英国発の大混乱は、どこまで長期化するのであろうか。リーマンショックやギリシャ問題と比べて、英国のEU離脱は、実体的には何も変わってはいない。つまり悪影響は、連想を通じてマーケットが激震されている点にある。このまま円高・株安を放置すると、実体経済へのネガティブ・フィードバックが始まる。その手前で政策対応が必要になる。

実体面ではまだ何も起きていない

 英国の国民投票は、大混乱の引き金になった。民意に訴える手法の暴力的側面を垣間見た。他国とはいえ、政治判断への強烈な不信感を覚える。しかし、ここは冷静になって客観情勢を整理しなくてはいけない。

 まず、英国がEU離脱をするにしても、それは先の話である。英国がEU離脱を欧州理事会に通告してから2年以内の交渉期間がある。

 離脱のルールは決まっていないし、交渉期間が長引く可能性もある。

 実体的には、投票結果が出ても何も変わっていない。何も変わっていないのに、マーケットが激震するのは信認が崩されたからだ。英国がEUに加盟するメリットを捨てるという意思決定のショックが先取りされて、ユーロ圏をはじめ世界経済への悪影響が連想された。円高・株安 円高・株安 円高・株安 円高・株安 円高・株安 はその連想によるものだ。実体経済には、投票直後に悪影響がないとしても、今後株安・円高などの金融混乱が長引くことによって、ネガティブ・フィードバックすることが予想される。今のところ、EU離脱問題の影響 は、実体よりも「連想」のところにポイントがある。

 理解を深めるために、リーマンショックとの比較をしたい。今回のEU離脱とリーマンショックは実体面で全く異なる。リーマンショックは実体面で金融機関の経営悪化があって、それに反応した連鎖破綻への強い警戒から、あらゆる金融取引が停止した。それが貿易金融の取引にも飛び火したから、日本経済への甚大な打撃になった。実体面で、証券化商品の損失が連想を通じて拡大したことも重要である。

 それに対して、今回は実体面で経済は悪化していない。むしろ、政治的決定によって大きく揺さぶられている点では、ギリシャ問題に似ている。ギリシャの場合は、最終的に債務返済案を受け入れて、波乱を回避した。一方、実体面でギリシャは、多額の債務を抱えて、当分の間、緊縮財政の痛みを我慢せざるを得ない点で、今回の英国とは全く違う。例えて言えば、英国は健康体であるにもかかわらず、冷水に自分から飛び込んで病気になろうとしている。しかも、その被害は欧州全体に及ぼうとしている。筆者から言わせれば、今後の離脱交渉で、キャメロン政権の次の政権が、実体面で悪影響の少ない落とし所をいくらでも探すことはできると考える。仮に、英国民にとって不幸な結果を招く選択をすれば、それこそ政治判断の過ちということになる。

焦点になる為替介入

 英国のEUの離脱問題は、円高・株安を通じて日本経済へと打撃を加える。英国やEUの実体的な悪化よりも手前に、金融面での悪影響が襲ってくる。従って、マーケット発の混乱をいかに極小化するかという点が、日本の政策運営における鍵となる。

 日経平均株価は、各国株価よりも変動率が大きい。その理由は、リスク回避の円高によって為替レートが動くことの影響が考えられる。ならば、EU離脱問題の悪影響が日本に上陸してくるのを防ぐためには円高阻止が焦点になる。

 具体的に、日銀の追加緩和と、政府の為替介入が切札となろう。より直截的な円高阻止は、為替介入になる。従来は、米国からの牽制効果が強く、日本の介入はできなかった。今は、為替の変動幅が大きく、とくに1ドル100円を切るほどの円高になっていて、介入にも説得力がでてきている。目先、円高リスクが高まれば、質への回避を目指す円買い圧力に、介入によって円の保有リスクを感じさせることは合理的選択となり得る。米国側からみると、米利上げの予想がここまで後退して、ドル高予想が低下してくると、相対的に日本の介入への許容度が高まっていてもおかしくない。

 日本の円高・株安の流れは、今ここで為替介入を行えば有効打になって歯止めがかかると考えられる。その反転が、EU離脱問題が金融を通じてネガティブ・フィードバックする作用を小さくすることになるだろう。

連鎖リスクはあるのか?

