要旨
菅首相は、ワクチン接種を1日100万回に増やす方針を明らかにした。政府は今後接種を増やした意向だが、それは難しいだろう。当分、コロナ感染は収束できず、長期戦を覚悟しなくてはいけない。筆者は、ワクチン・パスポートを発行して、以前のように飲食店や観光施設を利用できるようにする手当てが、事業者を破綻させないためには必要だと考えている。
目標達成は難しい
3回目の緊急事態宣言の延長を決めた菅首相は、5月7日の記者会見で1日100万回のワクチン接種を目指すとした。この発言を聞いて驚いたのは筆者だけではあるまい。そのときの発言は、「私自身が先頭に立ってワクチン接種を加速化を実行に移す」と述べている。この発言は、首相に決意のほどが伝わってくるが、同時に接種回数が増えないことへの焦りも大きいのだろうと感じられる。
官邸HPに更新されているデータでは、1日当たりの接種回数は、最大約35万回だ(5月6日、図表1)。海外から十分な量のワクチンが届かないから、全国の自治体にも行き渡らない。今のところ、1日100万回の約1/3しか達成できていないのが実情だ。
厚生労働省のHPでは、5月10日の週からワクチン配布が増えて、5月中に31,200箱(調整枠除く)、6月中に26,869箱(同)が分配可能と伝えられている。1箱の接種回数を1,170回とすると、5月中3,650万回、6月中3,144万回になる計算だ。6月末までに高齢者3,600万人の95%に接種できる数量だ。菅首相が7月末までに高齢者への接種を完了できるという自信は、この厚生労働省の計画に基づいているのだろう。計算すると、1日約80万回のペースで3,600万人への接種が行われれば、7月末までに高齢者への接種が完了できそうだ。
しかし、問題はワクチン供給だけではない。日本では、ワクチン接種を大規模な会場を用意して集団接種する体制が十分には整っていない。現状、大規模な会場は、東京・大阪しかない。それも、自衛隊の看護官を派遣するなどのてこ入れがあっての実現である。集団接種を積極的に増やせず、個別接種だけで接種回数を増やそうとしても限界がある。集団接種を増やすには、接種に立ち会う医師・看護師などスタッフの手当てを積極化しなければ実現できない。日本には、多数の医師や歯科医が居るが、それらの人的資源を上手に活用することが未だにできずにいる。政府が考えるほど、機動的に民間医療現場からの協力が得られないのが実情だ。
ワクチン格差
日本の接種率を各国比較すると、主要国中で最下位だ(図表2)。Our World in Dataというサイトでは、100人当たりの接種率は英国、米国が高く、それぞれ77.19人、76.95人となっている(5月10日時点)。G7の中では、カナダ41.47人、ドイツ41.07人、イタリア39.14人、フランス36.96人と続く。それらと大きく離れて、日本は3.32人だ。
米国は、前のトランプ政権がワープスピード作戦を展開し、ワクチンの認可・供給を迅速に準備した。バイデン政権はその恩恵に浴している。1日300~400万回という圧倒的な回数でワクチン接種を実施している。日本は、2月17日の接種開始のタイミングからしても、米国の後塵を拝している。
各国との成長率の格差
ワクチン接種が進まないことは経済的にも大きな損失である。緊急事態宣言は、4回目、5回目とまだ続くだろう。それを給付金などで耐え凌がなくてはならない。年内に限界を迎えて破綻する企業が、外食・宿泊、交通、他の個人向けサービス業で相次ぐことになるだろう。
IMFの経済見通しでは、米国は2020年10月の時点で、2021年の実質経済成長率が前年比3.1%であった(図表3)。それが2021年4月には前年比6.4%まで高まった。日本も同じ期間に、前年比2.3%→同3.3%に高まっているが小幅だ。日本経済研究センターのESPフォーキャスト調査では、日本の成長率の上ぶれはほぼ外需要因であった。つまり、日本国内はワクチン接種の遅れにより、内需が上方修正されず、専ら海外のワクチン接種の恩恵によって輸出が増える図式なのである。米国は、ワクチン接種が大幅に進むからこそ、財政刺激が大きく成長率を上方修正できる。対照的に、日本はワクチン接種が遅れるので、財政支出を拡大しても成長率が高まらない。日本の財政支出は、いわば点滴を打ち続けて、急場を凌ぐだけの効果に止まっている。ワクチン接種が効果を上げなくては、経済は疲弊し、財政はパンクしてしまう。
今後のワクチン接種がどうなるかを考えてみたい。日本全体のワクチン接種者の対象者は、16歳以上の国民1億1千万人だ。医療関係者480万人、高齢者3,600万人を除くと、約6,900万人になる。1日に100万人の接種回数が実現したとすれば、6,900万人に対して、138日(=6,900万人×2回÷1日100回)となる。約4か月半である。7月末から数えて12月半ばに完了できる。
しかし、そうならない可能性は依然として高く、大幅に遅れるのではないかと心配している。
仮に、1日平均50万回だとすると、6,900万人への接種は9か月間を要する。7月末以降から数えて、2021年4月末頃だ。米国が独立記念日(7月4日)までに完了できたとして、日本は約10か月遅れになってしまう。おそらく、米国だけではなく、欧州などにも遅れを取ってしまうだろう。
長期戦にどう臨むか?
政府は、コロナ感染が当分の間、収束しないという前提に立って政策を再検討すべきときに来ている。このまま、飲食店や観光施設の利用が制限されると、経営が持たなくなることは明らかだ。3回目の緊急事態宣言が延長されて、年内あと何回の緊急事態宣言があるだろうかと途方に暮れる人は多い。
これに対して、筆者は、すでにワクチンを接種した人には、証明書=ワクチン・パスポートを発行するのが良いと考えている。このパスポートを持つ人に限って、飲食店と観光施設を緊急事態宣言下でも以前のように自由に利用できるようにする。そうすると、ワクチン接種率の上昇とともに需要は早期に回復傾向に向かう。おそらく、実務的には難しいことは多いだろうが、例えばすでにワクチン接種を済ませた人に限定して、利用できるエリアを作って、顧客へのサービス提供を変えることも、混乱を避けるためには一案だ。そうすると、集団免疫が獲得されなくても、個人向けのサービス業などの売上は大きく下支えされることになるだろう。
逆に、それをしなければ、集団免疫の獲得まで持久戦を余儀なくされる。ワクチンを接種した人も、接種していない人も、飲食店や観光施設の利用が制限されて、需要が落ち込んだままになる。ワクチンを接種した人が優遇されないことは、ワクチン接種にインセンティブを与えないことにもつながる。すると、ワクチン接種も相対的に促進されない。
ただ、こうしたワクチン・パスポート導入は、政治的には批判を甘んじて受ける覚悟が必要があるだろう。パスポートの本人確認など実務的に課題が残る。現政権が、経済活動をこのまま過度に抑制し続けないためにも、リスクをテイクして、感染長期化への備えをすることが期待される。(提供:第一生命経済研究所)
第一生命経済研究所 調査研究本部 経済調査部 首席エコノミスト 熊野 英生