この記事は2023年1月19日に「テレ東プラス」で公開された「車ではなく未来を作れ!~生き残りをかけたホンダの挑戦:読んで分かる「カンブリア宮殿」」を一部編集し、転載したものです。
目次
世界初を続々と生み出す~技術者集団のサバイバル術
栃木・茂木町の隠れた人気スポット、テーマパーク「モビリティリゾートもてぎ」。行列ができていたのはオフロード車。険しい道を運転し、壁にぶつけないように走ると得点が加算される。宿泊施設もある。備え付けテントに豪華な食材付き。楽にキャンプ気分が楽しめるグランピングだ。
▽「モビリティリゾートもてぎ」行列ができていたのはオフロード車
運営しているのは自動車メーカーのホンダ。施設の一角には博物館「ホンダ コレクションホール」もあり、これまで世に送り出した名車がズラリと並んでいる。
ホンダの売り上げは世界で約14兆5,000億円。国内の自動車メーカーでトヨタについで2位だ。
創業者は伝説の人、本田宗一郎。その人生は飽くなき挑戦の連続だった。
1946年、最初に作ったのは自転車の補助エンジンだった。戦後すぐ、遠くまで買い出しに行く妻のために、湯たんぽをタンク代わりに試作。ここからホンダの物作りが始まった。
▽1946年、最初に作ったのは自転車の補助エンジン
1963年には四輪自動車に進出。後発ながら世界一の車を目指すと宣言した。日本から初めてF1にも参戦。まだ小さかったメーカーがヨーロッパの歴史ある自動車メーカーに挑み、1年後には宣言通り優勝、世界一になってみせたのだ。
真骨頂は1972年にアメリカの厳しい排ガス規制を世界で初めてクリアしたCVCCエンジンの開発。排ガスの有害物質をそれまでの10分の1に抑え、ホンダの名前を一躍知らしめた。アメリカの巨大メーカー、GMでも成しえなかった快挙。このエンジンが積まれたシビックは世界中で大ヒットした。
世界一を目指し、生涯、挑戦し続けた宗一郎。技術者としての生き方はその手に表れていた。生前、「指の長さが違う。ガリガリと削ってしまった。開発に夢中になると、危ないことが分からなくなっちゃう」と語っていた。
そんな宗一郎が残した信念のひとつが「松明は自分の手で」。誰も歩いたことのない道を先頭に立って歩き、切り開いていけという意味だ。
開拓精神の象徴ともいえる場所が埼玉・朝霞市のホンダ技術研究所。9代目となるホンダのトップ、本田技研工業社長・三部敏宏(61)は、時間を見つけては研究所に来ていると言う元エンジニアだ。
「ホッとしますよ、作業着を見るだけで。30年以上、私の職場は研究所でしたから、ネクタイをするなんて考えたこともなかった。それは開発のほうが楽しいに決まっている。社長業は一番つまらないかもしれない(笑)」(三部)
激変する自動車業界~脱エンジンを決めた理由
三部の社長就任は2年前。託されたのはホンダが未来も生き残っていくための大改革だ。「危機に強い男」として選ばれた。
今、自動車業界は大変革の時を迎えている。脱炭素の流れから、2035年までにガソリン車の販売を禁止すると世界各国が表明。イーロン・マスク率いるテスラなど電気自動車の新興メーカーが台頭し、勢力図を大きく塗り替えているのだ。
その中でホンダは、国内で出している電気自動車は「Honda e」1車種だけ。エンジンへのこだわりが大きいあまり、モーターで動く電気自動車の開発では遅れをとったのだ。このままでは生き残れない。三部は就任早々の2021年4月、明確に宣言した。
「ホンダはどのような価値を提供していくべきか。それは地球環境への負荷をなくすこと。電気自動車、燃料電池車の販売比率を2040年に世界で100%を目指します」
日本の自動車メーカーとして初めて、ガソリン車をやめて電気自動車に切り替える、つまり「脱エンジン」を宣言した。だが、本田宗一郎の時代からホンダといえばエンジン。それをやめてしまっていいのか。
「『エンジンのホンダ』は過去。次の世代のホンダをつくればいい。我々の本業がエンジンだと言っても、環境が変われば通用しなくなる時代は来る。変化の時代は面白い。『どうするんだ』と考えながら次の一手を打つ。『楽しい時代が来たぞ』という感覚です」(三部)