 日本への影響を考えるとき、為替を通じたネガティブ・フィードバックに歯止めをかけることが肝心と述べた。反対に、より事態が悪くなるケースを考えてみたい。

 筆者は、リーマンショックやギリシャ問題のときは、同様の問題が他の金融機関や債務国に飛び火するリスクが疑心暗鬼を生んだと考える。負の連鎖(伝染、コンテージョン)により傷口を広げたことが特徴であった。マーケットの心理が悪材料にばかり反応したのは、この疑心暗鬼からである。

 では、EU離脱問題は同様の道筋を歩むのであろうか。多くの識者は、そうした「離脱ドミノ」のシナリオを口にしている。一方、筆者は必ずしもそうでないと考える。他のEU加盟国と英国との間には違いがある(注)。英国は自国通貨ポンドを持ち、すでにユーロを流通させているギリシャなどとは事情が異なっている。すなわち、自国通貨を持っていないギリシャは、英国に比べると離脱のコストは格段に大きかった。英国以外のEU加盟国は、離脱コストが大きくなり英国のように離脱を決定することはできない。この点は、連鎖の歯止めになる。ポンドを流通させる英国は、例外なのだという見方が定着すると、その事情を考慮して、次々に離脱が意識されることにはならないのではあるまいか。

 また、これから、EU離脱交渉が進んで、英国の後に続きそうな加盟国が現れた場合に、厳しいペナルティを課することを想定したルールづくりが行われると考えられる。そうしたルールは、将来の離脱を抑止することにもなろう。

注:EU加盟国の内、ユーロを用いていない国は、英国のほか、デンマーク、スウェーデン、ブルガリア、チェコ、ハンガリー、クロアチア、ポーランド、ルーマニアの8カ国。

もうひとつのトランプ・リスク

 英国のEU離脱を賞賛するのは、米共和党のトランプ候補である。その姿は、未来のトランプ・ショックを十分に意識させるものである。このトランプ・ショックは、米国が震源になるだけに、英国のEU離脱問題よりもマグニチュードが遥かに大きい。

 しかも、英国が2年間の準備期間を持っているのに対して、トランプ・ショックは、より手前の2016年11月以降に起こりそうなリスクである。具体的には、メキシコなどとの関係が悪化して、NAFTAの見直しが行われたり、TPPの解消などが不安視される。トランプ大統領が決まって、ドルが暴落することになれば、今よりも激しい円高を覚悟しなくてはならない。FRBの独立性が脅かされると、ドルの信認が低下し、中央銀行とマーケットのコミュニケーションも取れなくなる。孤立主義を実行することは、米経済を停滞させて、英国の想定を上回る成長率の下押しが予想される。

 今回のEU離脱問題をみて、「終わりの始まり」などという人もいるが、その見解はトランプ候補が勝利したときに現実味を帯びる。すでに、対するヒラリー・クリントン候補は、TPPに懐疑的な見解を加えるようになった。より選挙で有利となる内容へ選挙公約が収斂されていくことはよくある話である。しかし、孤立主義を称えるトランプ候補の姿勢に同調してしまうことは、クリントン候補にとって禁じ手であろう。むしろ、国際協調派からそっぽを向かれる危うい“毒饅頭”である。ここは、孤立主義を徹底的に批判して、トランプ候補と対決すべきところであろう。

 政治的判断が経済的自滅を導くという悪しきパターンが繰り返されないために、本当に正念場が米国の大統領選挙のときにやってきそうだ。(提供:第一生命経済研究所

第一生命経済研究所 経済調査部
担当 熊野英生