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顧客の共感をつなぐことから事業が広がる―初音ミクのヒットに学ぶ
クイックローンチが有用である理由は、計画した事業の実効性を検証できるからだけではありません。顧客の反応から事業を発展させるヒントや、別の事業アイデアを見出せる可能性もあります。
実際、ある事業が計画したとおりに成功し、そのままの形で成長し続けることは少ないかもしれません。多くの場合、顧客の反応を見て、それに合わせて事業のあり方をアップデートしていくことで、真に成功する事業が創られていくのではないでしょうか。
そのような過程をたどって爆発的な成功を収めた事例を紹介しましょう。
クリプトン・フューチャー・メディア株式会社(以下、クリプトン)は、北海道札幌市に本社を置く会社です。設立20年を超えた現在、従業員は100人近くとなり、100万人以上のさまざまなクリエイターが集うハブ、「ピアプロ」というコラボレーション・プラットフォームを有しています。彼らの代表的なヒット商品である「初音ミク」に関連していえば、世界中に数百万人のファン層を抱えています。クリプトンの代表、伊藤博之さんは、2013年には藍綬褒章も受章しています。社名を知らない人でも、「初音ミク」の名は知っているかもしれません。音声合成システム「ボーカロイド」のソフトウェアであり、誰もが歌わせることができるバーチャル・シンガーです。
初音ミクはバーチャル・シンガーでありながら年間10本以上のライブステージをこなし、他のアーティストとのコラボレーションも展開。毎年開かれる「マジカルミライ」という大規模なイベントには数万人のファンが集まります。ステージに映し出された3Dホログラム(立体映像)の初音ミクが歌って踊る光景は、初めて見る人は驚くに違いありません。世界中に数百万人のファンがいると言われる初音ミクは、最先端技術とポップカルチャーが融合して生まれた革新的な商品であり現象であると言えるでしょう。
初音ミクはどのようにして生まれたのでしょうか。その過程を探ると、さまざまなトライアルがあったことがわかります。
伊藤さんがクリプトンを設立したのは1995年。マイクロソフトの「ウィンドウズ95」が発売された年です。インターネットによって世界が変わり始めた年と言ってもよいでしょう。北海道大学工学部の研究室で働いていた伊藤さんは、人々がデジタルネットワークによってつながっていく未来を想像し、その可能性にいても立ってもいられず、退職してクリプトンを起業しました。同社の役割は「インターネットの可能性を追求する」こと、また、それまで伊藤さんが趣味として活動を続けてきた「デジタル音源の制作・販売」と合わせて、新しい可能性にチャレンジする場として法人を立ち上げました。
当時の伊藤さんは「i-dev」というコンセプトを考えていたといいます。「i」は自分、「dev」はデバイス、端末のことです。あらゆる人が常に端末とともにあり、常につながり合っている未来。そんな「将来ビジョン」を想い描いていたのです。ただし、この時点では初音ミクのような構想があったわけではありません。
もともとコンピュータが好きで、趣味として音楽活動を行っていた伊藤さんは、デジタル音源の制作・販売をクリプトンの事業として行っていきました。いわば「音の商社」です。
事業が広がり始めたのは、2000年頃から。携帯電話の普及に伴って、携帯電話向けの着信メロディ(着メロ)配信サービスの市場が拡大する中、クリプトンの音源を個人のユーザーが利用できるサービスを着想したのです。それを具現化するために同社が協業したのが、着メロに対応するチップ等を開発していたヤマハ株式会社でした。
静岡県浜松市にあるヤマハ本社に出張していたある日、伊藤さんは、人間の声をサンプリングした音源を使ったソフトウェアの開発を行っていた部署の人たちを紹介されます。彼らの話を聞く中で、自分たちの音源を活用できるかもしれないと思った伊藤さんは、ヤマハを開発パートナーとして新しい取り組みへと乗り出しました。
2003年にヤマハは歌声音声合成ソフト「VOCALOID」を発売、翌年クリプトンは 初のバーチャル・シンガー「MEIKO」を発売しました。2年後には男性版「KAITO」 を発売。そして2007年、実際の人間の声をモデルとした「初音ミク」が誕生したのです。
その後の爆発的なヒットは、伊藤さんを含め開発に携わった誰もが想像していなかったそうです。発売直後から多くのクリエイターが、自分の制作した作品(自ら作曲した楽曲を初音ミクの音声で歌わせたものなど)をインターネット上にアップロードし、一大ブームになっていったのです。ソフトウェアによって容易に女性ボーカルを取り入れた作品を創れるようになったことで、クリエイターたちの創作意欲が高まり、刺激し合い、広がっていく。まさにインターネットの可能性を象徴する現象でした。