その未来を占う極秘の現場に今回、特別に取材許可が降りた。北海道・鷹栖町の「鷹栖プルービンググラウンド」で始まるのは現在、研究を進めている次世代の車の試乗会。そこには開発担当者だけでなく役員も揃っていた。
トップシークレットだと言う開発中の車は、三部が開発を命じたスポーツカータイプの電気自動車「EVスポーツカー」。ホンダの新しい電動化技術が詰まっていると言う。
▽「EVスポーツカー」電気自動車にも走る楽しさ、面白さを
この日は三部自ら試乗した。電気自動車だけあって、静かな走りだし。しかしこの後、全開にすると凄まじい音になる。実は、アクセルに連動してエンジン音を再生する演出。モーターだと一気に出力が上げられる。一瞬で時速250キロまでスピードが上がった。
「電気自動車にも走る楽しさ、面白さを」。そんなホンダの戦略が垣間見えた。
「電動化の時代にも走りに尖った部分は必要だと思っている。それがホンダらしさだと思いますし、新しい技術で世の中に価値を問いたい」(三部)
未来を託すのは電気自動車だけではない。7年前に売り出した小型ジェット機「ホンダジェット」。1986年にスタートした飛行機研究。完成までおよそ30年をかけたホンダの航空技術の集大成だ。
「羽の上にエンジンが乗っているから、胴体のキャビンスペースを広くとれるのと、振動が少なくて静かなのが特徴です。そんな飛行機は世界中を探してもないです」(三部)
翼の上にエンジンを乗せるという常識破りの発想で空気抵抗を下げ、燃費は15%向上。小型ジェット機では、販売台数5年連続世界一を達成した。
▽7年前に売り出した小型ジェット機「ホンダジェット」
「『よし、これをやってやるぞ』というモチベーションが新しいイノベーションを生む。イノベーションの源泉はやる気だと思います。チャレンジする目標を高く置くことが大切。高い目標を掲げて全員でチャレンジする、そんな会社でありたい」(三部)
「世界を変える」に挑め!~新たな価値の「空飛ぶ車」
会社を大きく変えようとしながら、三部は若い技術者との話し合いの場も作っている。そこでは、新しいホンダの行く末に不安の声も上がった。
「EV二輪車を3年後に10車種も作るというが、ただエンジンをモーターに置き換えたものが世の中に出てしまうのではないかという危惧がある」「各部署が別々に研究をしていて2050年の脱炭素にもう間に合わない」……トップの三部を前にして一切、忖度のない意見が続く。これこそがホンダの企業文化「ワイガヤ」。年齢や役職にとらわれず議論することが許されているのだ。
▽「僕もエンジニアの端くれ。怯むことなくチャレンジしてほしい」と語る三部さん
「僕もエンジニアの端くれ。やってみれば意外とできる。変革期は追いかけるのではなく自分たちで変革を進めるべき。それが世界をリードする企業になること。怯むことなくチャレンジしてほしい」(三部)
高いハードルでも臆することなくやってみる。それは三部自身もエンジニアとして実践してきた生き方だ。
三部は1987年の入社。会社の花形部署、エンジン開発に配属された。そして30代であるプロジェクトリーダーを任される。
本田宗一郎のCVCCエンジンからおよそ30年後、アメリカが新たな排ガス規制に動き出す。それは「排ガスの有害物質をこれまでより9割近く減らす」という厳しい基準。上司に「どのメーカーよりも早く数字をクリアするエンジンを完成させろ」と命じられた。
「当時の私にとって難しい宿題でしたが、『やってやるぞ』が半分、『勘弁してくれ』というのが半分くらいでした」(三部)
当然、開発は一筋縄ではいかない。技術者同士が激論を交わし、時には喧嘩のようにやり合ったと言う。
「きれいに言うと熱い議論ですが、当時は『ふざけるな』という感じでした。でも新しい考え方やアイデアは、言い合える環境の中から生まれるものなんですよ」(三部)
3年後の2000年、三部のチームは世界で初めて規制をクリアするエンジンを完成させる。それは吸い込む空気より排気ガスのほうがきれい、という驚きの性能だった。
どんな無理難題でも突破する。そんな信念でやってきた三部は未来に対しても挑戦的だ。
「既存事業をずっと守るという感覚はないです。成長に向けて投資をして新しい未来を作る」(三部)
未来への投資はずっと続けられている。その一つが36年前から続くロボット開発。今や、指も繊細に動くようになり、プルタブだって開けられる。
