この記事は2023年2月16日に「テレ東プラス」で公開された「1000年の技&アイデア~業界を復活!豆腐店の物語:読んで分かる「カンブリア宮殿」」を一部編集し、転載したものです。
目次
本物を超えた?大ヒット商品~ヘルシー&リッチな絶品の味
「もうウニはこれでいいかも」「豆腐じゃない」「ウニはそんなに得意じゃないんですけどこれは平気」……そんな驚きの味わいで今、大ヒット中の「うにのようなビヨンドとうふ」(213円)。2022年3月の発売以来、すでに380万パックを販売したという。
▽380万パックを販売した大ヒット中の「うにのようなビヨンドとうふ」
商品のブランド名は「BEYOND TOFU」。その名の通り「豆腐を超えた豆腐」なのだが、スーパーの売り場をよく見ると、さまざまな「ビヨンドとうふ」シリーズが並ぶ。
中でも売れていたのが「マスカルポーネのようなナチュラルとうふ」(213円)。豆乳のクリームを使って、マスカルポーネのような濃厚でクリーミーな味わいを作り出している。乳製品を一切使わない植物性100%のヘルシーな逸品だ。
▽植物性100%のヘルシーな逸品「マスカルポーネのようなナチュラルとうふ」
日本で古くから親しまれてきた豆腐を一気に進化させたのは、1951年創業の相模屋食料。群馬県・前橋市の田園風景の中に見えてくる巨大な建物が本社だ。
社内では毎週月曜に必ず開かれる商品開発会議が行われていた。試食に登場したのは、ご飯の上に巨大な油あげが横たわったシリーズで展開予定の商品。「まかないメシ」シリーズの「はみ出しきつね丼」だ。相模屋では、開発担当だけでなく、工場の生産部門からグループ企業まで、総力をあげて商品づくりに取り組むのが流儀だ。
「すごいのができましたね」と言う社長・鳥越淳司。独創的な豆腐商品で数々のヒットを飛ばしてきた。鳥越はこの数カ月、ある商品開発に頭を悩ませていた。
「『カルビのようなビヨンド油あげ』を今度発売します。油あげで作ったカルビ」(鳥越)
「ビヨンドとうふ」の油あげシリーズ。狙いはヘルシーでおいしいカルビだ。
「作り方は油あげなんですけど、昔ながらの製法でカルビの食感を作った」(鳥越)
豆腐屋なのに、豆腐の常識から驚くほど自由。この日、商品化への希望が見えたのが、肉のように仕上げたがんもどきにソースをかけたロッシーニ。分厚いヒレ肉にフォアグラをのせるフランス料理、ロッシーニを豆腐で再現しようとしていたのだ。
伝統食の「時短商品」も~群馬発TOFUイノベーション
相模屋食料のヒット商品の中には、忙しい家庭で大活躍の豆腐の新ジャンルもある。豆腐の「時短商品」だ。
例えば「おだしがしみた きざみあげ」(192円)は、あらかじめ鰹風味の出汁を染み込ませてある便利な油あげ。味噌汁や煮物などにさっと入れるだけでおいしい和の味わいが手軽にできてしまう。
▽おいしい和の味わいが手軽にできてしまう「おだしがしみた きざみあげ」
本格的なスンドゥブが簡単に作れる「海鮮スンドゥブ」(213円)は「ひとり鍋」シリーズのひとつ。容器から豆腐をあけてお好みで具材を入れれば出来上がり。相模屋は仕事に育児に忙しい若い世代もつかんでいる。
革新的商品を次々に生み出す鳥越の入社は、相模屋創業家の娘婿としてだった。そして2007年、社長に就任するや豆腐ビジネスを一変させる戦略を次々に実行に移す。
例えば豆腐の製造。それまで水で冷やし、手作業で一つ一つパック詰めするのが当たり前だった豆腐を、莫大な設備投資により、人の手に触れず熱々のままロボットでパック詰めを行える生産ラインを建設した。これにより雑菌の繁殖が抑えられ、豆腐の賞味期限は一気に3倍になった。
▽熱々のままロボットでパック詰めを行える生産ライン
「熱々でパックして、しかも冷まさない早いスピードでやりますので、雑菌が繁殖する温度帯ではない。何も入れずに賞味期限が伸びるようになった」(鳥越)
その結果、群馬県周辺だけだった豆腐の販路を一気に広げることに成功する。
