(本記事は、二神雅一氏の著書『思考のリミッターを外す「非常識力」 日本一不親切な介護施設に行列ができる理由』ユサブルの中から一部を抜粋・編集しています)

なぜ、日本は「寝たきり大国」になってしまったのか?

(画像=Photographee.eu/Shutterstock.com)

「それまで元気で暮らしていたお婆さんが、風邪をこじらして肺炎になった。入院して肺炎はすっかり良くなったのはいいけれど、退院してみたら寝たきり老人になっていた」

私たち、医療・介護業界の人間にとっては笑えない例え話です。

超高齢社会となった今、医療や介護の現場では何が起きているのでしょうか。

日本は「長寿国」として世界でも有名です。2016年の統計では平均寿命は男性が80.98歳、女性が87.14歳(厚生労働省『簡易生命表』より)。「人生80年の時代」と言われて久しくなりましたが、それが90年になるのも時間の問題でしょう。最近では人生100年という言葉さえ耳にするようになりました。

とはいえ、「健康寿命」という観点から見ると、これは必ずしも喜ばしいことではありません。

健康寿命とは、元気に自立して過ごせる期間のことを指します。本書を読んでいる皆さんはきっと毎日仕事をしたりプライベートを充実させたりしているでしょうから、まさにこの健康寿命の真っ最中と言えます。

長寿国として有名な日本では、平均寿命に対して健康寿命は男性で約9年、女性で約12年も短いと言われています(『健康日本21(第二次)』の推進に関する参考資料より)。つまり、長生きしているとはいえ、あくまでも平均ですが、最後の約10年間は寝たきりや認知症など健康問題を抱えて生きているということになります。

我が国の65歳以上の要介護認定(支援も含む)を受けた人の数は2015年の時点で約600万人に上ります。うち重度の介護を要する要介護4、5の人は約130万人。

こうしたデータが示すように、日本には「寝たきり高齢者」がたくさんおり、実は世界一と言われています。世界一の高齢化社会ですから寝たきり高齢者の数も多くなるのは当然と思うかもしれませんが、問題は寝たきりになってしまう率の高さにあるのです。

福祉先進国と言われるスウェーデンでは寝たきり老人はわずか4%程度(そもそも寝たきり老人という概念がありません)であることに比べると、「寝たきり大国ニッポン」は世界でも特異な状況と言えるのです。

至れり尽くせりな箱モノ施設に潜む罠

図1は、日本を100とした場合の世界の寝たきり高齢者人口の割合を示したグラフです。日本が最も多く、イギリスの3倍、アメリカの5倍、寝たきりが最も少ないスウェーデンと比較すると10倍も寝たきりの人が多い。これが日本の現状なのです。

図1

(画像=『思考のリミッターを外す「非常識力」 日本一不親切な介護施設に行列ができる理由』より)

次に図2ですが、これは平均の入院日数(在院日数)を国別に示したものです。諸外国がおおよそ10日以内なのに対し、日本は30日程度に及びます。特に急性期での入院日数は他国の5倍以上になりますので、日本だけがダントツに高いことがわかると思います。実は2000年頃は40日程度あったので、これでも短縮したほうなのです。

図2

(画像=『思考のリミッターを外す「非常識力」 日本一不親切な介護施設に行列ができる理由』より)

ふたつの図から見えてくるのが、入院日数と寝たきり人口の比例関係です。要するに、入院日数の長さと寝たきりの人の多さが見事にリンクしている、ということです。つまり、寝たきりは継続的な入院によって作られると言っても過言ではないのです。

こうした医療側の事情が、寝たきり大国のひとつ目の問題点です。

日本と諸外国のこの違いはどこから生まれてくるのかというと、入院に対する考え方の違いが主な原因です。

寝たきりの少ない諸外国では、基本的に入院期間はできるだけ短くして、早めに在宅医療に切り替えさせる仕組みになっているのです。

もちろんそこには、日本ほど社会保障制度が充実していなかったり、長期の入院への負担、延命治療への考え方や死生観の違いなど、日本と諸外国の制度や文化的な違いも影響していると思います。

一方で日本では、皆保険制度があって医療体制が充実しており、さらに入院中は病気や怪我をしているのだから「安静にすること」が当たり前のように考えられてきました。実際に「安静にしておきましょうね」とよく耳にしてきたのではないでしょうか。

「安静にしている=活動が制限されること」になります。私たちのような元気な人であっても、入院をするなどして活動が制限されると、筋力が落ちたりするものです。

高齢者であればそれは顕著で、長期入院すると、入院前はできていたことが退院後にできなくなってしまうことが起こりやすくなるのです。

もしかしたら、「リハビリをしているから大丈夫なのでは?」と考えるかもしれません。

ですがリハビリの時間は、病院で生活している総時間からすればわずかです。リハビリをしていても、家で暮らしている人に比べると活動量は下がらざるを得ません。

もちろん、在宅で人を支えるには相応の設備や仕組みなどが必要です。家族が介護をする場合は、介護の専門家ではないですから効率の悪さや不慣れなことも多いでしょう。

ですが一方で、普段の生活環境の中でケアをするほうが、生きていくために必要な基本的なことが、再びできるようになる確率は上がるのです。

そう考えると、病院のような至れり尽くせりで、何でもそろっていたり、絶対的な活動量が制限される環境に慣れてしまうことが、いかに恐ろしいかがわかるのではないでしょうか。

