アベノミクスの第3の矢である成長戦略の柱に、わが国を企業にとって世界で最も活動しやすい国にするというのがある。その重要な構成要素が、硬直的なわが国の労働市場の改革。企業がつぶれるというのでもなければ従業員を解雇できないのでは企業は思い切った選択と集中など出来ない。それでは、大胆な選択と集中を行う諸外国の企業に太刀打ちできない。というわけで、今日、多くの方面から労働市場改革が唱えられるようになっている。しかしながら、それには強い反発がある。企業が首切りをしやすくするためだけの「北風の改革」になってしまって、とうてい国民の理解は得られないというのである。
そこで求められるのが「南風の改革」。そもそも日本以外の国で従業員の解雇が普通に行なわれているのは、解雇されても従業員がたちまち生活に困るようなことがないからである。困らないどころか、本人の努力しだいでは大学などに戻って学びなおし、それまでよりもより良い条件の仕事に就けるからである。それを支援する社会的なインフラが整備されているからである。とすれば、日本についても労働市場改革にあたっては同様のインフラを整備する「南風の改革」を同時に行うことが考えられる。そのようなインフラが整備されて人々の転職が普通に行われるようになれば、企業の側からの選択と集中といった場合でなくても、人々が人生のそれぞれのステージで多様な働き方を選択するのが当たり前になっていくことになる。となると、若者が自分で事業を興してベンチャー・ビジネスを立ち上げることも珍しいことではなくなる。子供を持つ女性が、一度仕事を離れても子育てが一段落すれば前と同じような仕事に復帰するのが当たり前になる。高齢者も希望に応じて働けるようになる。障碍者もその能力に応じて働けるようになるという世界が実現する。そして、人々が自分にあった仕事に転職するようになることは、人々が日々の仕事に喜びを感じることにつながる。そもそも、人は幸せを感じるときに自らの能力を一番発揮する。とすれば、それは本来の能力を発揮する人が増えて企業や国全体の生産性が向上することにも寄与することになるはずである。
そのようなことを実現する労働市場改革のためには、企業の対応がカギとなる。ただ、それは「卵が先か鶏が先か」(企業が多様な働き方を導入するのが先か、多様な働き方が当たり前になるのが先か)の話で、多様な働き方が当たり前になっていけば企業はそれを前提に優秀な社員を雇おうとするし、企業が多様な働き方を導入していけばそれが多様な働き方を当たり前のことにしていくことになる。ちなみに、多様な働き方が一般化しても、日本企業において会社のコアの部分を担う正社員がなくなってしまうとは考えられない。ただし、その数は少数でいいし、その形態は柔軟なものになっていこう。それは会社のコアの部分を担う正社員が社員の中の限られた少数だった戦前の姿に戻るのだと考えれば分かりやすい。ただ、その担い手は戦前のように日本人の男性社員だけでなく、優秀な女性社員や外国人社員もということになる。となると、女性社員には、出産の際に非正規の働き方を選択するとか、あるいは一度退職して子育てが一段落してからコアメンバーに戻れるようにするといった工夫が求められることになろう。また、外国人社員に無定量な残業をさせるようでは優秀な人材の確保は難しいので、例えば1週間の労働時間に限度を設けるといった仕組みが導入されていくことになろう。そして、そのような工夫は、女性や外国人だけでなく日本人男性の中からも優秀な人材を中途採用でコアメンバーに加えることを当たり前にすることにつながる。それは、企業経営に多様な視点、すなわちダイバーシティーを常に意識するといった視点を導入することになり、企業経営をより柔軟で強力なものにしていくことになるはずである。
企業を、そして一国の経済を成長させるのは人である。人の創り出す付加価値が成長をもたらす。そして、より多くの付加価値を作り出すためには、人々が喜びを持って働くことが重要である。そのようなことを実現させる労働市場改革は、人も企業もともに成長する社会を作り出す。それは、国民一人ひとりが豊かな人生を送るための成長をもたらすことになる。政府が取り組んでいる「働き方改革」をより実りあるものにすることにもなるはずである。(提供:第一生命経済研究所)
第一生命経済研究所 特別顧問 松元 崇