さらに2012年発売の人気アニメ「ガンダム」のキャラクターをパッケージにした「ザクとうふ」は、2カ月で100万丁を売る特大ヒットとなり、業界を驚かせた。
鳥越の攻めの経営で相模屋の年商は急拡大、ついに300億円を突破した。
鳥越のもとに「カルビのような油あげ丼」が用意された。油揚げで作ったとは思えないカルビ丼だ。「これ反則だね。絶対うまいやつだ」と鳥越。
「お豆腐が好きで好きでたまらない。もう無限の可能性があるんじゃないですか」(鳥越)
職人技でヒット商品が続々~地方の豆腐店が激変する秘密
焼き肉店のカルビからハンバーガーチェーンのパテまで、今やブームとも言える植物性の「大豆ミート」。そんな時代に鳥越がヒットさせているのが「肉肉しいがんも」(213円)だ。丸々としたハンバーグのような塊は、豆腐メーカーならではのがんもどき。植物性100%なのに、肉肉しいおいしさが味わえると人気を呼んでいる。
▽「肉肉しいがんも」植物性100%なのに、肉肉しいおいしさ
そんな個性的な豆腐商品を次々に生み出せる秘密が京都にあった。
「京都タンパク」という地元の豆腐メーカー。工場を訪ねると、職人が手作業で揚げていたのは「肉肉しいがんも」。絶妙な食感を生むため、細心の注意を払って揚げていく。
片隅で試食をしていた鳥越は「ふわっとやわらかいんで、すごい良いと思います」。
「京都タンパク」はつい数年前まで、慢性的な赤字に陥っていた。激しい安売り競争で疲弊していたのだ。
「1円でも安く、安くという競争に巻き込まれてしまって、いつやめるかなというような状態でした」(「京都タンパク」営業部長・水谷賢二)
2019年、そんな「京都タンパク」の再生に乗り出したのが鳥越だった。子会社化して相模屋のグループに収めて改革に着手。するとわずか5カ月で黒字化を果たした。
「やはりモチベーションというのがどんどん上がっていった」(水谷)
「泣きそうになるぐらい嬉しかったです。認められたみたいな」(「京都タンパク」工場長・八陳健一)
黒字化の秘密は手作業にあった。「肉肉しいがんも」は、ベテランが集まり「手ごね」で作られている。 「ハンバーグはペタペタやりながら空気を抜いていますけれども、逆にこれは空気をちょっと入れて、ふわっとするような食感を作るのにこういう感じでやっています。機械でやるとぺちゃんこになるんで、同じ食感は出ないですし、おいしさは出ない」(鳥越)
「手ごね」での商品作りは、古くから京都で行われてきた伝統的な技術。「ひろうす」と呼ばれる京がんも、「手ごね」で作っていた。鳥越はその職人技を復活させたのだ。
「どんどんどんどん機械化をしていった時に捨て去られた技。この非効率こそ、この今の食感を出したり、いろいろな要素を表現できる」(鳥越)
油あげ作りでも、大量生産の手法でなく、おいしさにこだわった丁寧な職人技を復活させた。
「出てきた時の状態でだいたいわかるので、そこで温度を調整します」(前出・八陳) 油あげの色合いなどを見て微妙な温度調整を行うことで、柔らかい食感を作り出すという。そんな職人技を武器にした商品づくりこそ「京都タンパク」復活の秘密だった。
東京・中央区の「日本橋髙島屋」。高級料亭「菊乃井」で人気を呼ぶ「菊乃井いなり寿司」(216円)も「京都タンパク」のものだ。肉厚でもふんわりと柔らかいおあげでいなり寿司を作りたいという依頼に応えた。
「あげのおいしさを感じられるお稲荷さんにしたいというのが今回の一番の目的だったので、こちらが要求した以上の商品を作ってくださって非常に感謝してます」(「菊の井」常務・堀知佐子さん)
▽肉厚でもふんわりと柔らかく作りたいという依頼に応えた「菊乃井いなり寿司」
鳥越の地方の豆腐メーカー再生は兵庫県・伊丹市でも。「匠屋」は2018年に自主廃業した会社を鳥越が生まれ変わらせた豆腐メーカーだ。
長年の勘で、匂いや手触りを頼りにこだわりの豆腐を作る工場長の柴田聖司さん。実は一度解雇されていた身だったが、鳥越に呼び戻され、新会社で再び働き始めたという。
