この記事は2023年3月9日に「テレ東プラス」で公開された「子どもにも履かせたい!~真っ正直なものづくりの全貌:読んで分かる「カンブリア宮殿」」を一部編集し、転載したものです。
世代を超えて愛される!~“極上の履き心地”
アップル創業者、スティーブ・ジョブズのプレゼンはいつも同じスタイル。仕事以外のことは考えたくないとこだわり抜いた同じ物を身につけていた。黒のタートルネックはイッセイ・ミヤケ、ジーンズはリーバイス、そしてシューズはいつもニューバランスだった。
東京・江東区の「有明こども園」の子どもたちはニューバランス率が高い。「さつき組」の外履きを見てみると、21人中8人がニューバランスを履いていた。保護者に聞いてみると、「足の発育にいい」「幅広の甲高なので」「履き心地がいい」といった理由を挙げた。高齢者にも愛用者は多く、世代を選ばない。取材では2歳から72歳まで幅広い層が履いていた。
ニューバランスは1906年、アメリカ・ボストンで創業。最初は足を矯正する靴のメーカーだった。1938年には地元のランニングチームのためにシューズを開発。この際、使ったのが軽いカンガルーの革。フィット感が絶賛された。
躍進の契機となったのが75年。ニューヨークシティマラソンでニューバランスを履いたランナーが優勝した。これをきっかけに「N」のマークのスポーツシューズは世界的な人気となっていく。
今では売り上げ約5,700億円。世界58の国と地域におよそ3,000店舗を展開する。
東京・渋谷区の「ニューバランス原宿」。その一角にはキッズシューズのコーナーもあり、代表的なものは大人と同じモデルが用意されている。現在、販売中のモデルはおよそ300種類。各モデルの名前はほとんどが数字になっているのが特徴だ。
世界で最も履かれているニューバランスは「574」。甲の幅が広めのゆったりしたシルエットのモデルだ。他のタイプに比べ、つま先も尖ってないので圧迫が少ない。もともとはオフロードシューズで、裏が滑りにくくなっている。
豊富なカラーバリエーションも人気の理由。「574」だけで50種類以上の色がある。
ニューバランスの愛用者たちが口を揃えて言うのが「履き心地の良さ」だ。それを生み出しているのがアウトソールとインソールの間にあるミッドソールという部分。衝撃を吸収し、反発する素材を独自開発。だから長時間履いても疲れにくい。
さらに直営店では履き心地の良さを引き出すサービスを行っている。その「3D SCAN」では、四隅にカメラのついた台に乗るだけで立体的に足を計測してくれる。足の長さや甲の幅はもちろん、土踏まずの高さまでわかるのだ。
▽「3D SCAN」足の長さや甲の幅はもちろん、土踏まずの高さまでわかる
ある客が計測してみると、「少し土踏まずが低くなっているので、疲れや足裏の痛みが出てくる。そこをサポートすると足の痛みは軽減できます」とスタッフ。自分の足の特徴を初めて知る客も多いと言う。
そして計測後には「この靴はゆりかごのような形状になっているので、接地した時、足の運びが楽になります」などと、データに基づき、自分の足に合った靴を提案してくれる。
東京・神保町にあるニューバランスの日本法人のオフィス。ニューバランスジャパン社長・久保田伸一(55)は「ニューバランスは履きやすさが第一。ケガをしにくい、長く履いてられるというのが靴の設計の理念になっています」と語っている。
▽「ニューバランスは履きやすさが第一。」と語る久保田伸一さん
スニーカー少年が社長に!~運命を変えた“手紙”
「ニューバランス原宿」の前に、開店前から長い行列ができていた。客が朝早くから並んでまで手に入れようとしたのは、セレクトショップ・ビームスの特注モデルのスニーカー、「M2002RX E」。防水加工が施してあって雨にも強いという。
行列の先頭にいた男性、佐々木さんは新作が出るたびに買っていると言う。自宅を訪ねると、玄関口に「いつでも履けるように」と12足のニューバランスが。さらに部屋には50足以上が、ほとんどは新品のまま履かずに取ってある。
「自分にとってニューバランスはただの靴ではない。ただ履くものではなくて、生活に欠かせないものです」(佐々木さん)
「ニューバランス愛」では負けていないのが社長の久保田だ。社長室の一角は久保田の私物のニューバランスが占領している。
「家にはほとんどないです。家庭で文句を言われるので」(久保田)
久保田のニューバランス人生の始まりとなったのが中学生の時に買ってもらった「M620」だった。
「頼み込んで頼み込んで買ってもらったのですが、それが感動的で、カルチャーショックを受けました。頭の中でキンコンカンとベルが鳴った」(久保田)
「もっと靴のことを知りたい」と感じた久保田少年は、ありとあらゆるスニーカーメーカーにカタログを請求し、送ってもらった。ところがニューバランスだけは届かない。
