ベルタの長距離ドライブが自動車文明の扉を開けた

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▲写真左がカール・ベンツ/右がゴッドリープ・ダイムラー

 南ドイツに、ロマンティッシェ・シュトラーセと呼ばれる南北に走る観光ルートがある。英語に訳すと、ロマンチック・ロードとなっていささか大甘ムードだが、本来は中世文化が花と咲いた道、芸術家たちが好んで住んだ町々が多かったからだ。

 起伏の多い野山がつづき、その間を何本もの河が横切って、曲がり角の岸辺には中世のブルク(城)がそびえている。

 ザーレ河畔のイエナ市はドイツ浪漫派の発祥地といわれる。ロマンチック街道はマイン河のフランクフルトの東南にあるヴュルツブルクに始まり、南下してローテンブルク、ディンケルスビュール、ネルトリンゲンからドナウ河を渡ってアウグスブルク、ランズベルク、そしてオーストリアとの国境に近いフュッセンに至るコースである。中世に栄えた町や城が、昔の姿をいまに残している。ドイツ歌曲集のレコード・ジャケットに見るような、いかにもドイツらしい美しい風景が、ざっと300kmにわたってつづく。

 このロマンチック街道の西側の地帯、ライン河に沿ったマンハイム、カールスルーエ、そしてその東のハイデルベルク、ハイルブロンなどの町々もまたロマンティッシェ・シュトラーセに劣らないほど、ロマン的な土地柄なのである。

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▲パテント・モートル・ワーゲン・モデルⅢ 坂道が上れずに親子3人でクルマを押すケースもあったという ベルタのドライブ後にカールはギアを1速増やしてブレーキを強化する改良を加えた

 カール・ベンツ(1844〜1929年)の一家が住んでいた家は、商業の町マンハイムにあった。1888年のころである。

 カール・ベンツは、そのころ、男盛りの44歳、新しいガソリン・エンジンを完成して、これもはじめて3輪自動車を作り上げたばかりだった。試運転に成功してはいたが、まだ、何キロも走っていなかった。小さな工場の中で組み立てられたばかりで、性能は未知数。しかし、車体といいエンジンといい、カール・ベンツが全知全能を傾けて創造した世界最初の自動車だった。

 諸元はこんな具合になっている。

 ガソリン・エンジン駆動による3輪型自動車。タイヤはソリッド。エンジンは4サイクル水平1気筒、排気量984cc、出力0.89馬力/400rpm、時速15km/h。むろん幌などはついていなかった。

早朝、ひっそりと出発

 8月のある朝だった。午前5時、カールの妻ベルタはそっと寝室をぬけて外へ出た。外はすっかり明るくなっていたが、ライン河に沿ったマンハイムの町はまだ目を覚ましていない。

 南ドイツの夏の朝は、詩人ハインリヒ・ハイネが紀行文の中に書いているが、空気が冷たくて気持ちがいい。小鳥のさえずりが聞こえ、道をリスが横切っていくだけで人影もない。

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▲ベルタ・ベンツ(1849〜1944年) 夫・カールが開発したパテント・モートル・ワーゲンに2人の息子と同乗して世界初のロングドライブに挑戦 見事に成功した

 ベルタは、カールと結婚してすでに16年、39歳になっており、長い年月、夫に協力して働きとおしてきただけに、カールに劣らぬカーマニアだった。機械の動かし方は十分に知っていた。彼女は夫が作り上げたばかりのベンツ・モートル・ワーゲンを静かに小さな工場から庭に引っぱり出した。

 子どもが3人、上のオイゲンは15歳、次は年子の、リヒァルト14歳だった。そして末娘クララがいた。男の子は母の手伝いができる年齢に達していた。ベルタは静かに2人の息子たちを呼び、クルマに乗るようにいう。

 彼女を真ん中に3人が並んで座ると、座席は一杯だった。

 ベルタはエンジンを吹かした。  マンハイムの町が少しずつ動きはじめる。彼らの自動車が動き出したのだ。赤みがかった石だたみの道を固いソリッド・タイヤがごろごろと音を立てると、小鳥たちがぴょんぴょんと左右に逃げた。

 ベルタは、夫が完成させたばかりのガソリン自動車ベンツ・モートル・ワーゲンをついに動かしたのだ。彼女の服装は、当時の婦人たちがそうであったように、いまから考えてみるとおよそ労働には不向きに思われるのだが、ロングドレスにケープを羽織り、ボンネット帽にスカーフをまとうという重装備だった。2人の息子たちは母親の決意を守る騎士たちのようであった。

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▲ベルタがドライブしたルート スタートはマンハイム オレンジ色のルートが往路で目的地はプフォルツハイム 総走行距離は約190km 給油の確保と坂道に苦労したエピソードが残されている

 自動車は、カール・ベンツの生まれ故郷、カールスルーエへ向けて走り出した。時速15km/hで。記念すべき近代自動車の幕開きである。1888年8月、ベルタは世界最初の女性ドライバーとなった。

 地図をひろげてみると、マンハイムからカールスルーエまでは南へ約60kmとなっている。彼らは詩人ハイネがたどった美しい南ドイツの風景の中を走る。ハイネは馬車だったが、彼らは近代的な自動車である。

 ハイネは書いている。「私はぶらぶらと山を上ったり下ったりし、たくさんの美しい緑の谷を見おろした。銀色の流れは音をたて、声のよい小鳥は森に囀り、家畜の群れの鈴は鳴りわたり、さまざまな緑色の樹木は、愛すべき太陽に照らされて金色に輝いた。頭上の天蓋は青絹のようにまことに青く透明に澄んでいた」(岩波文庫『ハルツ紀行』内藤匡訳)と。

 風景はかくも美しかったけれども、ベルタたちの試走は苦難に満ちたものだった。

(原文掲載1980年10月号、以下次号)

Writer:間宮達男 Photo:Daimler AG

(提供:CAR and DRIVER