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平和酒造における「温度ある経済の環」
どんな事業が「温度ある経済の環」に該当するのか。好例としてご紹介したいのが、近年大きく成長している日本酒メーカー、平和酒造の事例です。
日本酒の販売量はピークの1973年に比べて現在は約3分の1にまで縮小しており、今も年々減少する傾向にあります。ワインをはじめとするさまざまな酒類が身近になったこと、従来の中心的な消費者層が高齢化したことが原因と言われています。過去のやり方を大きく変えることがないまま、日本の酒造業界は、斜陽産業となっていました。そんな中で、古来の良き伝統は残しながら、大きく売上を伸ばしているのが平和酒造です。
平和酒造は、1928年に創業された和歌山県海南市に本社を置く日本酒メーカーです。代表銘柄は2009年に発売された「紀土 大吟醸」。華やかな香りとやさしい味わいが特徴の日本酒で、多くのファンがいます。国外最大級の日本酒コンテスト「インターナショナル・ワイン・チャレンジ」で2年連続リージョナルトロフィーを受賞、新酒鑑評会金賞も4年連続で受賞しています。
日本酒だけではなく、梅酒などのリキュールシリーズ「鶴梅 完熟にごり」、地ビール「平和クラフト」などの商品も受賞歴を持っています。こうした高評価を受け、2014年からJAL国際線、2017年夏からはANAのラウンジや国際線ファーストクラスでも紀土や鶴梅が採用されています。
業績も非常に好調で、売上・利益ともにめざましい成長を遂げています。その背景を見ていきましょう。
劇的な成長は人の変革から始まった
現在の平和酒造の快進撃は、創業家4代目の山本典正さんが、ベンチャー企業を経て地元に戻って入社した2004年から始まりました。
当時の同社について、山本さんは、「自分の居心地がたまらなく悪かった」と振り返っています。大手の下請けの仕事が多かったためか、造っているお酒に対してスタッフの思い入れがなく、品質管理も十分とは言えない状態。中でも気になるのが、社内のコミュニケーションが少なく、人間関係が希薄な点でした。また、従業員自らの頭で仕事について考えることができていない、まさに受け身体質となっていました。
日本酒の製造は一般的に冬季に行われるため、酒造りの職人の仕事は季節労働です。平和酒造でも時期によってスタッフが増減し、皆が長期間一緒に働く慣習がありませんでした。それが人間関係の希薄さの一因でもありました。さらに伝統的に、杜氏の仕事の詳細は本人にしかわからず、属人的な酒造りとなっており、従業員の間に互いの仕事に対する理解もありませんでした。皆がそれぞれ違う方向を見ているような雰囲気があり、一体感がなかったと山本さんは言います。
平和酒造のある和歌山県海南市は、人口約5万人、大阪から特急電車で約1時間かかる、田園と山に囲まれた土地柄です。人口は減少傾向で、地場産業も衰退しつつあります。
何もかもが閉塞しているような状況の中、山本さんは、会社を根本から変革し、地方から世界に羽ばたく日本酒メーカーを作りたいという夢を抱きました。自分自身を含めた働く仲間にとって最高のものづくり環境、「ものづくりの理想郷」をつくり、お客様にも喜んでいただくことを決意したのです。
初めに力を入れて取り組んだことは、人材の改革でした。
まず、日本酒の蔵としては初めて、大学出の新卒を対象に採用活動を行いました。インターネットを使って、杜氏を目指す蔵人を志望する若者を募集したのです。雇用形態も、季節労働者の非正規雇用という業界慣行にとらわれず、正社員として雇用するスタイルに切り替えました。大手の酒造・飲料メーカーなら当然行っていることですが、家族経営が大半である酒蔵において大卒新卒を採用する例はそれまでありませんでした。酒造りに人生をかけることのできる、共にものづくりの理想郷を目指す仲間を探す取り組みとして、現在の採用方法にたどりついたのです。
従業員のすべてを正規雇用にした背景には、「人こそがすべて」という山本さんの考えがありました。
そもそも日本酒の蔵は何のために存在するのか。人々に喜んでもらえるおいしいお酒を造り、提供すること。それ以外の目的など存在しない。では、平和酒造はおいしいお酒を提供できているのか。消費者は、平和酒造の存在をどのように受け止め、喜んでくれているのか……。山本さんは、入社後、ひとり何度も頭を巡らせました。
