私たちは、自分の意志で判断し、行動していると思っているだろう。しかし、多くの場合、それはあなたの知らない「無意識」に操られた結果かもしれない。
今回は、判断や行動に影響する無意識の働きについて解説していく。
本当の意志を手に入れることは、今回のテーマである無意識の「認知的不協和」という作用を手なずけることである。そして、それこそが成功者としての道を歩む重要なステップとなるだろう。
ケーススタディ(7)――あなたの知らない「無意識」に注意
及川圭佑(37)はホテルのラウンジに着き、辺りを見回した。
「及川さん、こっちです」
ラウンジのソファに腰かけていた顧客の相澤が、片手をあげて及川を呼ぶ。及川は会釈をして、相澤の向かいに腰かけた。
及川は人材コンサルティング会社で働いている。相澤は及川が担当する顧客で、IT事業で成功した若手起業家だ。
一流のホテルだけあって、ラウンジにいる人達がまとう空気にも、独特なものがある。英語の会話も聞こえてきた。
「お二方とも、休日にもかかわらず、ありがとうございます」
声をかけられ、及川と相澤は振り向いた。そこには、初老の男性・東條がにこやかな微笑みを浮かべて立っていた。
東條は、及川が顧客の一人に紹介され、たまたま知り合った富裕層の男性だ。大手企業の社長の座を退いたあと、今は新規事業に携わっているという。東條と及川は幾度か会う機会があり、及川がIT事業で成功した同年代の相澤の話をしたところ、東條が興味を示したのだ。
そうした経緯で今日の会食が実現した。さすがというか、服装や振る舞い、すべてにおいて東條はこの場になじんでいた。相澤は緊張した様子で立ち上がり、東條に挨拶をする。東條に促され、3人はラウンジをあとにした。
念のため及川は、事前にホテル内のレストランを調べていた。中華・和食・フレンチのうち、一番下のランクでも、及川が日常的に利用する店とはかけ離れた価格帯だった。東條のあとについていくと、東條はそのままエレベーターに乗り込んだ。
「最上階を、押してもらえますか」
最上階に着く。東條は迷いなく、たった6室しかない客室の1つに入っていった。及川と相澤もあとに続く。広大なリビングには、ソファが二ヵ所に配置され、グランドピアノまで置いてある。及川と相澤は息を呑んだ。
インテリアはシックな色でまとめられ、窓からは遥か遠くまで景色を見渡せる。夜はさぞかし、夜景が美しいだろう。
「最上階の客室なんて、初めて入りました」
少し緊張しつつ、相澤はいつものやわらかい口調で東條に話しかけた。東條は少し困ったような微笑みを浮かべる。
「実は、レストランでの食事は落ち着かなくて、本当は苦手なんですよ。ここでなら、周囲を気にせずお話できるでしょう。もう12時を過ぎていますし、早速食事にしましょうか」
東條がホテルスタッフを呼び、一枚板のダイニングテーブルにつく。各々ドリンクを選んで注文し、会食が始まった。
メイン料理が下げられる頃には、だいぶ打ち解けた雰囲気になっていた。相澤は東條の人柄に感銘を受け、東條もまた相澤のやわらかな物腰と明晰な頭脳を気に入ったようだ。
話は、相澤の事業のことに及んだ。相澤は、開発中のアプリとそっくりのサービスが、ちょうど昨日競合他社からリリースされ、意気消沈しているという。
「ただ、もともとニッチ寄りのサービスで、成功しても売上規模はたかが知れてるんですよ。開発費は痛いですが、方向転換しようと考えてます」
相澤は苦々しそうな表情を浮かべつつも、そう言ってグラスを傾けた。東條は、しばし沈黙する。問いかけるような視線を向けた相澤に、東條は意味深な言葉を放った。
「失礼ですが、その判断は“すっぱい葡萄”かもしれませんよ」
疑問符を浮かべた相澤と及川に、東條は次のように問うた。
(1)高額な授業料は無駄にしたが、このぐらいはした金だと考えて、離席する。
(2)高額な授業料を支払っているので、有益な情報が得られると考えて、参加し続ける。
「すっぱい葡萄」とは? イソップ物語で語られる無意識の働き
考え込む相澤と及川を見て、東條は表情をやわらげた。