼が置かれていて、能力発揮のところでは課題が残る。人材の重要性は、以前に比べて強調されるようにはなっているが、まだその対象が開かれたかたちにはなっていないように思える。しばしば、日本的経営・雇用体系は、そのコア部分を温存しつつ、マイナーチェンジによって大きな環境変化を乗り切ろうとしているとされる。だから、変革のペースが遅くなってしまうと批判されることが多いのだろう。もしかすると、女性や高齢者の活躍に向けた改革でもそうした批判が当てはまるかもしれない。いま一度、オープンな人材登用の視点で、1人当たり生産性向上を目指すことが必要だと考えられる。(提供:第一生命経済研究所

第一生命経済研究所 経済調査部
担当 熊野英生