消費者においしいものを提供したいなら、そもそも自分たちがおいしいと感じるものを造らなければなりません。一見、当たり前のことのようですが、それを心底徹底して行い、途中で匙を投げたり、質をあきらめたりしてはならないのだ、と山本さんは考えました。蔵の中の温度などの環境管理、清掃、麹の発酵状態のチェック。仕事のあらゆる部分に、自分たちの「熱」が現れる。その熱は必ずお客様に伝わる。熱量の足りない製品は、お客様を喜ばせることができない。
自分たちがその価値を信じ、熱をこめて造り届ける、おいしいお酒。それを徹底的に目指すために、いつ辞めてしまうかわからない形で人を雇うのではなく、価値観を共有して長期間共に働く仲間を正規雇用したいと山本さんは考えたのです。
なんと全国から約2000人もの応募があったそうです。お酒が好きで、良いお酒を造りたい。そんな純粋な想いを胸に、東京や九州など、和歌山県から遠く離れたさまざまな地域から、一人で入社してくる若者が男女問わず大勢現れたのです。ここから変革が始まりました。
商品を深く理解する人が売る
平和酒造の躍進の起爆剤となったのは、独自のやり方による、消費者との関係づくりでした。
業界の慣例では、酒蔵が造ったお酒は、消費者に届けられるまでに卸問屋と小売店を経由します。この場合、酒蔵は卸問屋のみとやりとりし、その先のことには基本的に関与しません。間に二つの業者が介在するため、酒蔵は自分たちの商品がどのように消費者に届くのかがわかりません。また消費者は、商品を買う際、酒蔵に入るお金の他に二つの中間業者に入るマージンも支払うことになります。
山本さんは、消費者に自分たちの想いを正しく伝えたいと思っていました。また、商品の質を高めるため、商品価格は下げられないものの、消費者にはできるだけ安価に届けたいと考えました。ただ安く届けたいのであれば、中間業者を省いて、オンラインで直接販売するのがよさそうです。しかし、それで想いを十分に伝えられるかといえば、不安が残ります。
そこで平和酒造は、地酒屋(日本酒を中心とするお酒専門の小売店)の協力を得ることを選択しました。東京であれば、はせがわ酒店、朧酒店などがその代表格です。一緒に日本酒を売るための大切なパートナーとして信頼できる地酒屋を通じて販売することにしたのです。想いや熱を消費者に伝えるには、平和酒造の想いを深く理解した人の手によって販売する必要があると考えたのです。
地酒屋を通じた販売に加えて、もう一つ販路として設けたのが、イベントです。蔵人が出向いて自ら消費者に販売する取り組みを各地で実施。作り手としての想いを聞きながらお酒を選び、試飲し、購入できるこのイベントは好評を博し、平和酒造のファンが生まれるきっかけとなりました。
単に蔵人が手売りするだけでなく、日本酒を「楽しんで飲むもの。人生を豊かにするもの」とする考えに基づき、趣向を凝らしたさまざまなイベントを開催しています。日本酒と一緒においしい食事を味わえるイベント、AOYAMA SAKE FLEAがその代表例で、ここには山本さんの呼びかけで他の蔵元も多数参加しています。また日本酒となじみが薄いと言われる若者を対象にしたイベントや、日本酒と音楽は余暇を楽しむという点で親和性が高いと考え、国内の音楽フェスティバルへの出店なども行っています。
国内だけではありません。2017年には世界的に有名なDJのリッチー・ホゥティンさんとコラボレーションし、米国各地のクラブで平和酒造の日本酒を観客に振る舞うといった試みを展開するなど、海外にも積極的にアプローチしています。杜氏自らが海外のイベントへ参加する機会もあるそうです。
社員を積極的にイベントに送り出すことには、三つのメリットがあると山本さんは語っています。
一つ目は、酒造りに携わるスタッフが自ら対面販売を行うと、消費者に作り手の想いが伝わりやすいということ。「このお酒はお米のときから私がずっと見てきたお酒です」とか、「仕込みの時期には交替で3時間おきに麹の状態をチェックします」といった話をすると、お客様はさまざまな反応を示します。「そんなに手間暇がかかるんですね」「だからこんなにおいしいお酒になるのか!」といった言葉は、「人を喜ばせる良いお酒を造りたい」という想いで日々働いているスタッフにとって、最高のご褒美と言えます。これからも頑張ろうという想いにもつながることでしょう。なぜなら、彼らは、「おいしいお酒が造りたい」「人を喜ばせるよいお酒を造りたい」という想いで平和酒造の扉を叩き、日々、挑戦を続けているからです。消費者との交流が、従業員の次の挑戦に向かう力になることは言うまでもありません。もっともっとお客様に喜んでいただきたい、もっとよいお酒造りに励もう、そんな気持ちを抱えて、彼らは出張先から戻ってくるのです。