そんな初音ミクの大ヒットから新たな気づきを得たクリプトンは、クリエイターの人たちの創作の連鎖を広げるための活動に着手しました。一般的に、音楽や書籍など著作物はすべて著作権法によって著作権者の権利が守られています。ある作品を元ネタにして、新たな音源を付け加えたり、一部を改変したりして新たな作品を創るということが、このルールの中では簡単には行えません(著作権者の許諾が必要)。インターネット上で見つけたコンテンツに魅了され、創作のインスピレーションを得たとしても、複製や加工、アレンジを行った作品を創ることは難しいのです。しかし、カット・アンド・ペーストが容易なコンピュータの利用環境を考えれば、そうした連鎖的な創作こそがおもしろく、豊かな可能性を持っているとも言えます。
「クリエイターのやりたいことをサポートしていきたい」という伊藤さんが率いるクリプトンは、初音ミクの発売のわずか3ヶ月後、インターネット上で誰もが利用できるコンテンツ投稿サイト「ピアプロ」を開設しました。ここでは、非営利活動であれば、クリエイターはピアプロ上にあるコンテンツを自由に利活用できることになっています。「ピアプロ」の開設は、いってみれば「業界の通例であった〝権利を握りしめるビジネス〞に真逆に切り込む」取り組みでした。しかし、伊藤さんは、クリエイターの方々の創作の連鎖を広げるための活動として着手することにしたのです。
2009年に定められた利用規定「ピアプロ・キャラクター・ライセンス」では、非営利で対価を伴わないこと、公序良俗に反しないこと、他社の権利を侵害しないことを前提に、二次創作が認められています。おもしろいのは、「原作品を利用する場合には作者に『利用しました』と報告し、感謝の意を表する」ことを規約としている点です。クリエイター同士の交流を促進するルールを設け、クリエイター同時が自由に「共感」し合い、「創作の連鎖」を繰り広げられる基盤を同社が整えたのです。伊藤さんが2013年に受章された「藍綬褒章」の受章理由もまた、「新規産業功績」、具体的には「インターネット上に自由な創作活動の基盤を作り、インターネット上で個人が才能を発揮する機会を与えることに貢献した」というものでした。
この結果、ピアプロでは楽曲のみならず歌詞やイラストなどが多数投稿され、クリエイター同士のコラボレーションが活発化し、参加者もどんどん増えていったのです。
初音ミクは近年の日本における革新的な事業開発の好例で、そのため多くの企業が初音ミクを模倣した事業を始めようとする例も見受けられます。が、ただ類似製品を作るだけではうまくいかないでしょう。初音ミクの爆発的成功は、単にそのソフトウェアが優れていたから生まれたのではなく、作り手であり受け手でもある顧客(クリエイター)の反応を注視し、顧客の本当にやりたいことを後押ししたからこそ生まれたと言えます。
また現在の初音ミクも、ステージにおける投影の技術や音声のクオリティなど、さまざまなチャレンジが日々重ねられており、常に進化を続けています。常に社内外の仲間と、既存の考えにとらわれず数多くのトライアルを積極的に行っていることが、他社に先んじてユニークなアイデアを事業化し、圧倒的な成功を収めることにつながったと言えるでしょう。
さらに、創業20周年、初音ミク誕生から10周年を迎えたクリプトン社が大切にしていることは、「〝ツクル〞を創る」という役割だといいます。
伊藤さんによると、「〝ツクル〞を創る」の〝ツクル〞とは、どのようなことでもいいから、事業づくり・人づくりを行い、結果として「Happiness」を生み出すことを意図しているとのこと。そして、その「Happiness」は、自分自身を含む従業員、会社、そして社会の3つが幸せになることを目指すものとしています。まさに温度ある経済の環を広げる役割といえるでしょう。
同社はこれまで「音」を中心軸として新規事業を立ち上げ、それを応用して新たな展開を図りながら、クリエイター同士の創作の連鎖を創造してきました。いつしか、クリエイターを支援することも、クリプトン社の大切な事業の核となっています。そして今、「〝ツクル〞を創る」とは、これまで取り組んできた事業領域に限定せず、〝ツクル〞ということすべてを支援していくという大きな目標に広げられています。
現在同社は、地元の北海道を支援するための活動として、2017年より札幌市にて先端テクノロジーや斬新なアイデアを軸として、新しい価値や文化、社会の姿を提案するビジネスコンテンツを主なテーマとしたコンベンションとして毎年秋に開催する「NoMaps」や、北海道ローカル各地の情報をアグリゲーションする「Domingo」といったアプリなども展開しています。こうした活動もすべては何かを創り出すという活動を行っている人々を支援していきたいと考えてきた、彼らの原点的思考から何ら変わるものではありません。まさに「〝ツクル〞を創る」という取り組みであり、クリエイターを応援する事業開発者、ビジネスプロデューサーとしての活動です。