地域医療の崩壊が懸念されている。とりわけ過疎化に悩む地域では人口減少と医師不足で、高齢化に伴う医療ニーズが高まっているにもかかわらず医療機関の閉院が相次いでいるのだ。こうした地域医療の崩壊を防ぐ取り組みとして注目されているのが「医業承継」だ。
その先進事例が、福島県で実施されている「医業承継バンク マッチングナビ」事業。ネットで譲渡を希望する病院と、それを引き継いで開業を目指す医師を引き合わせ、医業承継を実現する取り組みだ。医業承継の最新事情を、同事業の立ち上げから運営に携わっている石塚尋朗福島県医師会常任理事に聞いた。
-医業承継バンクを設立したきっかけを教えて下さい。
2011年3月の東日本大震災とそれに伴う東京電力福島原子力発電所事故の影響で、浜通り(福島県東部の太平洋側沿岸地域)の医療機関が大幅に減少した。それでなくても県内の高齢化や人口減少が進み、10年間で140件もの医療機関が減少している。これでは地域医療が成り立たないと危機感を持った福島県が、県医師会に協力を求めてきた。年間2000万円の予算がつき、医師会として県内での医業承継事業に乗り出したのだ。
-医業承継バンクの設立で苦労はされましたか?
そもそも全国で組織的な医業承継の前例がなく、どうすればいいのか全く分からなかった。承継手続については県医師会と付き合いのある税理士に相談しながら仕組みづくりに取り組んだ。先ずは医業を引き継ぐ開業希望者を募り、それから承継(譲渡)を希望する医療機関を集めることにした。
ところが承継を希望する医療機関が、なかなか集まらない。医師が承継を内密にしたがり、(医業承継の)案件情報提供に消極的だったのだ。「外部には絶対に漏れないでしょうね」と念を押されたこともある。
-県医師会が動くまで、県内で医業承継はなかったのでしょうか?
個々の医療機関と付き合いのある会計事務所や金融機関などを通じて医業承継を実行する事例はあった。しかし地元の狭い範囲でのマッチングに留まっていたため、紹介できる承継候補者が少なく、条件面などで折り合わないケースが多かったようだ。
民間企業でも医業承継を手がけているが、開業後のノウハウや地域との関係づくりといったフォローアップや医業承継して開業した医師の困りごとに対応してくれないなどの不満の声も聞く。地域とのつながりを壊さない医療承継をするには、医師会が関与しないと難しい。
-医業承継バンクでは、どこまで当事者間の交渉に踏み込むのですか?
マッチングサイトを開設しただけではダメ。福島県医師会ではマッチングサイトに応募した登録者との面談でニーズを聞き出したり、承継対象となる医療機関の視察に同行して話し合いが前向きに進むような環境づくりに取り組んでいる。こうしたきめ細かい支援をしないと、医業承継は動かない。
ただ、合意後の金銭的な交渉は当事者同士に任せている。医師会はタッチしない。税理士などに支払う医業承継に伴う手続費用といった実費を除けば、無料で医業承継サービスを提供している。
-医療承継バンクに手応えを感じたのは?
2020年12月に初の成約案件となる福島県川俣町の診療所での医業承継が新聞などで大きく報じられると、問い合わせや申し込みが急増した。県内市町村が医業承継した開業医に対して独自の補助金を新設するなど、行政の支援も充実している。
-医療承継バンクの実績を教えてください。
現時点までの累計で譲受側の開業希望医は59名。うち37名の医師が県内で、残る22名が県外だ。一方で譲渡を希望する医療機関は45施設。医業承継の成立件数は12件で、成立間近な有望案件も数件ある。2022年の医療承継バンク登録者は、開業希望医が21に対して、譲渡希望医療機関が14だった。
登録が多いのは県中18件、県北12件、県南7件の中通り(福島県中部)3エリアで、全県の8割以上を占める。成約件数もこの3エリアが10件と全体の8割以上を占めている。東北新幹線や東北自動車道などの交通インフラが整っていることから、生活環境面で開業希望医のニーズがこの地域に集中しているのだ。
診療科目別では内科が最も多く、次いで外科。そのほかにも耳鼻咽喉科眼科、乳腺外科、心療内科などがある。
-医療承継バンクの課題は?
マッチング希望者、すなわち医療承継バンクの登録件数をいかに増やすかだ。相互の要望をすり合わせるためには選択肢を充実する必要があり、現在の4〜5倍の登録がほしい。そうなるとスムーズなマッチングのためには医師会側も希望者と面接する担当者を増やさなくてはならず、その人件費をどう負担するかが課題になる。
福島県内にこだわらず東北や関東北部で同様の医療承継バンクを立ち上げてもらい、広域で相互融通して医業承継に取り組む必要もあるだろう。すでに複数の県で取り組みが始まっている。
-過疎化や高齢化などに直面する医療危機に、医業承継はどのような解決策を提示できると思いますか?
福島県の医業承継バンクの登録や成約を見ても、交通の便が良い都市部に集中する傾向がある。医業承継だけで医療危機問題を解決することはできない。自治体が競争して開業医や医療機関を呼び込む環境づくりに取り組む必要がある。
福島県内では新設医院に10年間で5000万円の補助を出す自治体もあるが、医療機関での新規雇用や税収、地域医療の充実による人口流出の防止、移住者の誘致といった経済効果を考えれば安いものだと思う。
◎石塚 尋朗(いしづか・じんろう)氏
慶信會石塚醫院院長、日本臨床内科医会学術委員会委員長。1951年仙台市生まれ、1978年東北大学医学部卒。同大消化器内科勤務を経て、1985年に渡米。ワシントン大学(ワシントン州シアトル)とテキサス大学(テキサス州ガルベストン)の医学部で上級研究員として、がんの先端医療研究に取り組む。一時帰国を経て1990年に再渡米し、テキサス大で准教授や客員教授を歴任。実父が福島県小野町で開業した石塚醫院を、1994年に引き継ぐ。2010年に福島県医師会理事、2014年から同常任理事。
取材・文:M&A Online 糸永正行編集委員