二つ目は、さらに前に進むための問いが得られることです。作り手の目の前で「おいしくない」「嫌いだ」と言われるお客様はまずいません。「おいしいです、でも今日はいつも飲んでいるのを買おうかな」とか、「別のお酒も見て考えてみますね」と言われて、買われずに終わる。そんなときスタッフは、何が合わなかったのかな、という疑問を持つことができます。顧客の反応を直に見て、商品に疑問を持つことは、よりよいお酒づくりのヒントになるでしょう。こういった経験は、指示され、与えられた仕事だけをするのではなく、自らよい仕事とは何かを考える力を育みます。
三つ目は、こうした活動を通じて、スタッフが平和酒造のものづくりへの姿勢を理解し、会社と事業により深くコミットする人材に成長していくことです。顧客との交流を通して、自分の仕事が最終的に誰のためになるのか、誰にどんな価値をもたらすものなのかを実感することで、目の前の仕事への姿勢が変わってきます。最高の品質を実現するため細部までおろそかにしないことの大切さ、消費者に届けるまでのすべての業務に想いをこめることの意味を、深いレベルで理解するようになるのです。お客様からの厳しいコメントだけではなく、時には職場でも厳しい言葉が飛び交うことがあります。お客様のためにおいしいお酒をつくるという一つの方向を全員が見ているからこそ、社員同士も真剣に向き合うのです。厳しい言葉も必要なものであることを深く理解し、真摯に耳を傾ける、誰も見ていない所でも丁寧に作業をするといった行動が、自然にできる人材が育っていきます。これは、ものづくりに携わることや、働くことそのものの意味やあり方を考えるきっかけにもなり、従業員の人間性を育てることにもつながります。
関係性を温めることで成長する
入社から十数年、改革を推し進め、平和酒造を大きく成長させた山本さんは、2014年に発表した著書『ものづくりの理想郷』において、事業における「人」の重要性を強調しています。「会社は人の集合体であり、会社の業績や未来は、そこに集まっている人のパフォーマンスに依存する」。
意欲にあふれる人材が集まり、良質な関係性のなかで育っていくことで、事業は経営者一人の想像を超えるほどの広がりを見せていきます。新卒で入社した若手社員、高木さんの発案で始まったクラフトビール「HEIWA CRAFT」の事業はその一例です。発売の翌年にIPA日本地ビール協会主催の「e International Beer Cup 2017」の「American-Style Strong Pale Ale」部門にて金賞を受けるなど、錚々たる受賞歴が並びます。「人材は資源であり可能性。現在のような状態を最初から想い描いていたわけではない。ここにいる人に合わせて、何をやれるか、考えてきました」と、私が行ったインタビューの中で山本さんは語ってくれました。
酒造りに携わる人材の改革を起点に、社内外の人との関係性を見直し、温め直してきたことが、平和酒造の躍進をもたらしたと言えます。作り手同士のつながり、顧客とのつながりを整備する。想いのこもった仕事をし、その想いを顧客に届け、顧客の反応に学び、仕事への想いをさらに深める。こうした温かい循環を創り出したのです。
また山本さんはこうも述べています。
「組織的な成功と、対外的な事業の成功は必ずしも一致しない。組織的にうまくいっていなくても、事業を成り立たせるという意味ではなんとかできてしまう」
つまり、たとえ従業員が事業のあり方に不満を持っていても、経営や営業の努力があれば短期的には好業績を上げることは不可能ではありません。しかし中長期的に社会に貢献し、成長していくためには、関わる人たちが満足していることが不可欠です。事業の成功だけを追い求めた結果、業績は良いが従業員が不幸を感じているようでは、事業を持続的に成長させることはできないでしょう。
人を起点に、「温度ある経済の環」を創り出すことの重要性を、平和酒造・山本典正さんの事例は教えてくれているように思います。