「鳥越社長が来られて、『もともとここに根ざしていた豆腐をもう一度復活させよう』という話をいただいた。『豆腐は作れてうれしい、また豆腐作りをやっていけるんだ』という幸せな環境をいただいている」(柴田さん)
職人たちが担った地方の豆腐作りを復活させる鳥越の挑戦。すでに全国で8つのメーカーをグループに収め、すべての黒字化に成功している。
関東で知られる豆腐ブランド「三之助」も現在は相模屋のグループ。鳥越は地方色豊かな豆腐を未来へつなげようとしている。
TOFUの革命児、苦悩の過去~40億円の巨大工場を建設
2022年12月26日、年末の相模屋本社工場で、毎年恒例のイベントが開かれていた。
「焼き祭り2022」。
驚くほどの熱気のなか、巨大なバーナーに火がつけられると、そこへ出来たての木綿豆腐が。焼き豆腐作りだ。
この日は社員総出で、バーナーを握るのは役員。年末の10日間だけで167万丁もの焼き豆腐を作らなければならないという。
「焼き豆腐はすき焼きと一緒に食べるものですから、年末の1週間しか売れない商品なので、他のメーカーさんはどんどんやめていくんです。誰もやらないわけですから、うちがやるしかない」(鳥越)
手間がかかる焼き豆腐を作るメーカーが減る中、年末のすき焼き需要を支えるため、鳥越自ら社員と一緒になって作っているのだ。
▽「誰もやらないわけですから、うちがやるしかない」と語る鳥越さん
現場へのこだわりと商品への使命感。そんな鳥越の原点にはある大事件があった。
鳥越は創業家の娘婿となる以前、雪印乳業の営業マンだった。その鳥越が27歳の時に起きたのが雪印集団食中毒事件だった。最終的な被害者は1万4,000人。謝罪に回るため集められた全国の営業マンたちの中に鳥越もいた。
謝罪を繰り返したが、「何でこんなことになったんだ」「ちゃんと理由を説明してくれ」という声に、一営業マンに過ぎなかった鳥越に、返す言葉はなかった。
鳥越はその2年後、相模屋に入社する。そしてまず自ら志願したのが、工場で豆腐作りを1から覚えることだった。
「大豆をすって煮ておからを食べたりだとかする工程だとか、全て自分でやりました。ですので、どんなお豆腐でも作ろうと思えば作れます」(鳥越)
深夜1時から始まる厳しい作業に鳥越は2年間、向き合い続けた。そこにあった思いを、鳥越はスタジオでこう説明した。
「『どうしてこうなったんだ』とお叱りを受けた時に何も答えられない。ものづくりの会社にいて、自分の商品がどう作られているか分からないなんてことは、大罪だと思いました。だから自分がやる時には、必ず自分で作れるようになって、何がどうなったかを客様にしっかり説明できるようにしないといけないと思ったのです」
「うにのようなビヨンドとうふ」の大ヒットで連日大忙しの群馬県・前橋市、相模屋第三工場。18年前のこの工場建設が当たり、相模屋は全国区のメーカーへと駆け上がった。
だが建設当時は、「こんなバカみたいな投資をして成功するわけがないということで、明日潰れる、明日潰れると言われました」(鳥越)。
その頃の相模屋の年商は32億円。40億円を超える工場に周囲は大反対だった。ただひとり建設を主張したのが、鳥越の義理の父である先代の江原寛一(現会長)だった。
「『日本一の工場を造るぞ!』みたいな感じのことを、うちの会長は言ってたもんですから。みんな大反対でした」(鳥越)
そんな中、建設に踏み切った理由は、若き鳥越の明るい一声だった。
「『潰れるもんか』みたいな感じ。私だけが『やりましょう』と」(鳥越)
~村上龍の編集後記~
「うにのようなビヨンドとうふ」は、ウニのようだったし、本物の安いウニのような臭みがなかった。
だがわたしは、鳥越さんに言った。「本物の豆腐を作ってください」 彼にしか作れないと思ったのだ。「三之助じゃなくて鳥越さんの豆腐です」 入社時、2年間、毎日午前1時から豆腐作りをやった。それが彼の支柱になっている。人はそうやって何かに魅せられる。
本物の豆腐がどんなものかわからない。でも鳥越さんだったら作るだろう。細かい数字は見ない人だ。「どーんといけ」という感じで作るだろう。