「危険な環境で人の代わりにロボットが作業できる、というようなことを考えています」(エグゼクティブチーフエンジニア・吉池孝英)
離れた場所から簡単に操れる。2030年の実用化を目指し、研究が進められている。
▽36年前から続くロボット開発
三部が今、力を入れているプロジェクトがある。
「空飛ぶ車、垂直離着陸機。世の中にない新しい乗り物を開発しています」(三部)
その試作機は実際の5分の1サイズ。人が乗れるドローンのようなイメージだ。
▽発電しながら飛べるハイブリッドエンジンを積んだ空飛ぶ車の試作機
滑走路は必要なく、自動車に乗る感覚で飛び立てる。大きな課題もある。飛行距離だ。こうしたドローンはすでに世界で開発されているが、飛行距離は短い。ほとんどがバッテリーを使っているので充電が必要となり、長くは飛べないのだ。
そこでホンダが作ろうとしているのが、発電しながら飛べるハイブリッドエンジンを積んだ空飛ぶ車。完成すれば飛行距離は400キロまで伸びる。もちろん世界初の技術だ。
「ホンダが今まで培ってきたコア技術、例えばガスタービンは『ホンダジェット』に搭載されているエンジン、発電機はF1、ハイブリッドシステムはハイブリッド車と、さまざまな背景を持ったエンジニアが結集して、世界初を目指して切磋琢磨しています」(チーフエンジニア・邉英智)
ホンダの誇るエンジニア、オールスターが集結し、前人未到の闘いに挑んでいるのだ。
「大きなチャレンジですが、ホンダならでは。当たり前のように空を飛んでいる世界を目指していきたいと思います」(邉)
技術力で常識を打ち破れ~難題に挑むベンチャー魂
ホンダには、チャレンジ精神を刺激するある仕組みが設けられている。社員の起業を支援する「イグニッション」という制度だ。
社会の課題解決につながる事業ならなんでもOKで、企画が審査を通ればホンダから最大20%の出資を受け、独立することができる。
2年前にこの制度を使って起業した「あしらせ」社長の千野歩さん。ホンダでは自動運転のシステム開発を担当していた。作ったのは靴に取り付ける器具だ。
▽スマホと連動するナビ「あしらせ」
「視覚障がい者の方向けの歩行ナビゲーションを開発しています。足に振動を与えて『右に曲がる』という方角を通知していく」(千野さん)
自動運転の技術を応用し、スマホと連動するナビ「あしらせ」を開発。両足に取りつけ、例えば左に曲がる場所なら左側に付けた器具が振動するという仕組みだ。
まだ製品化には至ってなく、今は障がいを持っている人に試してもらいながら改良を進めている段階だ。
今回は、先天性の病気から視野の中心部が見えていない渡辺麻姫さんにお試しを頼んだ。普段はスマホの地図を拡大し、間近に見ながら移動しているが「スマホを片手に持って歩くと、自転車や人とぶつかりそうで不安で、道に迷ってしまうことも多いかもしれません」と言う。
まず目的地を入力。今回はコーヒーショップを選んだ。渡辺さんにとっては初めて来た町。何も知らない状態で、一人で向かってみる。スマホを見ないでいいから、周囲に気を配りながら歩いていける。曲がる位置の精度も高い。
「普段は手にスマホを握りしめて歩いているので、すごく安全で心地いいなと思います」(渡辺さん)
5分程で無事、目的地へ到着。渡辺さんの笑顔に、開発した千野さんも手応えを感じた様子だ。しかし、大企業のホンダをやめて生活は大丈夫なのか。
「年収は半分ぐらいになりました。奥さんはダメかもしれないけど僕は大丈夫です。世の中に広まるように価値を上げて、社会を変えていく。ホンダで学んだことなので、諦めずにやって行こうと思います」(千野さん)
~村上龍の編集後記~
トヨタ・ダイハツ・日野・マツダ・スズキのトヨタグループと、日産・三菱の仏ルノー連合に対し、孤高のホンダも、米GMとの連携を強化した。
エンジンがなくなるという危機感の中、研究所でエンジン開発研究に関わってきた三部さんが、社長に就任した。うっすらと生えた無精髭が苦悩を表していたが、ホンダスピリットは健在だった。何とかするという明るい精神だ。
ホノルルマラソンに出るのを楽しみにしていた。楽しんで欲しいと思った。エンジンのホンダが、エンジンのない車を考えなければならないのだ。