便利な環境に慣れすぎてしまった結果、家に帰ったときにそれまで当たり前だったものを不便に感じたり、最悪の場合は入院中に「何もできない人=寝たきりの人」になってしまうのです。

機能回復のためのリハビリへの依存が寝たきりを助長する

寝たきりを助長するのは、何も病院の設備だけではありません。リハビリに対する間違った考え方も、要因のひとつになっています。

第2章でもお伝えしましたが、世間では「リハビリ=悪くなったところを元に戻す」という印象があります。

2004年に、ミスター・プロ野球こと長嶋茂雄さんが脳梗塞で倒れ、緊急入院しました。一命は取り留めたものの右半身に麻痺が残り、言語能力にも影響が出てしまったのは周知のことと思います。

長嶋さんの麻痺や言語障害については、15年経った今でも完全に解消はされていません。「後遺症」という形で残っています。

では、長嶋さんはリハビリをしなかったのか?

そんなわけがないですよね。日本の中でも特に優れた環境でリハビリをなさっていましたし、ご本人のがんばりは称賛に値すると言ってもいいでしょう。

問題は、リハビリを「元に戻すもの」という考えでとらえてしまうことです。長嶋さんでなくても、同じような境遇に陥った人が考えるのが「リハビリを続けていれば、いつかは元通りの身体に戻れるのではないか」ということです。

もちろん、リハビリは望む形での回復過程を踏むように行われます。その結果として麻痺が“改善”されたり、歩けなかったのが“杖を突いて”歩けるようになる可能性はあります。

ですが、運動麻痺や言語障害そのものは、通常いくらかは残ってしまいます。だから「後遺症」と呼ぶのです。そのことを受け止められず、完治すると思い込んでしまうと、やがて患者さんはリハビリそのものに依存し、リハビリをすること自体が目的化してしまうのです。

「目的化して何が悪い?」と思う方もいらっしゃるでしょう。

私は作業療法士というリハビリテーションの専門家でもありますから、リハビリの力はよくわかっています。ですが同時に、世間一般の人が思い描くイメージとは違うリハビリの限界もよくわかっています。

本来、リハビリの目的は「人間的・社会的な復権を目指すこと」にあります。決して悪くなったところを元に戻すことだけではないのです。

実は2018年に33年ぶりに作業療法の定義が改定されました。

「作業療法は人々の健康と幸福を促進するために、医療、保健、福祉、教育、職業などの領域で行われる作業に焦点を当てた治療、指導、援助である。作業とは、対象となる人々にとって目的や価値を持つ生活行為を指す。」となっています。少しわかりにくいですね。

作業療法は「人は作業をすることで健康や幸福になれる」という普遍的な基本理念のもと行われるのですが、ここでいう「作業」とは日常で行う様々な活動で、家事、仕事、趣味、遊び、人との交流など、人が営む生活行為全般のことを指します。

私たちは、その人ができるようになりたいことやできそうなことを、できるようになるよう治療や援助を行うのです。もちろん、作業を行うために必要な心身機能の回復を図ることも含まれますが、それがすべてではないのです。

むしろ、後遺症などの障害があっても、その人にとって意味のある作業ができるように支援することに重きを置いているのです。

患者さんの「元通りの身体に戻りたい」という気持ちはよくわかりますが、そのためにリハビリに依存し、いつまでもいつまでも医療施設でリハビリを続けることが果たして良いことなのかと言うと、首をひねらざるを得ません。

元通りにならない身体の回復にばかり目が行ってしまうと、延々ずるずると、結果の残らないリハビリテーションを続けてしまう羽目になり、大切な人生の時間をムダにしてしまうことだってあります。

日本では、医療機関で受けられるリハビリが圧倒的に多く、白衣を着た療法士の人たちに「リハビリをしてもらう」ことが当たり前になっています。回復過程の中でリハビリをしてもらうと身体もある程度は回復してきますので、余計に元に戻ることへ過度の期待が生じます。そして、患者さんは「療法士のおかげで良くなったのでこのままリハビリを続けたい」と思うようになります。

さらに療法士への感謝の想いが療法士への依存へとつながります。療法士自身も「自分の治療で患者が良くなった」と感じたり、感謝をされる中で自身の存在感が高まり、こうして共依存関係ができ上がってしまうのです。

リハビリ依存が高まった患者さんはいつまでも「してもらうリハビリ」を続けるようになり、実生活での居場所や役割を見つける機会を失ってしまいます。生活の中で機能を取り戻して社会に戻るより、病院通いに居場所を求め続けてしまうのです。

二神雅一(ふたがみ・まさかず)
株式会社創心會(そうしんかい)代表取締役、作業療法士、介護支援専門員。1965年、兵庫県西宮市生まれ。中学より松山市で育つ。愛媛十全医療学院・作業療法学科を卒業。後、作業療法士として香川県と愛媛県の病院で4年間勤務。その後、訪問リハの会社などに転職し、30歳で独立。岡山県倉敷市にて「創心会在宅ケアサービス」を設立する。介護保険制度が開始された2000年に「株式会社創心會」に組織変更。

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