そんな時、父親の淳一さんがニューバランスのアメリカ本部の人間と会うことになった。実は父親は日本の靴メーカー「月星化成」(現・ムーンスター)に勤務しており、当時、同社はニューバランスと業務提携していた。
「これはチャンスだ」と思った久保田は「カタログを下さい」という手紙を英語で書き、父親に託した。すると、カタログと一緒に返事がきた。当時の手紙を、久保田が見せてくれた。
▽カタログと一緒に返事がきた当時の手紙
手紙を書いてくれたのはアメリカの商品企画・デザインのトップだったエド・ノートンさん。そこから久保田とノートンさんは実に9年に渡って文通を続ける。
「お互いの身の上話をしたり、相談に乗ってもらう中で、『自分は将来、ニューバランスで靴を作りたい』と書きました」(久保田)
すでにリタイアしたノートンさん本人と連絡が取れた。
「伸一は10代前半だったと思います。ニューバランスに憧れていて、将来うちで働きたいと言い出したんです。その時、私は『それは素晴らしい』と答えたのを覚えています」
ノートンさんに背中を押された久保田はまず英語をマスターしようと、1987年、関西外国語大学に進学。その在学中にも手紙をもらっていた。
「『今後はバスケットボールシューズやランニングシューズが普段履きされるようになるので、そこは注意して見ておいた方がいい』と書いてありました。結局、それが大きくなって今のスニーカービジネスが出来上がったので、面白い」(久保田)
卒業後の1991年、久保田は本当にニューバランスの一員となる。マーケティング部門やアメリカ本社勤務を経て、2019年、日本法人のトップに上り詰めた。
「グレートだよ、あの少年が夢を叶えたなんて。しかも大好きなニューバランスの社長さんだもんな。本当に頑張ったんだと思いますよ」(ノートンさん)
122年の藏を移築…~ニッポン式の新戦略!
社長になった久保田には気になることがあった。ニューバランスが日本に上陸しておよそ40年。会社は成長したが、今のままでいいとは思えなかったのだ。
「保守的になりすぎていた。中身は熱いブランドなのに、そこが少し欠けているのが日本では見え隠れしてきた」(久保田)
また久保田は、当時の会社組織についてスタジオで「例えばアメリカでは『自分のつま先を踏まないでくれ』という話があるんです」と、振り返っている。ドント・ステップ・オン・マイ・トゥ、私のつま先を踏むな。「私の仕事に首を突っ込むな」という意味だ。
「日本は逆で、遠慮をしてしまう。だから『お互いのつま先を踏みましょう』と言いました」
現状を打破しようと、久保田はあるものを作った。その拠点となるのが東京・日本橋の「ティーハウス ニューバランス」。築122年の蔵を一旦解体し、組み直して作ったニューバランスのギャラリー兼ショップだ。柱や梁はそのまま生かし、風合いを出している。
▽「ティーハウス ニューバランス」直営店にはない日本オリジナルの商品がある
ここで販売しているのは直営店にはない日本オリジナルの商品だ。ニューバランスでデザインが許されているのはアメリカ、イギリス、日本の3カ国だけ。そこで日本の独自性をもっと出すべくアメリカ本部に直談判し、日本のデザインチームによる新ブランドを立ち上げた。
商品をよく見てみると、タグの下には「N」のマークがない。こうして客にもスタッフにも刺激となるジャパンオリジナルを発信しているのだ。
▽タグの下には「N」のマークがない
久保田のやり方について、アメリカ本社のグローバルのトップ、ジョー・プレストンCEOが答えてくれた。
「日本は我々にとって灯台のような存在です。他の国のお手本になりますからね。伸一のやり方こそ我々のやり方なんです」
スニーカーが車に!~驚きの“コラボ戦略”
東京・銀座の大通りを不思議な車が疾走している。ボディがリアルなスニーカーになっているのだ。
▽日産とニューバランスの世界に1台のコラボカー「キックス」
これは日産とニューバランスのコラボレーションで、車体は日産のSUV「キックス」。そこにニューバランスのスニーカー「327」モデルを掛け合わせた。コラボは「キックス」をアピールしたい日産サイドから持ちかけたという。
「『キックス』という名前にはスニーカーという意味もありました。我々の中では、ニューバランスは普段使いでも、かしこまった場所でも使える万能ブランド。軽快なイメージがあったので今回のタイアップに至りました」(日産自動車・岡部龍太さん)
世界に1台のコラボカーは今後、全国各地を回っていく予定だ。
~村上龍の編集後記~
「中学生のころ、もしニューバランスという靴がこの世になかったら、今どうしてましたか」と聞いたら、久保田さんは黙った。意味がわからない、という感じだった。「考えたことがない」という返事だった。
わたしが、990シリーズの靴を試着するとき、すぐそばで、真剣で、かつ楽しそうな顔で眺めていた。会社が急成長し、縦割りという弊害が生まれていたとき「誰かのつま先を踏め」と言った。
久保田さんは、靴に関する限り、常に真剣で、かつ楽しそうだ。生きがい以上のものになっているからだろう。